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「なすべきこと」を「何となく」やりたくないとき

 勉強したくない、本を読みたくない、会社に行きたくない、家事をやりたくない……、人は、このような気分に陥ることが少なくない。身体を動かすことすら面倒くさいこともある。そして、このような気分は、労働の生産性をいちじるしく損ねたり、家族や友人との関係を危うくしたりする場合が少なくない。

 もちろん、目の前にある「なすべきこと」から逃れたいと考える理由が明確であるなら、そこには何の問題もない。「なすべきこと」をしない理由を周囲に説明し、納得してもらえばよいだけのことである。

 しかし、私たちが「なすべきこと」をやりたくないときには、理由を問われても、「何となく」としか答えようがないことがある。「何となく」やりたくないのであるから、原因を明らかにすることもできないし、理由を明らかにして「なすべきこと」から逃れるわけにも行かない。そのため、このような気分に陥ると、私たちは、このような気分に陥ったという事実が原因となって、ますます追いつめられることになる。しかし、この気分が精神障害によるものでないのなら、これを解消して生活に生産性を取り戻したり、家族や友人との関係を回復したりすることは、必ずしも難しくはないように思われる。

暇つぶしを追放し、手持ち無沙汰の状態をあえて作り出すと、自分の抱えていた問題が見えてくる

 あらかじめ言っておくなら、このような気分に陥ったとき、決してやってはいけないことがいくつかある。それは、テレビをダラダラと見ること、スマホをダラダラといじること、あるいは、同じようなことであるが、パチンコをダラダラと続けること、さらに、他人には言えないような恥ずかしいことにふけること……、などである。つまり、何かを「ダラダラ」と続けて気を紛らわせるというのは、「なすべきこと」を「何となく」やりたくないときには、決してしてはならない禁忌である。これは、時間の空費と問題の先送りでしかないからである。

 むしろ、最初になすべきことがあるとするなら、それは、時間の使い方を再検討することである。具体的には、あえて手持ち無沙汰を作り出すことである。

 まず、1週間あるいは1ヶ月を振り返り、何ににどのくらい時間を使ったかを思い返してみるとよい。何にどのくらいの時間を使ってきたか、大雑把な仕方で確認するためである。何に時間を使ってきたかがわかったら、「労働」(「介護」や「育児」を含む)と「睡眠」を除き、もっとも多くの時間を費やしてきたもの、つまり、生産的な活動以外でもっとも多くの時間を占領しているものを生活から排除するのである。1日のうち、テレビを見るのに2時間使っているのなら、スマホで動画を見るのに2時間を使っているのなら、あるいは、パチンコに2時間を使っているなら、これをやめるということである。

 テレビを見たり、スマホをいじったり、パチンコ台の前に坐ったりすることが、生活に必要不可欠であることは滅多になく、ほとんどの場合、こうした行動は、暇つぶしのためのルーチンにすぎない。手持ち無沙汰になると煙草を吸うのと同じである。これは、もともと、浪費されていた時間なのであるから、テレビやスマホやパチンコを生活から追放しても、生活が効率的になるだけであり、何らかの悪影響が及ぶ可能性はゼロに限りなく近い。

 しかし、これまで多くの時間を占領してきたルーチンを生活から排除すると、私たちは必ず、恐るべき退屈に襲われる。つまり、禁断症状が出るのである。たしかに、この禁断症状は苦痛であるけれども、「なすべきこと」を「何となく」やりたくない気分に陥ったとき、これを解消するためには、この禁断症状に耐えることが絶対に必要であると私は考える。というのも、暇つぶしのためのルーチンを繰り返すことで、私たちは、自分が抱えている問題から不知不識に逃避しているからである。誰でも、この「強いられた無為」の中にあえてとどまり、自分の本当の姿について考えざるをえないような状況に自分を追い込むことにより、暇つぶしのルーチンとは異なる「何か」をやるようになることは確かである。

 これは以前に書いたことであるが、デジタル断食(あるいはデジタル・デトックス)の意味もまたここにある。デジタル断食は、スマホの使用をコントロールする技術の獲得を目標とするものではない。そうではなくて、手持ち無沙汰を自分に強いることにより、それまで無駄なことに時間を浪費してきたことがわかり、それによって、生活全体の枠組みを見直し、スマホとの関係を見直すことができるような「私自身のあり方」を取り戻すことができる。これがデジタル断食の意義なのである。


24時間「デジタル断食」のすすめ 〈体験的雑談〉 : アド・ホックな倫理学

デジタル断食してみた 今年に入ってから、「デジタル断食」を何回か自宅で実行した。期間は、1回につき24時間であった。 デジタル断食またはデジタル・デトックス(digital detox) は、インターネット接続を完全に遮断した状態で時間を過ごすことを意味する。ネットによって



  無為を自分に強いること、手持ち無沙汰に耐える機会を作ることには、大きな効用がある。「なすべきこと」を「何となく」やりたくないときには、暇つぶしの時間を排除することは、1つの有効な手段であるように思われる。