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雑誌を保存する2つの動機

 しばらく前、次のような記事を見つけた。

書籍が雑誌上回る 16年売り上げ、41年ぶり

 同じ日の読売新聞の見出しは、「休刊・電子版移行相次ぎ、雑誌販売が書籍下回る」となっている。書籍の売り上げが雑誌の売り上げを上回ったと考えるべきなのか、それとも、雑誌の売り上げが書籍の売り上げを下回ったと表現するのがふさわしいのか、同じ事実を指していることは確かであるけれども、少なくとも、書籍の売り上げが伸びているわけではないことを考えると、やはり、雑誌の方が「下回った」と理解するのが自然であるように思われる。

 ところで、蔵書の中に雑誌がある割合で含まれていることがある。たしかに、雑誌というのは、形状という点では「本」であるけれども、一般の書籍とは区別されることが必要であるように思われる。

 雑誌というのは、書籍とは異なり、1冊で完結したものではなく、前後の号とあわせて全体として情報を逐次的に伝えるものである。したがって、雑誌の記事は、将来のいずれかの号においてアップデートされる可能性があることを前提として掲載されたものであることになる。つまり、ブツとしての雑誌には賞味期限が設定されているのである。

 とはいえ、私たちは、雑誌を保存することがある。そして、その動機は、大抵の場合、次の2つのうち、少なくともいずれかである。すなわち、

    1. 雑誌に掲載されている特定の記事が必要であるか、あるいは、
    2. 雑誌全体が何かの記念であるか、

これら2つのいずれかであるのが普通である。1の場合、ブツとしての雑誌1冊を本の形で手もとに置く必要はないし、2に該当する雑誌を手に取って見返すことはないから、これは、もはや蔵書ではない。

 たしかに、書籍を手もとに置く場合にも、これら2つのいずれかが理由になる場合があるが、それは、比較的特殊なケースであろう。

特定の記事が必要なら、切り抜いたりスキャンしたりして「書類」として保管する

 まず、雑誌のある号に掲載された特定の記事を保存する必要があるなら、これは、切り抜いたり、スキャンしたりすることにより、雑誌本体を廃棄することが可能となる。雑誌を丸ごと残しておくと、場所を占領するばかりではなく、なぜ手もとにあるのかわからない大量のデータが蔵書に紛れ込み、これが蔵書の秩序を攪乱するノイズにもなる。

 雑誌というのは、「かさばる」という印象を私たちに与えるが、それは、不要な記事が大量に含まれているからである。必要な記事だけ手もとに残し、本としてではなく「書類」として保管し、必要な部分が切り取られて残ったものは廃棄してしまえば、蔵書のダウンサイジングに効果的であるし、蔵書からノイズを除去するのにも役に立つ。

 なお、スキャンされPDFとして保管される記事は、空間を占領しないけれども、物理的に切り抜かれたものには、整理が必要である。

 この場合、記事のサイズがすべて同じなら、そして、ある程度以上の分量になるのなら、穴をあけ、サイズに合ったリングファイルやペーパーホルダーに綴じるのが美的であろうけれども、記事のサイズがまちまちなら、記事が大きくても小さくても、すべて、A4のクリアファイル、あるいはクリアブックに挟んでおくと、サイズが統一され、書類の整理に便利である。(封筒に入れて整理する――「超整理法」式に――と、中身が見えなくなり、紛失、散逸のおそれがある。)

雑誌を何かの記念に保管する場合には、蔵書ではなく「記念品」として扱う

 ところで、雑誌には、何らかの記念という意味合いがある場合がある。たとえば、自分の名前が載っている雑誌の場合、自分の名前が載っている部分だけを切り取って保管するのではなく、やはり、1冊全体を手もとに残さざるをえない。

 ただ、この場合、雑誌を見返す可能性はほとんどないから、蔵書として扱うのは適切ではない。蔵書というのは、つねに少しずつ出し入れがあり、変化して行くものである。だから、手に取られることはないが、しかし、捨てられることもないようなものを蔵書に含めるべきではない。

 酸化、変色を防ぐため、Ziplocのように密閉することのできるビニール袋に入れ、たとえば写真のアルバムや恋人からの手紙などと一緒に、日光の当たらないところに保管するのが適切である。

 とはいえ、残念ながら、私自身、このような整理の原則を徹底させることができていない。私は、紙媒体の学術雑誌を、自分から求めて入手したものについてはすべて保管している。値段が高く、廃棄するのがもったいないからである。しかし、自分が書いたものが載っている号以外、見返すことは滅多にない。(というよりも、中には、1度も開いたことがない号もある。学術雑誌では、大抵の場合、表紙が目次を兼ねているから、表紙を眺めるだけで、読むに値するものの有無を判断することが可能なのである。)これは、スペースの明らかな無駄遣いなのであるが、いまだに手放すことができない。

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