AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

198:365 - Day $200 (haha oops)



 この前、クラウドファンディングに関して、カネを払うのではなく、反対に、カネをもらって常連客やファンを増やす仕組みであるという意味のことを書いた。また、クラウドファンディングは本質的にソーシャルメディアであるとも書いた。


ソーシャルメディアとしてのクラウドファンディング : アド・ホックな倫理学

昨日(2016年8月26日)付の「日経MJ」の3面に、クラウドファンディングを利用した飲食店の開業に関する記事が載っていた。 誰でも知っているように、クラウドファンディングは、21世紀に入ってから広い範囲で使われるようになった資金集めの仕組みであり、「たくさんの個



そのとき、似たような仕組みがあることを思い出した。それがfindomと呼ばれているものである。

――以下、英語でNSFW(=Not Safe For Work)と表記されるような内容が含まれている可能性があります。婉曲な表現を心がけていますが、不快に感じたら、ウィンドウを閉じて下さい。――

 さて、findomとはfinancial dominance (or domination)の短縮形であり、femdomの一形態である。そして、femdomというのは、female dominance (or domination)の短縮形で、BDSM(= Bondage, Discipline, Sadism & Masochism)と呼ばれる変態的な性的嗜好の形態の一つである。


 femdomの意味するところは、すでに文字から明らかであろう。すなわち、男が女(female)に支配(dominance)されることで快楽を覚えるタイプの性的嗜好がfemdomである。


 そして、findomは、そのさらに一形態であるが、その内容もまた、すでに文字によって明らかである。つまり、findomとは、女によって金銭的(financial)に支配(dominance)されること、具体的には搾取され破産させられることに快楽を覚える性的嗜好を意味する。


 findomの仕組みを最初から説明し直すと、次のようになる。

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 男の方は、女にカネを貢ぎ続け、最終的に破産することで快楽を覚え、女の方は、カネを奪って「あげた」ことによって男から感謝され、奪ったカネを対価として獲得する……。


 しかし、そもそも、女にいたぶられることに快楽を覚えること、しかも、自分のことをいたぶってもらうよう女に依頼したり懇請したりすること、さらに、いたぶってもらったことへの対価を自発的に支払うことすら厭わないなど、私にはサッパリ理解できないのだが、これに加えて、通常のfemdomがどちらかと言うと身体や心が傷つけられるのに対し、findomは、女にカネを奪われることによって快楽を得るのであるから、これはもはや想像の範囲を超える事柄である。


 そして、このfindomの主役となる女のことをmoney dommeまたはfinancial dominatrixと言う。カネ(money)の面で(fnancial)支配する女(domme = dominatrix)、つまり、男に破産するまで貢がせて「あげる」女である。

 ただ、money dommeとして男を搾取して「あげる」ことを仕事とする女がいることはわかる――いや、実はあまりよくわからない――としても、findomなるものが現実に相当な広がりを持っており、もっとも安直な生活手段としてfindomを選択する女性が実際にいるということは知らなかった。いくら性的嗜好が多様だからと言っても、さすがに女に搾取されて性的快楽を覚えるとなど、都市伝説であると思っていた。


 しかし、findomは、単なる都市伝説ではなく、現実にfindomにはまって破産した男性までいるらしい。


Financial Domination | VICE | United States
 上のページには、関連する記事が10本掲載されている。findomを取材した"Cash Slaves"という動画も紹介されている。



 YouTubeの場合はこちら↓。(内容は同じ)



 findomが真面目に論じるに値するだけの社会現象と見なされていることにいささか驚く。面白くもあり、不気味でもあるが、動画のとおりなら、findomは、立派な社会問題であろう。

 ソーシャルメディアとしてのクラウドファンディングがfindomと同じであると言うつもりはまったくないが、カネを集める趣旨が第三者には理解できない場合があるという点と、出資したカネが原則的に回収されない点は同じである。今のことろ、両者の違いは、フェティシズムに陥っているかどうか、依存症や中毒を惹き起こすかどうか、という点にある。クラウドファンディングに出資しすぎて破産した、とか、クラウドファンディングに出資するために借金したとか、このような事例が発生しないことを願っている。

Oatmeal

 オートミールは健康食なのに、スーパーで買ってきたものを表示どおりに水やミルクで煮て、ハチミツや砂糖やジャムをかけて食べると、どうしても「あの」独特のにおいが気になって食欲が失せるという人は多いと思う。

 「あれを朝食の定番にしているイギリス人の気が知れない」とか「さすが世界で一番食事のまずい国で生まれただけのことはある」とか言いたくなるかも知れない。 

 しかし、オートミールの「あの」においは、実は、特に強いにおいではないから、パッケージに書かれたとおりに食べるのをやめれば消えてしまう。

 コロッケやハンバーグに入れたり、固めて焼いてみたり(=つまり、グラノーラ) 、複雑な方法はいろいろあるが、ここでは、もっとも単純な方法、一工程だけの方法を書く。

 すなわち、

 

