AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

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社会に出ると勉強しなくなる日本人

 しばらく前、次のような記事を読んだ。

「学び直し」しない日本の会社員人生は危ない | 高城幸司の会社の歩き方

 日本人は、大学をいったん卒業して民間企業に就職してしまうと、その後、「学び直し」による知識や技能や認識の更新がほとんど行われない。25歳以上で大学に入学する者の割合が2パーセントしかなく、これは、OECD諸国で最低である。それは、「学び直し」を阻碍する風土が企業にあるからである。上の記事には、このようなことが書かれていた。

大学は、社会に直に役立つことを学ぶ場所ではない

 もっとも、大学は、企業社会に奉仕するためにあるわけではなく、ビジネスに役立つことを勉強するための場所でもない。

 むしろ、一度社会に出たあとでふたたび大学で学ぶことの意義は、社会から距離をとり、企業の中に身を置いているかぎりは得られなかったような視点を社会について持つことである。

 企業が大学に何を期待しているのかは知らないが、大学には、企業の期待に応える義務はなく、大学での「学び直し」が会社員の「人材」としての価値を向上させる保証もない。大学は、企業の従業員を「オーバーホール」する場所ではないのである。

 自分を根本的に変革する覚悟をもって大学に戻るのでなければ、学び直しは単なる時間の無駄に終わる可能性が高いように思われる。

日本の大学は多様性を欠いている

 ただ、一度社会に出て働いた経験のある者が大学に戻ってくることは、大学にとっては得るところが大きい。というのも、キャンパスに多様性が生まれるからである。

 もともと、日本の大学の学生は、外国、特にヨーロッパやアメリカの大学の学生とくらべて均質的である。つまり、学生が大学で出会うのは、自分と同じような年齢、自分と同じような家庭環境、自分と同じような関心の学生ばかりであり、ものの見方や経験の点で、キャンパスライフから学ぶべきものは――ゼロではないとしても――決して多くはない。

 日本の大学生に留学が推奨されるとき、その理由として、海外の大学では、今まで知らなかったものの見方や考え方に触れることができるという点が挙げられることが多い。日本の大学のキャンパスが多様性に乏しいことを示している。

社会人の「学び直し」はキャンパスに多様性を与える

 だから、日本でも、アメリカの大学と同じように、10歳年長の学生、20歳年長の学生と机を並べることが普通の光景になるなら、勉強においてもその他の学生生活においても、大学は、にわかに活気に満ちたものとなり、大学全体のレベルが向上するに違いない。

 一度社会に出てから大学に戻ってきた学生は、勉強すること、あるいは学生生活を送ることに対して自覚的であり、社会生活において必要とされる知識をよくわかっているから、若い学生は、高校の延長のようなつもりで学生生活を送ることを当然と思わなくなり、社会と自分との関係に注意を向けるようになるはずである。

 以前、少人数の授業で「源実朝」について1人の学生に質問したことがある。そのとき、その学生は、源実朝が誰であるか答えられなかったのだが、答えられない理由として学生の口から出てきたのが、この記事のタイトルである。実際、現在の普通の大学生にとっては、「日本史を高校で履修していない」という事実が、源実朝について知らないこと、そして、調べることもせず「知らない」と答えることを正当化してしまうようである。

 もちろん、「日本史を高校で履修していないから、源実朝について知らなくてもかまわない」などということが社会で許されるはずはなく、知らなければ、調べて覚えるのは当然の義務であるけれども、極端に均質化された現在の大学では、学生がこの点を自然な形で気づく縁を見出すことはできない。社会人学生がキャンパスに増え、キャンパスが多様化するなら、「日本史を高校で履修していないから、源実朝について知らなくてもかまわない」など、大人の世界では通用しない意味不明の理屈であることが否応なく明らかになるに違いない。

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男性に対する嫌がらせを「家事ハラ」と呼ぶのをやめさせても、嫌がらせの事実がなくなるわけではない

 今から3年前に、「家事ハラ」という言葉を頻繁に目にしていた短い時期がある。発端となったのは、旭化成のコマーシャルである。


 このコマーシャルが「ありがちな状況」を再現しているのかどうか、私にはよくわからないが、少なくはない数の既婚男性がこのコマーシャルにリアリティを感じたのであろう。このような事実がなければ、これが放映されることはなかったはずである。

 しかし、このコマーシャルは、なぜか「炎上」した。このコマーシャルを気に入らない視聴者が特に女性に多いということは誰でも予想できるけれども、わざわざ文句をつけるほどのことでもあるまいと私は考えていた。今でもそう考えている。

 このコマーシャルにおいて「問題」とされる論点をまとめた記事はネット上にいくつもある。批判の大半に私は同意しないけれども、少数ながら考慮するに値するものもあったと思う。したがって、ここでは、どのような仕方で実際に批判されたのかは一々記さない。

