Family Dinner

 ダイエットの不幸というものがあるとするなら、それは、食べたいものを食べられないことにあるのではない。自分の好物を目にしたとき、これを食べたいと思う素朴な気持ちが失われてしまうことであり、自分の好物を食べるということが、「あとさきを考えない愚かなふるまい」のように思われてくることである。食べたいものを食べたいと思う気持ち自体が損なわれるのがダイエットの不幸なのである。

 そして、この不幸は、たとえ減量に成功するとしても、消えることはない。ダイエットを長く続けているうちに、食べたいと思えるものが少なくなり、何を見ても、「これを食べるとブタになるのではないか」「血糖値が急激に上がるのではないか」というようなことばかりが気になり、美味しそうに見えなくなる。そのうち、食べること自体が苦痛になる。

 食生活に関係する健康情報というのは、基本的にすべて「うしろ向き」である。つまり、いかに健康になり、いかに若々しくなるかを教えるものではなく、いかに病気のリスクを減らし、いかに老化のスピードを抑えるかを教えるにすぎない。だから、健康情報を手がかりに食生活の改善を試みると、病人のような気分を味わわされることになる。

 残念ながら、ダイエットを一度始めたら、この不幸から逃れる術はない。食べることへの気がかりが、自分のあとを影のようにどこまでもついてくるからである。これで苦しい思いをしている人は少なくないであろう。私も、あまり楽しくない思いをしている一人である。

 テレビドラマの「孤独のグルメ」を観ていると、主人公の井之頭五郎が丼からメシをかき込む場面がよく出てくる。製作者は、「うまそう」という声を視聴者に期待しているはずである。しかし、糖質、特に白米による糖質の摂取が血糖値を急激に上げ、それが血管や内臓を傷つける危険があり、これが動脈硬化を惹き起こす可能性があるという知識を持っている視聴者は、井之頭五郎がメシをかき込むシーンを見ても、「うまそう」とは思わず、むしろ、「ああ、命削ってるんだな、大変だな」としか思えなくなる。(私も、そう思って見ている。)そして、同じシーンを見て「うまそう」などと言っている人間を見ると、そういう人間の無知を憐れむ。

 しかし、よく考えてみると、本当に憐れまれるべきなのは、井之頭五郎について「ああ、命削ってるんだな、大変だな」などという感想を持つ私のような人間であるのかも知れない。白いメシを腹いっぱい食べることの素朴な楽しみには、もはや決して与ることができないからである。

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ダイエットの不幸を克服するヒント : アド・ホックな倫理学

前に、ダイエットによって背負うことになる不幸について書いた。ダイエットの本当の不幸は、食べたいものが食べられなくなることではなく、食べたいという素朴な欲求が損なわれることであるというのが、その内容であった。ダイエットの不幸 : S氏のブログダイエットの不幸