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 今日、下のような記事を見つけた。

1月2日の年賀状配達、17年から中止 日本郵便

 1月2日の年賀状の年賀状の配達が来年からなくなるようである。

 よく知られているように、年賀状というのは、年始の挨拶の代用品であり、年賀状に非常にながい歴史があるわけではない。また、「年賀状」という言葉を耳にして誰もが連想する「お年玉付き年賀はがき」は、1949(昭和24)年に最初に販売されたものであり、発売から70年も経っていないごく新しいものである。「年賀状の販売枚数が減った」「年賀状を出す人が減った」などの事実が否定的に報道されることが少なくないけれども、これが本当に悲しむべきことであるのか、私には判断することができない。

 そもそも、普通の会社員なら、元日に確実に配達されるよう年賀状を調達し作成し投函するなど、物理的にほぼ不可能であるし、冷静に考えてみれば、ブツとしての年賀状をわざわざ届けるに値する相手がそれほどたくさんいるわけではないかも知れない。しかも、現在では、正月休みはわずか数日しかなく、雑用に忙殺されて疲労困憊するだけのつらい期間に成り下がっている。(私が独身でよかったと思うのは、年末まで長時間労働を強いられた男性が正月に「家族サービス」の追い打ちをかけられているのを街で見かけるときである。)正月にどうしても誰かに挨拶したいのなら、メールに代表される電子的な手段でメッセージを送れば済む場合がほとんどであるに違いない。

 私自身、毎年一応年賀状を購入し、作成し、投函しているが、その数は年とともに減っている。年賀状の宛先は、ほぼすべて目上(≒高齢者)であり、この数年は、宛先のリストに新しい名前は加えられていないからである。

 昔は、仕事の関係で新しく知り合いになった相手には年賀状を出すことにしていた。年賀状を出すのが礼儀だと信じていたからである。しかし、最近は、この「年賀状を出すのが礼儀」という感覚が妥当なのかどうか、疑わしく感じられるようになり、基本的には年賀状の枚数を増やさないことにしている。また、私が年賀状を出しても、返事が戻ってこないことも少なくない。

 年賀状は、郵便局がどれほど宣伝しようとも、いずれ廃れて行き、高齢者のあいだで細々と維持される習慣になることを避けられないはずである。しかし、年賀状というのは、「去年お世話になったから今年は書く」というものではなく、継続して毎年届けることに意義があるものである。したがって、今年まで続けて出していた相手には来年も原則として出し続けるのが無難であると私は考えている。もちろん、「来年からは出さない」と宣言し、年賀状と縁を切ることは不可能ではないが、それもまた、それなりに手間のかかる作業であるようにも思われるのである。