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 東京のうち、隅田川よりも東に住んでいる人々には実感がないかも知れないが、東京23区の西の端で生れ、今も東京23区の西の端で暮らす私などにとっては、隅田川の向こうは一種の「異界」である。隅田川を向こうに渡ると、「ああ、東京の東だなあ」という(地元の人々にはおそらく意味不明の)感想が思わず口から出るのである。私は、職場の近くに住んでいるから、東京の東の方に行く機会はあまりないが、数日前、所用があって清澄白河に行ったときには、その雰囲気にいくらか居心地の悪さを覚えた。

 東京の東のエリアには、特有の空気がある。この空気に慣れない私のような者は、いつもこれに圧しつぶされそうになる。いや、圧しつぶされるというのは正確ではないかも知れない。というのも、東京の西の方と比較すると、東の方が、空気はむしろ軽いはずだからである。

 私にとって、隅田川より東にあるのは、「ゴチャゴチャしていない街」「風通しがよすぎる街」である。整然と区画された街並み、直角に交差する広いまっすぐな道路が規則正しくどこまでも続く。これは、東京の西の方、特に新宿より西では滅多にお目にかからない光景である。このような街には、当然、「路地」というものが原則として見当たらない。路地があるとすれば、それは何かの偶然で区画整理の対象にならなかったからにすぎない。

 六本木、西荻窪、高円寺、下北沢、原宿、麻布、赤羽、さらに、東急線や西武線の沿線にある小さな街……、東京の西にあるこれらの街の個性を作るのは、表通りの街並みではなく、表通りからどこへとも知れぬ奥へと延びる曲がりくねった路地である。路地に作られた住宅や商店が時間の経過とともに少しずつ交替しながら、空間が「人間化」されてきたのである。

 これに対し、隅田川の東岸には、路地がほとんどなく、自然発生的に作られた雑然とした街並みがない。本当は、私の住む地域などとは比較にならない歴史を背負っているはずなのに、街を歩いていても、歴史の厚みやありがたさを感じ取ることができない。これが、隅田川の向こうの不思議なところである。

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23区格差 (中公新書ラクレ 542)

 最近、隅田川の東側の住宅地としての再評価が進んでいるようである。もちろん、路地は防災の敵であり、合理的に計画された都市の方が、少なくとも表面的には、快適に生活するための条件が整備されていると言えないことはないかも知れない。

 しかし、このような計画的に作られた街には、時間の経過にともなう「人間化」を受け容れる余地は、もはやあまり遺されてはいないように見える。清澄白河と言えば、倉庫のリノベーションが有名であるし、実際、古い倉庫や住宅の1階に、飲食店や雑貨屋が入り、ウッカリしていると見過ごしてしまうような小さな看板が出ているのをいくつも見かけたが、リノベーションは、街を「観光地化」するかも知れぬとしても、街を「人間化」するのにどのくらい有効であるのか、私は疑問に思っている。