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 旅に出ると、知り合いのために土産物を買いたくなることがある。あるいは、土産物を買って帰らざるをえないことがある。このようなとき、「誰のために何を買うか」は、それなりに厄介な問題であり、この問題を解決するために旅行中の時間を費やすと、せっかくの旅の質が損なわれる危険がある。ひどい場合には、土産物を買うために旅行しているような気分になることすらある。

 もちろん、土産物を渡す相手の好みや趣味(hobby) をよく知っているなら、相手の好みや趣味に合うものを選ぶことが可能である。たとえば、焼き物、記念のスタンプ、絵はがきなどを蒐集している相手には、コレクションを殖やすのに役立つ何かを土産物にすればよいであろう。

 しかし、現実には、旅のあと、何らかの土産物を誰かに渡さなければならないのに、相手の好みも趣味も不明であるという場合が少なくない。いや、義理で購入される土産物の大半は、好みも趣味も不明な相手のためのものであるように思われる。そこで、このような厄介な相手に対しどのような土産物を差し出すべきか、簡単に検討してみたい。

1. 一定の期間が経過したあと、消えてしまうものであること

 そもそも、このようなタイプの土産物を渡すのは、相手を喜ばせるためであるというよりも、むしろ、「自分が本当に旅行し、かつ、旅行中に相手のことを一瞬でも考えたこと」の証拠とするためである。そして、この点を考慮するなら、理想の土産物が満たすべき条件は、おのずから明らかになる。

 すなわち、何よりも重要なのは、土産物が、一定期間が経過したあと、速やかに消えてしまうことである。具体的に言うなら、賞味期限や消費期限が設定され、この期限内に消費されるか、あるいは、廃棄されてしまうものでなければならない。つまり、土産物にもっともふさわしいのは、食品である。

 ハンカチ、手ぬぐい、クリアファイルなどは、簡単に捨てることができないものであり、したがって、相手の生活空間をいつまでも占領し続ける。さらに、土産物を目にするたびに、所有者は、その由来を思い出すことになる。これらは、相手に心理的な負担を強いる土産物であり、避けた方が無難なものである。

 特に親しくもない相手の場合、大切なのは、土産物のブツとしての使用価値ではなく、土産物がたしかに引き渡されたという事実である。つまり、この「引き渡し」が終わるとともに速やかに消滅することは、よい土産物であるための第一の条件なのである。

2. 地元で製造されたものであること

 食品が土産物として好ましいのは、これが、大抵の場合、地元で製造されたものだからである。(たとえば、那覇市の土産物屋の店頭に並べられたもののうち、食品以外のかなりの部分は沖縄で作られたものではなく、さらに、その多くは日本製ですらない。)そもそも、「土産」のもの、つまり、旅先の現地に由来するものを持ち帰ることにより土産物は土産物となる。だから、厳密に考えるなら、土産物は、購入された時点では「可能的な土産物」にすぎないのであり、これが「現実的な土産物」になるのは、現地を離れたときであることになる。

 また、土産物は、現地で作られたものであるからこそ、「アリバイ」になる。だから、土産物は、旅先で製造されたものであることが絶対に必要である。購入するのが加工品であるなら、商品に貼付されているラベルで製造者をよく確認し、域外の企業や工場で作られたものを選ばないように注意するのがよい。

3. ネットで購入することのできないものであること

 そして、土産物と現地とのこのような関係を考慮するなら、ネットで購入することができるものを土産物に選ぶことは避けるのが望ましい。

 しかし、ネットで購入することが可能なものを土産物の候補から排除することは、2つの意味においてきわめて困難である。

 すなわち、第1に、「何がネットで購入することができないのか」を確認するのに手間がかかる。(つまり、事前の「予習」が不可欠である。)また、第2に、ネットで購入することができないものは、種類がきわめて少ない上に、入手に時間がかかる場合が少なくない。

 私の経験の範囲では、これまで述べてきた3つの条件のすべてを満たす土産物を手に入れることができる旅先は京都だけである。京都は、日本でもっとも多くの名産品を持つ街であり、時間をかけることが許されるなら、ネットで購入可能なものを排除し、「理想の土産物」に辿りつくことができないわけではない。しかし、京都以外で「ネットで購入することができない」という条件を満たすものを見つけることは、ほぼ不可能である。

 たしかに、たとえば沖縄を旅するなら、ネットで購入不可能なものに各地で出会うかも知れない。しかし、残念ながら、(沖縄に限らないであろうが、)このようなものは、地元で消費されるためだけに生産されたものであり、ギフトには適さないのが普通である。

 ネットで購入することのできないものは、よい土産物であるための条件であるけれども、この条件を満たすものを見つけることは、旅の準備のために使うことのできる時間や体力を考慮するなら、現実には無理であるのかも知れない。

土産物は、本来は、旅の充実の結果である

 とはいえ、形式的に考えるなら、土産物はギフトであり、相手にギフトを差し出すことは本質的に「贈与」である。贈与というのは、相手を喜ばせるためのものではなく、況して、アリバイ作りの手段でもない。つまり、土産物とは、みずからの旅の充実の証であり、旅の充実の自然な横溢なのである。したがって、旅先で不知不識に手に入れられたものが、相手のためにではなく、旅をした私自身のために分け与えられるとき、これが厳密な意味における土産物となるはずなのである……。