街を歩いていると、銅や石を主な素材とするモニュメントを見かけることが少なくない。以前は、このようなモニュメントを東京で見かけるとすれば、それは、ごく限られた地域の、しかも、いかにもモニュメントがありそうな場所だけであったように思う。上野公園の西郷隆盛像、日比谷の皇居外苑にある楠木正成像、あるいは、靖国神社の大村益次郎像など、モデルとなっているのは、日本人の大半が知る人物、「知名度」の高い歴史的人物像であったし、歴史的な知識が少しでもあれば、設置される場所や事情も直観的に理解することができるものであった。つまり、モニュメントは、歴史的に重要な場所に目印として設置されるものであり、時間と空間が交差する地点の象徴的な表現である。当然、このようなモニュメントは、100年後、200年後にも同じ像が同じ場所にあるという前提のもとで設置されたに違いない。
ところが、最近は、何を記念し、何を顕彰しているのかよくわからないモニュメント、特に、アニメや漫画のキャラクターをモデルとするブロンズ像や石像が多くなってきた。私自身がアニメや漫画に代表されるサブカルチャーに不案内なせいなのであろうが、ブロンズ像や石像のモデルを知らず、また、モデルとなった人物が登場する作品を知らないことが少なくない。「サザエさん」や「ゲゲゲの鬼太郎」くらいなら、私にもかろうじてわかる(が、それぞれの像のモデルとなった人物の名を問われても、私には答えられない。)だから、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『銀河鉄道999』『キャプテン翼』などについては、これらが漫画のタイトルらしいということ以外には何もわからないから、それぞれの作品の登場人物をモデルにしたブロンズ像を見ても、それぞれの像において時間と空間がどのように交差しているのか、残念ながら、見当がつかない。私は、これらのモニュメントーー何らかの実用のために設置されているようには見えない以上、これらは、明らかにモニュメントである――を目にするたびに、強い違和感を覚える。
もちろん、たとえばいわゆる「こち亀銅像」群において表現された登場人物たちが「貫一お宮」や「伊豆の踊子」と同じくらいの重みを持っていることを私が理解していないだけであり、私の違和感の原因が私自身の歴史に対する無知であるのなら、そこには何ら問題はない。
しかし、今から200年後、2217年の日本で『こちら葛飾区亀有公園前派出所』という漫画が人々の記憶に遺っているのか、また、この作品が遺すにふさわしいものであるのかどうか、このような点に関し何の合意もないまま、「観光客がたくさん集まりそうだから」とか「町おこしになりそうだから」という安易な理由で、ときには税金を投入したり、ときには寄付を募ったりして公道に設置されたモニュメントは、何十年かののち、みじめな末路を辿ることになるであろう。作品も登場人物も忘れられ、そして、公道上で埃をかぶり腐蝕した意味不明の像が廃棄物として撤去される……、このようなニュースを目にすることになるはずである。
いや、それ以上に気がかりであるのは、モニュメントがこのような仕方で乱立することにより、街の歴史から重みが奪われることである。流行とともに新たなモニュメントが「歴史」の名のもとに設置され、流行が去るとともに、このモニュメントが公道を占拠する廃棄物へと転落し、そして、撤去されるなら、私たちの街は、交替する流行の展示場にすぎぬものとなってしまう。これは、社会主義国家において、政変が起こるたびに政治家が粛清され、あらゆる公的な記録が消去されることを想起させる。
本来、モニュメントは、現在に由来しないものをあえて現前させ、歴史を見えるようにさせるよすがとしての役割を担うものであるはずである。漫画やアニメのキャラクターについて、これを貫一やお宮、あるいは、西郷隆盛や楠木正成とともに歴史にとどめるという堅い決意があるならともかく、そうでなければ、モニュメントの設置には慎重になるべきであるように思われるのである。