AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

2016年08月

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 2016年8月18日のNHKの7時のニュースで取り上げられた貧困女子高生(いわゆる「貧困JK」)の問題について、膨大な意見がネット上にあふれている。ネット上の動きだけではなく、数日までには、「貧困たたき」に抗議するデモまであったらしい。

貧困たたき:新宿で緊急抗議デモ 作家の雨宮処凛さんらも - 毎日新聞

 しかし、この「貧困JK」問題は――少なくとも私が期待するような方向で――立ち入って取り上げられてはいないように見える。

  そこで、この問題が何を問いかけているのかを整理してみると、段階的に三つの論点が区別できることがわかる。

  1. 問題の女子高生は嘘つきなのか。また、 NHKの報道は捏造だったのか。
  2. 女子高生は本当に貧困なのか、それとも、自称「貧困」にすぎないのか。
  3. 貧困対策はいかにあるべきなのか。
 以下、一つずつ取り上げる。

(1)問題の女子高生は嘘つきなのか。また、NHKの報道は捏造だったのか。


 今回の件が話題になってからすぐ、次のような記事を見つけた。

子どもの貧困〜NHK報道の問題点
 この記事を書いたのは、杉田水脈氏である。この記事で杉田氏が記していることが正しく、女子高生が嘘をついているのであれば、 話は非常に単純である。つまり、嘘に対する罰を与え、嘘をつかせた首謀者を特定すれば、問題はすべて解決する。

 しかし、残念ながら、問題は、それほど単純 ではないと私は思う。(なお、高校生をここまでシンプルに「嘘つき」と断定する記事は他に見つからなかった。)常識的に考えて、女子高生が嘘をついているはずはないように思われる。また、杉田氏が暗示しているような「被害者ビジネス団体」の陰謀であるという可能性も低いと思う。
(ただ、今回の件を「被害者ビジネス団体」が利用する可能性は高い。)「女子高生は、自分が貧困ではないと知っていながら、貧困を自称した 」ということは、この女子高生の神経が正常の範囲にあるなら、まずありえないように見えるのである。

 映像は、全国の何百万人もの視聴者の目にさらされる。当然、そこには、悪意のある人間が一定数含まれている。そして、この悪意が閾値を超えると、 アラさがしが始まり、いくらでも叩かれる可能性がある。女子高生であるなら、当然、このくらいのことはわかっているであろう。したがって、自分が貧困であるという点に関して絶対の自信がなければ、NHKのニュース番組に出演するなどありえないと私は思う。女子高生は、自分のことを正真正銘の貧困であるとかたく信じていたはずである。

 しかし、もしそうであるなら、問題は「嘘つきに罰を与えればよい」というような単純なレベルを超えて、きわめて厄介なものになる。というのも、「貧困とは何なのか」という問題に否応なく直面しなければならなくなるからである。

(2)女子高生は本当に貧困なのか、それとも、自称「貧困」にすぎないのか。
  
  念のために言っておくなら、この女子高生が貧困に」陥っているとするなら、その貧困は、いわゆる「相対的貧困」と呼ばれるタイプの貧困である。これは、食うや食わずで生命の維持すらままならない状態を指す「絶対的貧困」からは区別されている。上の記事で杉田氏が「貧困」として想定するのは「絶対的貧困」の方であり、たしかに、今回の女子高生は「絶対的貧困」に陥っているわけではない。

 とはいえ、相対的貧困というのは、 きわめて曖昧な観念であり、これを「貧困」と呼ぶことに抵抗を感じる人は少なくないと思う。携帯電話を所有したり、漫画を購入したり、映画を観たり、外食で散財するだけの余裕があるなら、携帯電話の通信料を引き下げたり、食費を切り詰めたりして節約し、その分を学費に当てるというのが「正しいカネの使い方」ではないかという疑問は、職業を持つ大人の多くが持つはずである。あるいは、少なくとも、この女子高生のようなカネの使い方を続けていたら、カネの使い方が間違っているのではないかという疑問を他人に抱かせることは、職業を持つ大人なら誰でも見当がつくはずである。つまり、相対的貧困の正体は、カネの使い方に関するリテラシーの欠如であり、したがって、相対的貧困に陥っている人間は、貧乏なのではなく、頭が悪いだけであるということになる。

 この点を直截な仕方で指摘したのが次の記事である。

貧乏人は、お金の使い方を知らないから貧乏なのです。 : まだ東京で消耗してるの?

