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 私の家は、墓地を東京の西のはずれに持っていて、年に何回か墓参する機会がある。

 江戸時代以来、私の一族の墓は、都内のいくつかの寺に分散していたのだが、誰かの発案で、何十年か前、開園したばかりの新しい霊園に広い土地を一族で求め、途絶えてしまった「分家」のものや、やはり途絶えてしまった姻戚のものを併せ、先祖代々の墓のすべてをここに移転、統合したのである。(それぞれの寺との関係が煩わしかったのだと思う。)だから、私の家の名が刻まれた墓に納められた遺骨の大半は、私が生れる前、いや、それどころか、私の両親が生れたときにはすでに亡くなっていた人々のものである。

 そして、おそらくそのせいなのであろう、私の家が占有している区画は、通常のサイズの3倍くらいの広さがある。(今はかなり立て込んできたけれども、引っ越しをした当初、霊園はできたばかりで、周囲には何もなかったのを覚えている。)とはいえ、その趣は、墓地というよりも「墓所」に近く、永代供養の形にしているおかげで固定的な維持費はかからないものの、また、1ヶ所にすべてが集まっているおかげであちこちを巡る必要はないものの、本格的に管理するのは、やはり面倒である。

 ところで、何年か前、墓参りをしたとき、墓石の前の敷石に犬の足跡がついているのを何回か見つけた。霊園の規約では、犬を園内に連れ込むことは禁止されているはずであった。そこで、霊園の事務所に問い合わせたところ、おおよそ次のような回答があった。「たしかに、霊園は、犬を園内に連れ込むことを規約によって禁止しており、利用者には注意喚起を繰り返しているが、利用者が自動車に乗せて犬を連れ込むことがないよう監視するのは難しい。また、霊園とは関係のない近所の住民が勝手に入り込んで犬を散歩させることも多く、これについては、防ぎようがない。」

 仕方なく、私は、問題を自力で解決することに決め、ある休日の朝、霊園の開門に間に合うように自宅を出て、霊園の私の家の区画の中でしゃがんで見張ることにした。誰かが犬を連れ込む現場をおさえようと思ったのである。(幸い、区画の境界に背の低い植え込みがあり、身を隠せるようになっていた。)

 しばらく待機していると、開門から15分くらいしたころ、犬の足音と息遣い、そして、人の歩く音が聞こえてきた。音は、次第にこちらに近づいてきて、そして、犬を先に立てて、見知らぬ初老の女性が慣れた足取りで私の家の区画に入ってきた。どう見ても墓参のためではなかった。

 面積が広く、複数の墓石があるため、区画の中央には、通路用に若干のスペースが空けられており、この女性は、散歩の途中、ここに犬を連れ込んで休憩するのを日課としていたのかも知れない。

 そこで、この女性が入って来ると同時に、私は、物陰から立ち上がり、「何か御用ですか?」と尋ねた。すると、この女性は、非常に慌てた様子で、何かを不明瞭につぶやきながら後ずさりして、そのまま犬と一緒に歩み去った。

 私の家の区画を訪れる犬が1匹だけであったのかどうか、これはわからないけれども、この張り込みのあと、敷石に犬の足跡が残されることはなくなった。

 墓地というのは、犬の散歩のためにあるのではない。私の場合、被害と言えば、敷石に残された足跡だけであるけれども、供物が持って行かれたり、あるいは、抜け毛や排泄物が残っていたりする可能性もないとは言えない。実際、墓地を「ドッグラン」と勘違いし、リードによる係留なしに大型犬を自由に走らせている者を墓参の客の中に見かけたこともある。(「東京都動物の愛護及び管理に関する条例」に対する明らかな違反である。)

 たしかに、墓地をそれ自体として必ずしも清浄な空間とは見なさない宗教がこの世にはある。しかし、日本の場合、信仰に関係なく、墓地が「清浄を心がけるべき場所」と一般に見なされていることは事実である。犬の行動を厳格に管理することができないかぎり、「犬とともにあること」は、「墓を訪れること」とは相容れないように思われるのである。もっとも、日本には、自分の飼い犬の行動に少しでも制限を加えられると正気を失うような狂信的な「愛犬家」が多く、墓地から犬を排除することの必要を道理にもとづいて説明しても、これを納得させることは容易ではないのかも知れない。