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どれほど頑張っても、若者には老人のものの見方を理解することができない

 髪が薄くなったり、疲れやすくなったり、食欲がなくなったりすると、齢をとったなと感じる。また、若いころにはなかったようなタイプの身体の不調を覚えるときにも、年齢を感じることがある。

 しかし、日常生活にはいろいろな関心事があり、身体や年齢のことをいつもクヨクヨと考えているわけではなく、他のことに紛れていつのまにか忘れてしまう。しかし、ふたたび身体の変化に注意が向くと、しばらくのあいだ齢のことを考える。こうしたことの繰り返しの中で、少しずつ時間は経過し、そして、本当に齢をとることになる。

 もう20年近く前、老人の身体を若者が体験するための器具がテレビで紹介されているのを見たことがある。この器具を身につけて生活すると、バリアフリーの意義を実感したり、老人の気持ちを理解したりすることができるようになる……そうである。検索したら、現在は、「高齢者疑似体験セット」などの名でいくつかのメーカーから販売されているようである。

ヤガミ - 高齢者疑似体験セット - 保健福祉|理科機器・保健 福祉・救急救命・施設設備機器・工業用電気ヒーターのヤガミ

 たしかに、これは、おもちゃとしては面白いであろうが、実際の問題解決にはあまり役に立たないように思われる。理由は2つある。

老人は時間によって作られる

 第1に、10代、20代の若者がこの疑似体験セットを身につけて生活を送れば、疑似体験セットの有無で身体の活動能力が違うことを比較によって実感することができる。しかし、当たり前のことであるが、老人は、疑似体験セットを身につけるのと同じように一気に老人になったわけではない。20代の若者が70代の老人になるには、50年という歳月がかかったのであり、20代の若者は、50年のあいだに、小さな「老いのきざし」を少しずつ積み重ね、この「老いのきざし」に適応するように行動パターンを少しずつ変化させながら70代の老人になったのである。だから、若者が疑似体験セットで老人に変身したときに味わうほどの苦痛を、本物の老人が経験しているわけではないと考えるのが自然である。

 したがって、第2に、老人は、疑似体験セットを身につけ「いきなり老人」となった若者とは異なり、精神の発達状態がよほど幼稚な段階にとどまっているのでないかぎり、「若いころはできたことが今はできないのはつらい」などと一年中、朝から晩まで考えているわけではないはずである。なぜなら、身体的な事情によって行動が制限されるとともに、思考の枠組も一緒に変化してこの制限に適応しようとするからである。「いきなり老人」は、「この身体の状態では富士山に登れなくてつらい」と思うかも知れないが、富士山に登る体力を持たないなら、本当の老人は、そもそも富士山に登りたいとも思わないであろうから、富士山に登れないことに苦痛を覚えることもないはずである。

 「若いころはできたことが今はできないのはつらい」と思わなくなることを「意欲や気力の減退」と呼ぶことができないわけではないが、身体的な行動能力とものの見方、つまり心身のあいだにある種のバランスが維持されているのなら、そこには何ら問題はないと考えるのが自然である。「いきなり老人」となった若者には、疑似体験がどれほど積み重ねられても、老人の考えていることはわからないに違いない。