NoPhone

 今日のウォールストリート・ジャーナルに、次のような記事が載っているのを見つけ、少し興奮した。
何もないスマホ「ノーフォン」に秘められた機能とは

 ここで取り上げられているのは、NoPhoneと呼ばれる「スマートフォン」である。下の公式ウェブサイトにあるように、この電話機には、何の機能もない。(だから、ある意味では、スマートフォンサイズの黒いプラスチックの函にすぎないとも言える。)価格は10ドルである。カップルで「使う」場合を想定し、2個なら18ドルとなる。「ファミリープラン」と名づけられた5個のセットは45ドルである。また、画面の部分が鏡になった”NoPhone SELFIE”も販売されており、これは18ドルである。

 さらに、最近は、”NoPhone Air”なる「新型」が発表された。これは、NoPhoneから筐体を取り除いたものであり、単なる空気である。(だから、包装のパッケージだけが販売される。)まだ販売は始まっていないが、1個3ドルのようである。

The Official NoPhone Store

 私は、以前から、スマートフォンが有害であると考えてきた。

24時間「デジタル断食」のすすめ 〈体験的雑談〉 : アド・ホックな倫理学

デジタル断食してみた 今年に入ってから、「デジタル断食」を何回か自宅で実行した。期間は、1回につき24時間であった。 デジタル断食またはデジタル・デトックス(digital detox) は、インターネット接続を完全に遮断した状態で時間を過ごすことを意味する。ネットによって



スマホを手放せない人間は障碍者だと思って今後は同情することにした : アド・ホックな倫理学

他人との交流の多くがネットで行われる中、あえてSNSを利用しないティーンがいる。友達からの「いいね」を求める生活を拒否し、フェイスブックやインスタグラムも利用しないが、彼らは何を得て何を失っているのだろうか。情報源: 米国ではSNSに背を向ける10代も - WSJ


 日常的にスマートフォンを使わざるをえないのなら、せめて1週間のうち連続した24時間、デジタル機器の電源を完全に落とすべきであり、パソコンでも用が足りるなら、スマートフォンなど最初から持つべきではないというのが私の意見である。ウォールストリート・ジャーナルの記事を俟つまでもなく、スマートフォンが社会の健全性を損ねていることは明らかだからである。

 もちろん、これはラッダイト運動ではない。私が理想とするのは、すべてのデジタル機器を社会から追放し、100年前の世界へと戻ることではなく、どのような場面でつながり、どのような場面でつながらないか、これをコントロールする本能と権限が私たち一人ひとりの手に戻ってくることである。そのためには、スマートフォンのどれになって、ゲーム、SNS、ニュースなどを餌に分別を奪われ、そして、時間とエネルギーと健康を吸い取られて行くことに断固として抵抗し、自己支配を目指すことが必要となる。

 NoPhoneの企画は、単なる冗談ではない。デジタル機器とインターネットに縛りつけられた、あるいは、デジタル機器に対する依存症に陥った私たちの生活のあり方に対する危機感の反映なのである。NoPhoneは、このような危機感の記号として受け止められているからこそ、すでに1万個以上が製造、販売されていると考えるのが自然である。

 スマートフォンをどうしてもいじりたくなったときには、このNoPhoneを手にすると、スマートフォンを使って何をしようとしているのか、冷静になって考えることができるはずである。これがNoPhoneのただ1つの、そして、本当の機能であるに違いない。