Le Creuset

 独り暮らしの食生活は、あまり健康的ではないのが普通である。スーパーマーケットで売られている生鮮食品、特に野菜の最小単位は、独り暮らしを想定した分量ではない。また、在宅している時間が短いと、帰宅後には、料理する気力など残されてないかも知れない。脂質や糖質が多すぎる食事が続いたり、あるいは、そもそも食事――特に朝食――を抜いたりすることになるのは、独り暮らし生活の実態を考えるなら、やむをえないことであると言うことができる。

 しかし、それなりの時間と体力を使って健康的な食事を続けることを決心しても、実現するのは簡単ではない。

 まず、上に述べたように、スーパーマーケットで買ったものをすべて使いきることが難しい。さらに、時間と体力と気力を捻出するのにも工夫が必要である。普通のサラリーマンの場合、休日、早朝、夜間など、貴重なオフの時間を料理のために使わなければならないはずである。料理が好きならば話は別であろうが、健康を維持するためだけに自炊することは、苦痛ばかりが大きいように見える。(なお、栄養の計算は面倒であるように見えるけれども、実際には、料理のたびにネットで検索する作業を1ヶ月くらい続けると、材料を見ただけで大雑把なカロリーがわかり、脂質、タンパク質、糖質のうち、どれが過剰であり、どれが不足しているかも、大体わかるようになる。)

 しかし、独り暮らしであるにもかかわらず健康に配慮した食生活を続けようとする者が何よりも警戒しなければならないのは、料理の「餌化」の問題であると私は考えている。「餌化」とは、文字通り、餌になってしまうという意味である。

 料理に使う時間と体力と時間を最大限まで節約しながら、食品を廃棄せずに使いきる、この2つを一度に実現させる方法がある。それは、全部をまとめて煮ることである。具体的には、「鍋」または「カレー」としてまとめて調理してしまうことである。栄養学的に好ましいと考えられている量と種類の野菜や肉をすべて鍋に放り込み、煮込んで味つけするのであるから、「作り方」を覚える必要はない。これほど簡単な料理は他には考えられないのである。

 私は、大量の野菜を使って巨大な鍋一杯のカレーを作り、小分けにして冷凍庫で保存して3週間にわたって食べ続けたことがある。また、秋から冬にスーパーマーケットに並ぶ「鍋の素」を大量に買い込み、味を変えながら1ヶ月くらい毎日一人分の鍋を作って食べ続けたこともある。たしかに、野菜の嵩は、煮込むことで減るから、必要十分以上の量の野菜を簡単にとることが可能となる。どうしようもなく飽きることを度外視するなら、鍋とカレーは自炊する者にとって理想の料理であるように見える。

 ただ、少し冷静に考えてみると、毎日の食事が鍋とカレーばかりであると、次のような状態になる。すなわち、副菜を別に用意しないかぎり、1回の食事で口にするものは、すべて同じ味つけになる。また、副菜がなければ、1回の食事で目の前に置かれる器は、基本的に1つである。さすがに私自身は、鍋(調理器具)から直接に食べることはしなかったけれども、調理した鍋料理を鍋(調理器具)からそのまま食べることは可能であり、この場合、食器は不要になる。しかし、これは、箸やフォークを使うことを除けば、犬がドッグフードを食べたり、ネコがキャットフードを食べたりするのと構造としては同じであり、「食事する」というよりも、「餌にありつく」と表現するのがふさわしい行動である。(ひとりで鍋を食べているところを鏡に映すと、犬やネコにそっくりであることがよくわかってげんなりする。)

 素材となる食品を鍋やカレーにまとめることは、独り暮らしが食生活の健康を維持するためには有効であるけれども、放っておくと、料理はかぎなく「餌」に近づく。この「餌化」を避けるためには、「一汁三菜」などと表現される食事の構成を鉄の意志で堅持する覚悟が必要である。しかし、これは、ただでさえ残り少なくなった気力や時間や体力を独り暮らしの人間からさらに奪うことになるに違いない。