Extremely Loud and Incredibly Close Movie Review (2012) | Roger Ebert
映画を観たり、小説を読んだりしているとき、ある時点でストーリーが予測できてしまうことがある。映画が明るい場面で始まったら、必ず暗転がこれに続くはずである。どのように暗転するのかはわからないが、ともかくも暗転することが予測できることは少なくない。このようなときには、映画なら観るのをやめる。小説の場合は、読むのをやめる。こうした作品は、私には重く感じられる。


 アメリカ映画の場合、基本的にはすべてハッピーエンドであるから、場面が暗転しても、ふたたび明るさが戻ってくることは最初から約束されている。つまり、どのようなひどい出来事が途中で起こっても、最後には、何らかの仕方で救われることになっている。

 しかし、そうであるなら、主人公が苦境に陥ったり、問題が発生したりするのに付き合うのは単なる時間の無駄であって、結末だけがわかればよいことになる。ただ、実際には、最初の15分くらい観たところで、おおよその結末まで予測できてしまう映画、したがって、結末を確認するまでもないものも少なくない。スリラーの大半は、結末で誰が生き残り、誰が死ぬか、最初から決まっているから、この意味では重く、かつ、面白くないと言うことができる。

 この観点から映画を評価するなら、どのようなハッピーエンドになるのか予測がつかないことは、すぐれた作品の条件の1つとなる。(もちろん、予測できなければ何でもかまわないというわけではない。内容が支離滅裂であるという理由で予測できないこともあるからである。)

 
 しばらく前、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(2012年に日本公開)という映画を観た。これは、9.11で父を失った少年が、一本の鍵を見つけ、この鍵が何を開くものなのかを探る「探検」をきっかけに立ち直る姿を描いた作品であり、批評家のあいだでは、それなりに高く評価されているようである。

 この作品の場合、これが何らかの意味でハッピーエンドであることは、観る前からわかっているが、具体的には、どのような大団円が待っているのかは、予測することができない。最後まで観てからストーリー全体を振り返れば、実に単純な構造の作品であることがわかるのだが、少なくとも私には、どのようなハッピーエンドになるのか、まったく予測できなかった。最初から最後まで観ることが時間の無駄にならなかったという意味では、すぐれた作品だと思う。


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トム・ハンクス
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2013-02-06