The Ladies at Ruth's

男性の「おひとりさま」は困難か

 しばらく前、次のような記事を見つけた。調査の結果、男性の4割がひとりで外食することができないことが明らかになったというニュースである。

「1人で外食」は「恥ずかしい」? 「できない」派、こんなにいた

 たしかに、私も、ひとりで外食する機会は必ずしも多くはない。私自身は、外食するのが「恥ずかしい」とは思わないが、冷静に考えてみると、出先で外食することを思い立ったとき、その時点で視界に入った飲食店の10軒に4軒は最初から「パス」する。入りにくいからである。

 男性が入りにくいと感じる店にはいくつもの特徴があり、それは、決して1つではないであろう。ただ、これらの特徴が全体として「入りにくい雰囲気」を作り出していること、そして、最近では、相当な数の飲食店がこれらの特徴を共有していることは確かである。

飲食店の大半は、男性を客だと思っていない

 私は飲食業界で働いたことがあるわけではなく、したがって、これは、あくまでも客としての狭い経験の範囲内での感想になるけれども、居酒屋や(蕎麦屋やラーメン屋を含む)一部のファストフード店を除くと、飲食店の店作りは、基本的に女性客を標的としていると言うことができる。そして、これもまた私の個人的な印象になるが、この点は、高級な――つまり「客単価」が高い――飲食店ほど顕著であるように思われる。つまり、客にたくさんのカネを使わせるタイプの店は、男性のあいだに得意客を見つけるつもりなど最初からないように見えるのである。実際、しばらく前、新宿のある飲食店が「男性のみの入店お断り」を掲げたことがニュースになった。

「『男性のみ』お断り」のイタ飯店 「差別」指摘受け、取った対応

 飲食店が女性客を標的とする店作りにいそしむ理由は明らかである。女性の方が男性よりも可処分所得が多いのである。

 男女の所得の格差がこれほど問題になっているにもかかわらず、不思議なことに、消費の場面では、女性の方がはるかに多くのカネを使ってきた。つまり、戦後日本の女性の消費生活というのは、本質的に「返済不要の借金による豪遊」(?)のようなものであり、以前に書いたとおり、私は、これが戦後の日本の文化と消費生活の堕落の最大の原因であると考えている。

専業主婦は文化の貧困の原因 〈私的極論〉 : アド・ホックな倫理学

女性の社会進出、正確に言うなら、女性が自活することができるだけのカネを稼ぐことは、日本文化の将来にとり、きわめて重要である。実現可能性をあえて完全に無視して言うなら、自分で自分の生活費を稼ぐことなく、いわば「専業主婦」として暮らしている女性をすべて家庭



 客単価の高い飲食店で食事する女性の大半が支払うのは、自分の所得をはるかに超える金額である。これでは、目の前に並ぶ料理の質を価格との関係で厳しく吟味し批評する「眼」など養われはずはない。しかし、事情がこのようなものであるなら、飲食店が「価格に見合う味の追求」ではなく「味音痴が散財したくなる雰囲気の追求」を優先させるようになること、また、財布の中味と相談しながら食事するような男性客が歓迎されないこと、したがって、男性がひとりで飲食店に入りにくくなるのは、当然なのである。(だから、私は、飲食店の評価に関する女性の口コミは基本的に信用しないし、女性が執筆したレストランやカフェのガイドブックの類もあまり信用しない。)

自分で稼いだカネで食事する者が主役となる外食文化へ

 数年前、所用で京都に行ったとき、昼どきにある飲食店に入った。それは、それなりに「お洒落」な雰囲気の店であったから、当然、私を除き、客は全員女性であった。私は、若い女性の集団に囲まれたような席でひとりで昼食をとったのだが、そのあいだ、周囲の冷ややかな視線をずっと感じた。すぐ近くの席にいた(おそらく20代前半の)女性数人が私のことをジロジロと眺めていたのを今でもよく憶えている。

 私は、店から入店を断られないかぎり、周囲の客が私についてどう思おうと、それは彼女たちの問題であって私の問題ではないと割り切り、一切気にしないことにしているが、あまり気持がよくないことは事実である。

 しかし、女性――ということは、自分の所得を超えるカネで豪遊する客――を得意客とする飲食店を野放しにすると、日本の外食文化は、とどまることなく堕落するとともに、男性は、文化としての外食から締め出されてしまう。したがって、男性は、この状況にあえて逆らい、「お洒落」なカフェやレストランにあえて入ることが必要である。店に入ったとき、そこにいる客が全員女性であっても、怯えてはならない。場数を踏むうちに、客の性別など気にならなくなる。これは、飲食店に対する「宣戦布告」であるとともに、外食全般の嘆かわしい状況に対する「宣戦布告」でもある。「自分で稼いだカネで食う者が飲食店の評価を決める」のが正常な姿であり、この正常な姿を取り戻すためには、男性、特に必ずしも若くはない男性は――配偶者が何と言おうと――あえて困難な道を歩まなければならないように思われるのである。