 多めの水で表示どおりに煮たあと、
カップスープのもとを入れて混ぜる

 というのがその方法である。

 「あの」においは消えて、歯ごたえのあるおいしいお粥になる。

 つまり、甘くしないで食べるということである。 

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 もともと、オートミールはお粥(ポリッジ)として食べるものなのだから、カップスープで味付けしても不都合なことなど何もない。

 シリアルと同じように甘くしなければという強迫観念など捨ててしまえばよいのである。

 慣れてきたら、スープの種類に合わせて具材を刻んで追加して味を工夫してもかまわないが、とりあえずカップスープのもとを入れて混ぜるだけで、オートミールの「好感度」は劇的に 向上するはずである。 

 なお、カロリーの点でも食感の点でも一番無難なスープはオニオンコンソメである。

 もともと、オートミールを加熱することで「とろみ」が出るから、ポタージュやコーンクリームだと、「とろみ」がつきすぎる可能性がある。

 水が不足していると、スープを投入しても溶けてくれない可能性もある。 

 それから、中華スープや卵スープなどのフリーズドライ製品は、そのままオートミールに投入しても十分に溶けない。あらかじめ お湯に溶いてからオートミールと混ぜることをすすめる。

Kyoto Whisky Bar

 昨日(2016年8月26日)付の「日経MJ」の3面に、クラウドファンディングを利用した飲食店の開業に関する記事が載っていた。

 誰でも知っているように、クラウドファンディングは、21世紀に入ってから広い範囲で使われるようになった資金集めの仕組みであり、「たくさんの個人」から、「小口の資金」を、主に「インターネット」を利用して出資を募るのが主流になっている。

 また、出資の対象となるのは、映画の製作であったり、新規事業であったり、弱者救済の社会事業であったりするのが普通であり、その中でも、特に飲食店の開業にクラウドファンディングが使われる事例が増加しつつあるというのが、上記の「日経MJ」の記事の内容である。

 とはいえ、クラウドファンディングは、新規開店の前の告知や固定客の獲得の手段として、あるいは、出資させることで店に対する愛着を客の心に植え付ける手段として使われているのであって、開業資金の調達が本格的に試みられているわけではないし、金銭面での利益を出資者に約束しているわけでもない。記事にあった

CF〔=クラウドファンディング〕は媒体

という言葉のように、クラウドファンディングは、一種の宣伝媒体のように利用されているのである。

 しかし、クラウドファンディングのこのような利用法は、飲食店には限られない。クラウドファンディングのサイトをいくつか見ればすぐにわかるように、他の事業でも、クラウドファンディングは、「応援して下さい」「支援して下さい」というお願いと一体になっているのが普通である。出資を募る側から見れば、一銭もカネを出さずに、いや、反対に、カネをもらって応援団やファンを作り出す仕組みであり、出資する側から見れば、カネを出して事業を応援する仕組みである。クラウドファンディングでは、普通の意味での出資に見合った金銭的な収益を得ることは想定されていないのである。この意味において、クラウドファンディングは、きわめて「ソーシャル」な仕組みであり、本質的にはソーシャルメディアであると言うことができる。

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 実際、クラウド ファンディングのサイトの中には、出資者がコメントを書き込むことができるようになっているものが多いが、そこには、「応援しています」「がんばって下さい」などのメッセージが溢れる。また、このようなメッセージを書き込んでいる出資者の多くは、事業主と知り合いだったりして、そこにはすでに「コミュニティ」ができ上がっていることもある。ここには、まるでカネだけを黙って提供するなど、見返りが欲しくて出資しているようになり、とうてい許されないかのような雰囲気、どこかで忠誠心を要求されているかのような窮屈な雰囲気が漂っている。

 クラウドファンディングのサイトでは、不気味なことに、出資者は、「支援者」とか「サポーター」とか「パトロン」と呼ばれる。フェイスブック上の知り合いが「友だち」と呼ばれるのと同じである。私など、「投資っていうのは、本当はそういうものじゃないはずだ」と心の中で抗議しながらも、怖気づいて足がすくんでしまう空気がここにはある。

 クラウドファンディングは、投資の仕組みではなく、本質的には「カネが動くソーシャルメディア」である。事業を始める者のファンになり、応援団になりたいのなら、クラウドファンディングを利用すればよいが、投資に見合った利益を金銭の形で求めるなら、株式や投資信託を選択すべきであろう。

 クラウドファンディングにおいて出資者に約束されているのは、金額に応じて、「お礼状」であったり「記念品」(?)であったり「開店イベントへの招待」であったりする。将来、クラウドファンディングのソーシャルメディア化が進行すると、いずれ、出資の見返りは「カネを出して応援した満足」などと堂々と書く事業主が現われないともかぎらない。しかし、このような段階になったら、そのとき、出資者が提供するカネは、もはや「資金」ではなく「お布施」であろう。

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