「妻の家事ハラ」広告はなぜ集中砲火を浴びたのか?世間が納得できない家事・労働シェアの空論と現実

 「家事ハラ」という言葉は、「家事労働ハラスメント」の短縮表現であり、この「家事労働ハラスメント」の意味は、次の本に記されているとおり、「家事労働を貶めて、労働時間などの設計から排除し、家事労働に携わる働き手を忌避し、買いたたく」ことである。だから、主婦による夫への嫌がらせを「家事ハラ」と呼ぶのは不適切であるという意見は、それ自体としては間違いではない。

 ただ、この意見が適切であるとしても、嫌がらせの事実がなくなるわけではない。いわゆる「家事ハラ」について語られることがなくなったとするなら、それは、「言葉狩り」のおかげであり、事実が隠蔽されているにすぎないのである。

家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの (岩波新書)

 なすべきことは、上のコマーシャルで紹介されたような事態が――どのような名で呼ばれようとも――惹き起こされる理由を明らかにすることに尽きることになる。

男性が家事を「手伝う」という表現が怪しからんと言うが……

 とはいえ、「なぜ主婦が家事を手伝う夫に対し嫌がらせするのか」という問いが発せられるなら、この疑問文が最後まで声にならないうちに、一部の主婦やフェミニスト(男性を含む)は、次のように絶叫するに違いない。つまり、「そもそも『手伝う』とは何ごとだ」「家事は女がやるものだと思っているのは時代錯誤の差別主義だ」……。

 たしかに、夫婦が公平に家事を担うというのは理想である。実際、少なくとも40歳代より下の世代では、「家事は女がやるものか」という問いに肯定的に答える男性はもはや少数派であるに違いない。だから、夫に対する主婦の嫌がらせに対して疑問を持つ男性がすべて性差別主義者であるわけではなく、むしろ、大半の男性は、「性差別主義者」などという安直なレッテル貼りを警戒し、慎重な言動を心がけているはずである。

 問題は、このような「信条」の問題とは別のレベル、表面的なコミュニケーションのレベルにある。

家事の「水準」を勝手に決めない

 これは完全な想像になるが、いわゆる「家事ハラ」が起こることには前提がある。すなわち、家事の「水準」と呼ぶべきものに関し夫と妻のあいだに明確な合意がなく、妻が夫と相談せずにこの「水準」をひとりで決めているはずである。

 家事の「水準」とは、たとえば

    • 「家全体はどの程度まできれいに掃除されているべきか」
    • 「洗濯ものはどの程度まできれいに整頓、収納されているべきか」
    • 「食事はどの程度まで整ったものにすべきか」

など、家事の完成度のレベルを意味する。

 もちろん、妻がこうした点をひとりで決めているのは、あるいは、よく考えることなく自分にとって自然なレベルにこれを設定しているのは、大抵の場合、夫が意思決定に関与することを妻が妨害しているからではない。夫がこの問題に対する関心を欠いており、そのせいで、妻が自然と考える水準が、吟味を受けることなくそのままその家庭の家事の水準になってしまう場合は少なくないに違いない。

 したがって、妻が家事の水準を自分で決め、夫のする家事がこの水準に到達しないことに腹を立て、これが結果として嫌がらせを惹き起こしているのなら、つまり、自分の思いどおりに夫が動かないことにいら立っているのなら、家事の水準を見直す――具体的には引き下げる――ことが絶対に必要である。そして、そのためには、この問題について話し合い、当事者が合意することのできるレベルを明確な形で設定することもまた避けられないであろう。

 実際、家事の水準に対し夫が明確な同意しているのならばともかく、そうでないのなら、やはり、夫にとって、家事は、「やらされている」もの以外ではありえず、最大限に好意的に表現しても「手伝い」以上の意味をそこに見出しえないことは明らかである。

 たとえば、洗濯物にアイロンをかけ、きれいに畳んだ上で収納するのには、相当な手間と時間が必要となる。夫婦共働きの家庭にそのような余裕などあるはずはない。水準を引き下げ、たとえば、アイロンがけは最大限省略する。皺ができては絶対に困るもの以外は収納は適当にする、あるいは、選択の回数自体を減らす、などの変更をすべきであろう。

 同じように、塵一つ落ちていない床が理想であり、風呂場の掃除は毎日行われるに越したことはないとしても、時間と体力に限界があるのなら、また、夫がこだわらないのなら、生活に支障がない範囲で手を抜くことは好ましいことですらある。(夫だけがピカピカの家にこだわるのなら、自分で掃除させればよいのである。)

 食事についても事情は同じである。家族の健康を損ねることがない範囲において、食卓に並ぶのが冷凍食品であっても、宅配であっても、中食であっても、家族の同意があれば、何ら問題はない。

