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 自分の人生を振り返ってみて気づいたことがある。学校や職場など、今まで何度も環境を変えてきたが、それは、「行きたい場所に行く」ためであるというよりも、「いたくない場所を逃げ出す」ためだった、ということである。

 「今の環境もそれなりにいいけど、もっといいところに行きたい」などと考えて環境を変えたことは、残念ながら一度もない。とにかく、自分にとって一番切実な問題はいつでも「どうやってここから逃げ出すか」ということで、基本的にはそればかりを考えて生きてきた。だから、脱出の手順を考える必要がない環境では、アタマがまったく働かない。

 たしかに、これまでの人生の中で(主に逃げるために)努力してやってきたことがそれなりに積み重なっているから、それを実績として前提すると、今後のおおよそのキャリアパスは何となく想像できる。ただし、自分の経歴は全部、いたくない場所を逃げ出して新しい環境に飛び込むことを繰り返しているうちに自然に出来上がったものにすぎないので、未来に自分の目標があるわけではない。無欲なのか計画性がないのかよくわからないが、しかし、そういう人間は多いのではないかとひそかに考えている。

 私の場合、幸いなことに、今の環境は「逃げ出したい場所」ではないが、一般的には、行き当たりばったりに逃げ出していると、じり貧になる危険はある。

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 また、追い詰められなければ何もしないから、当然、「してもしなくてもかまわないこと」については、「しない」という選択ばかりになる。「留学するといいよ」などとすすめられても、留学しないと不利益を被る可能性がなければ、もちろん、留学などしない。結婚についても同じである。しかし、これも人間の自然であって、特に変わったことではないであろう。

 私のような人間には、何らかの「危機感」が必要で、危機感がないと、生産的なことは何もしない。やっていることはただ一つ、つねにアンテナを立て、不穏な気配を察知したら、いつでも身をひるがえして素早く逃げ出せるよう準備を整えておくことだ。幸いなことに、その程度の危機感は、つねに持ち合わせているから、完全に眠り込んだような状態にはならずに済んでいる。

 ところで、何年か前、肥満に危機感を持ち、必死になって運動で体重を落とした。だから、今でも、カロリーは管理し、運動も少しは続けている。(少しノイローゼ気味だが。)今のところ、もっとも気をつかっているのは、職場の人間関係ではなく、老後の資金でもなく、今日の自分の体重なのだが、正直なところ、これはあまり愉快ではない。