Tesco Schools and Clubs vouchers 2011

 昨日、次のような記事を見つけた。

高校成績「4」以上→月3万円 給付型奨学金の自民案:朝日新聞デジタル

 現在の日本では、大学生を対象とする奨学金のほぼすべてが貸与型、つまり、返済を必要とするタイプの奨学金である。これに対し、外国、特に他の先進国では、奨学金というのは、基本的に給付型であると言われている。日本と同じように、外国でも、奨学金の多くは貸与型であるけれども、日本で「貸与型」と呼ばれている奨学金は、外国では「奨学金」ではなく「学費ローン」と呼ばれている。「外国では奨学金はすべて給付型」という誤った情報が流通しているのは、そのためである。

 ところで、「評定平均が4以上であることを条件に月3万円」という方針は、支給の基準の点でも、支給額の点でも、いくらか問題があるように思われる。

金額は十分だが、支給は現金ではなくバウチャーで行うべき

 まず、支給額について言うなら、月に3万円というのは、「奨学金」が学業を支援するためのものであり、生活費ではないということを考慮するなら、十分すぎるほどである。実際、授業料を除く学業に直接関連する支出が年に36万円を超える大学生というのは、日本の場合には決して多くはないはずである。だから、「3万円分を稼ぐために必要なアルバイトを減らして、その分、勉強に時間を使って下さい」という趣旨は、それ自体としては何らおかしなことではない。

 ただし、月額3万円を支給する場合には、これを現金ではなく教育バウチャー(school voucher) としなければならない。つまり、学業目的に限定されたクーポンを配布し、これによって学生自身がサービスや現物を購入することで学業の経済的負担を軽減するシステムとすべきなのである。(学費と生活費を峻別し、奨学金を学費としてしか使えないようにするということである。)年に36万円の学費をバウチャーとして支給しても、(授業料の支払いにバウチャーが使えなければ、)これを全額使いきることのできる学生は一部にとどまるはずである。

 3万円という金額は、学業のための支出としては――特に学部生にとっては――決して少額ではないが、学生1人の1ヶ月の支出と比較するなら、もちろん、決して高額ではない。現金で支給すると、生活費と区別がつかなくなり、「ありがたみが減る」ということがあるに違いない。

希望者全員にセンター試験(またはこれに代わる試験)を受験けさせ、その成績によって受給者を決めるべき

 さらに、支給の基準について言うなら、これには3つの問題点がある。

 第一に、誰が考えてもすぐにわかるように、「評定平均が4以上」であることは、本人の成績がすぐれていることをいささかも保証しない。なぜなら、成績評価の基準は学校によってまちまちだからである。異なる学校に在籍する同じ「評定平均」の生徒を比較するなら、その学力がまったく異なることはただちに明らかになるであろう。

 第二に、評定平均というのは、本人の学力を単純に反映するものではなく、本人が教師に与える印象に大きく左右されるものであり、学力の指標にはなりえないものである。(だから、推薦等の特殊な入試を除き、大学入試では、合否の決定にあたり、高校での成績は一切考慮されないのが普通である。)何としても奨学金の給付を受けたい、あるいは、(奨学金の趣旨にはいちじるしく反することであるが、)奨学金がないと生活できないという事情を訴える生徒について成績が操作される惧れは十分にあり、反対に、教師に与える印象がよくない生徒は、評定平均に悪影響が及び、奨学金が受給できない可能性がゼロではない。このような恣意的な操作によって、すでに指標としての信頼性がない評定平均の信用がさらに損なわれる危険は十分にあると私は考えている。

 そして、第三に、大学に入学する者の中には、「評定平均」という数字を持たない者がいることを忘れてはならない。たとえば、生活上のさまざまな事情によって高校を卒業せず、「高卒認定」に合格して大学に入学してきた者には、受検した各科目の得点が記された成績証明書を提出することができるだけであり、そこには、「評定平均」などという数値は記されていない。自民党が構想する奨学金が1年のうちどの時点で受給者を決定するのかわからないが、入学前に確定するなら、これは、「高校出身者優遇」という一種の不公平を生むことになるはずである。

 全国の大学はほぼすべて、「AO入試」「自己推薦入試」などの名で呼ばれる特別な入試を何らかの仕方で実施している。これは、高等学校からの推薦や内申書がなくても出願することができるタイプの入試である。しかし、実際には、このような入試の多くは、高卒認定の合格者に受験資格を与えていない。(受験資格に「高卒認定」を含めていない大学もあれば、出願の際に「課外活動での実績」を報告するよう求めることで高卒認定の合格者を事実上排除している場合もある。)給付型奨学金については、高校を卒業しなかった者たちが不利益を被ることのないよう配慮すべきである。そして、そのためには、たとえば、奨学金の受給を希望する者全員にセンター試験(またはこれに代わる試験)を受験させ、その成績を受給者の決定の唯一の基準とするのがふさわしいように思われるのである。

 給付型奨学金は、国税を財源とするものであるから、外国人には原則として給付すべきではない。また、費用対効果(学業を終えたあと、どの程度の富を社会に還元するかという点)を考慮するなら、受給者の決定において学力を基準とすることは必要である。(奨学金の目的は生活の補助ではなく学業の支援にある以上、これは当然である。)しかし、「評定平均が4以上」という雑な基準に従って現金をバラまくことは、税金の単純な無駄遣いと瞬間的な人気とり以外の何ものにもならないように私には思われるのである。

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