 私の場合、子どものころの家の中は、決してピカピカではなかった。また、出てくる食事は冷凍食品ばかりであった。(1970年代の冷凍食品は、悪夢のように不味かった。)シャツは、誰が着るものもおしなべてヨレヨレであった。収納が雑だったからである。(「シャツの皺なんて着ているうちにのびる」が母の口癖であった。)それでも、家族全員がこの状態に同意を与えていたから、誰も家事の水準に不満を持つようなことはなかった。当事者が満足しているかぎり、家事の水準など、家庭によってまちまちであって一向にさしつかえない。自分の家庭の家事の水準をよその家庭と揃えなければならないと考えるべきではないのである。

 夫婦で、あるいは、家族で、家事の水準に関する明確な合意を形成することができるなら、いわゆる「家事ハラ」が発生する可能性は、ゼロにかぎりなく近くなるはずである。

家事について夫が低い水準しか求めないのなら、妻もこれに合わせるべき(合わせられないのなら、ひとりでがんばるしかない)

 妻が専業主婦であり、「丁寧な暮らし」を望んでいるのなら、夫もまた「丁寧な暮らし」を望んでいるのかどうか、意向を確認することが絶対に必要である。

 「丁寧な暮らし」を妻が趣味として実践する分には、夫がこれに文句を言う理由はあまり見当たらない。しかし、みずから「丁寧な暮らし」の当事者になり、「丁寧な」家事の分担を望む夫は、圧倒的な少数派のはずだからである。

 だから、妻は、夫の意向を無視して家事に高い水準を求めてはならない。夫の目には、それは、妻の単なる自己満足と映るはずである。(反対に、夫が家事について高い水準を求め、かつ、家事の分担を嫌がるようなら、妻は「ふざけるな」「自分でやれ」と言えばよい。)共同生活である以上、それぞれの家庭の家事の水準は、家族で折り合うことのできるレベルとせざるをえないのである。

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ヒゲは出勤の時間帯に伸びている

 私は、ヒゲが伸びるのが早い(のではないかと思う)。だから、ヒゲが伸びていないかどうか、日中、顔を触ってときどき確かめる。特に、今年度になってから、朝早く家を出なければならない曜日が多くなり、そのようなときには、昼過ぎに顔を触ると、ヒゲが伸びているのがよくわかる。

 ところで、1日のうち、ヒゲが伸びるのは主に午前中、特に6時から10時くらいであるらしい。

アクセス - フェザーミュージアム

ヒゲが濃いのに皮膚がカミソリ負けしやすいときには、ヒゲを剃る時間を遅くするしかない

 それなら、1日に何回も剃ればよいではないかと思うかも知れないが、私の場合、フィリップスのシェーバーを使っても、1日に2回以上剃ると皮膚がヒリヒリしてくる。だから、今は、1日に1回、しかも、出勤の都合上、午前5時前後に剃るだけで済ませている。(しかも、週末には原則としてヒゲを剃らない。ヒゲ剃りにオフの日を設けないと、1日1回でも顔がヒリヒリしてくるからである。)

 ただ、残念ながら、私の場合、ヒゲを剃る時間の工夫は、今のところ、目に見える成果を産み出していない。私の皮膚がカミソリ負けしやすく、そのため、普通のカミソリではなく電気シェーバー、しかも、もっとも皮膚にやさしい――言い換えれば「深剃り」ができない――と言われるフィリップスの電気シェーバーを使っているせいかもしれない。(当然、床屋に行っても、ヒゲは剃ってもらわない。)

 そこで、私は、朝早く出かけなくて済むときには、午前10時以降にヒゲを剃ることにしている。普通の会社員がヒゲ剃りを1日1回で済ませたいなら、昼休みが最適な時間ということになる。

伸ばしっ放しにするか、脱毛するか――もっとも簡単なのは「刈る」ことかもしれない

 もちろん、何十年もヒゲと格闘する中で、伸ばしっ放しにする可能性や脱毛する可能性を考えたことがないわけではない。しかし、脱毛については、定期的に通うのに相当な時間と手間がかかることがわかり、伸ばしっ放しについては、周囲に与えるインパクトの大きさを予想し、いずれも諦めて現在にいたっている。

 もっとも簡単なのは、ヒゲを剃ることをやめ、ヒゲを「刈る」ことかもしれない。実際、ヒゲトリマーやボディグルーマーなどの製品が販売されている。

無駄毛-体毛処理-フィリップスのボディーグルーマー | Philips

Philips ヒゲトリマー

ヒゲを剃らずに――皮膚を傷めずに――短く刈り揃えることは、それほど困難ではない。決してヒゲを伸ばすことができない職場で働いているのでなければ、最適の解決策である可能性は高いように思われる。

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