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優先順位を正しく設定することができないと

 今日、次のような記事を読んだ。

「地毛証明書」、都立高の6割で 幼児期の写真を要求も:朝日新聞デジタル

 記事を読んだ私の最初の感想は、「私には都立高校の教員は務まらない」である。

 私には、高等学校の教員の経験はない。だから、高等学校の教員の忙しさについては、余計な仕事は1つたりとも増やしたくない程度には忙しいということくらしかわからない。それでも、上の記事を読むと、暗澹たる気持ちなってしまう。

 そもそも、私には、髪の染色やパーマを校則によって禁止しなければならない理由がわからない。

 たしかに、髪を染めたりパーマをかけたりすることは、その仕上がりによっては、好ましくない場合がある。

 しかし、高等学校は義務教育ではない。生徒の生活指導がどうでもよいとは言わないけれども、生徒の頭髪が、校則に明記し、強制力をともなうような仕方で画一化を徹底させねばならないほど優先順位が高い問題であるとは思われないのである。

 自分のことを棚に上げて言うなら、上の記事を信用するかぎり、事柄の優先順位をみずから正しく設定する能力が現在の都立高校の多くに欠けていることは明らかであり、このような高等学校において、事柄の優先順位を正しく設定する能力を持つ人間が育つようには思われないのである。

無駄なルールが無駄な手間を要求する

 当然のことであるけれども、染色やパーマを校則によって禁止すれば、これとともに、校則が確実に守られているかどうか監視する手間がどうしても必要となる。

 「地毛証明書」を作成し、配布し、回収し、確認する……、一つひとつは大した作業ではないかも知れないけれども、染色やパーマが校則によって明確に禁止されている以上、これは省略することの許されぬ作業となり、全体として、本来ならさらに重要な仕事に当てられるはずの教員の体力や時間を際限なく奪い取って行くことになるはずである。

 すべての生徒に適用されるルールを設定することは、このルールが守られているかどうか監視する手間、そして、守られていない場合には無理やりこれに従わせる手間を省略することができない。そうしなければ、ルールは空文化し、無政府状態が出現するであろう。だから、ルールの数は可能なかぎり制限しなければ、ルールを守らせる手間ばかりが増え、学校は一種の刑務所になってしまうに違いない。

最初にすべきなのは、染色やパーマが好ましくない理由を生徒や保護者に対して説明し同意を得ることであるはず

 (現場を知らない人間が現実を無視して理想を語るなら、)都立高等学校がまずなすべきことは、限度を超えた染色やパーマが好ましくない空間があり、学校がその1つであること、教育現場を維持するためには頭髪に関する制限が必要であることを生徒や保護者に説明し理解させることであるに違いない。

 生徒を「受刑者」ではなく「ステークホルダー」として扱うこと、そして、ルールの趣旨に関する理解を生徒と共有するなら、新たなルールは、監視の手間を必ずしも要求しないはずである。

 上の記事にあるように、染色やパーマを禁止し「地毛証明書」などを提出させていることに、「生徒とのトラブルを防ぐほか、私立高との競争が激しく、生活指導をきちんとしていることを保護者や生徒にアピールする」以上の意味がないのなら、そして、教育との必然的な連関を生徒に対し合理的に示すことができないのなら、このようなルールは一刻も早く廃止すべきであると私は考えている。

 無駄なルールが無駄な手間を要求し、さらに、無駄な手間が必要なリソースを奪い取り、リソースが少なくなった分を新たなルールで補おうとして、さらに無駄な手間が発生する……、このような悪循環の中で、個人や集団の生産性はとどまることなく落ちて行く。「これをする必要が本当にあるのか」「このルールの優先順位はどの程度なのか」は、余計なことをせずに済ませるために、そして、生産性を上げるために私たちがつねに考慮すべき点であるように思われる。