 とはいえ、「リテラシーが足りないから、不必要なことに散財してしまって、必要なことにカネが回らないのだ」という主張が正しいとしても、ここから、次のような問題がさらに生じることを避けられない。

(3)貧困対策はいかにあるべきなのか。

  第三者の目に、女子高生の、あるいは彼女の家族のカネの使い方が間違っているように映ること、言い換えるなら、支出の優先順位が転倒しているように映ることは確かである。

 しかし、カネの使い方に関するリテラシーを身につけさせれば問題が解決するわけではない。というのも、これは私に想像でしかないが、「カネの使い方が間違っているのではないか」「優先順位を考えなおした方がよいのではないか」という女子高生自身に素朴に問いかけても、彼女には、この疑問の意味が決して理解できないだろうからである。その理由は明瞭である。

 携帯電話を維持するために高額の通信費を支払ったり、漫画を買ったり映画を観たり、さらに外食で散財したりすることを、彼女は、贅沢などではなく、優先順位の高い「必要欠くべからざる支出」と判断しているはずからである。

 それは、見栄をはるためであるかも知れないし、「つながり」を維持するためかも知れない。「このような下らないことのためにカネを優先的に使うなんておかしい」と思うかも知れないし、私もそう思うが、本人にとっては、見ず知らずの他人から見たら「下らない」としか思えない支出の優先順位が高いのだから、何ともしようがない。

 したがって、次のツイートのように、女子高生を擁護して「ささやかな贅沢」くらいは認めるべきだと声高に叫ぶ自称リベラルも、「貧困たたき」に狂奔する人々も、女子高生のカネの使い方がつきつめれば合理的ではないという了解については一致しており、したがって、両者は同じ勘違いを共有していることになる。





 繰り返して言うが、女子高生の消費行動は、少なくとも彼女自身にとっては、断じて「ささやかなぜいたく」などではない。生活必需品に対する支出なのであり、パソコンよりも学費よりも優先されるべきものなのである。

 そして、このような事情のもとで姿を現すのは、次のような問題である。すなわち、間違ったカネの使い方が原因で貧困に陥った(と自称する/ように見える)人間は、社会による救済の対象になるのかどうか、 という問題である。

 非合理的な消費行動が原因で貧困に陥った者に必要なのは「カネの使い方に関するリテラシー」であって社会的な救済ではない、と考えることは可能であり、実際、今回の件について、ネット上にこのような主張が散見する。つまり、いわゆる「愚行権」を行使した者は、社会的な救済の範囲から除外してもかまわないということになる。

 しかし、困難な状況にある人々に関し、この状況が、非合理的な行動によってみずから招いたものであるのか、それとも、不可抗力によるものであるのかを判定することは容易ではない。しかも、何をもって愚行と見なすかという点についても、社会的な合意を形成することは困難である。愚行権を行使した者には救済措置はないという原則を適用するなら、たとえば、喫煙が原因で肺がんになった者の治療には健康保険が適用されず、競馬にカネをつぎ込んで破産した者には生活保護が支給されないことになる。だから、困難な状態が惹き起こされた事情について、私たちにはこれを問うことができない。(一旦これを問い始めると、際限のない議論が続くはずである。)

 どのような事情であっても、貧困に陥った者は救済せざるをえないということ、これは、 民主主義社会のコストであり、しかも、ある種の諦めにもとづくコストであるのかも知れない。


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 プログラミングを教育に取り入れることの重要性が声高に語られるようになっている。これは、誰でも知っている。オバマも、プログラミングの大切さについて何か演説していた。

 ただ、プログラミングの中身は何も知らないし、なぜプログラミングが大切なのかも、実感としてはよくわからない。まして、プログラミングの面白さなど、もはやサッパリだ……。半年くらい前まで、私はこの段階にあった。プログラミングについては「初心者以前」のレベルである。(念のために言っておけば、今でも、「初心者」に指先が引っかかっている程度である。) ただ、30歳代より上の文系人間は、ITに多少なりとも関係のある仕事をしているのでなければ、似たり寄ったりなのではないかと勝手に想像している。

 とはいえ、何も知らないというのはさすがにまずいと考え、数字と記号のかたまりにやる気を殺がれながらも、少し時間を使ってネットで情報収集したり本を買って読んだりした。自分ではプログラミングできないとしても、プログラミングの話題について行ける程度には勉強したいと 思ったのである。

 その結果、プログラミングについて「初心者以前」のレベルから、曲がりなりにも「初心者」と呼べるレベルに上がるためには、少なくとも2つの質問に答えられなければならない、ということがわかってきた。すなわち、 
  1. プログラミングの技術が身についたら、何をやってみたいのか。
  2. プログラミングの何がわからないのか。

 2つとも超難問であって、ある意味では、これらに答えられないから一歩も先に進めないとも言える。

 だから、まずプログラミングそのものではなく、上の2つの質問に対する答えを探すことに集中するのがよいと思う。特に、(1)に答えられないと、何を勉強したらよいかもわからないのではないかと思う。というのも、プログラミングにはいくつもの言語があり、何をやりたいかによって勉強する言語が違ってくるからである。

 初心者を対象にプログラミングとは何かを紹介した本がかなり出版されている。ただ、こうした本では、webをやりたいならこの言語、ゲームを作りたいならこの言語、などというふうに書かれてることが多いが、「初心者以前」の人間には、この程度でさえ、いきなり言われても意味がわからない場合がある。

 そこで、私が読んで最後までついて行けて、かつ、上の2つの質問に答える手がかりが得られる可能性が高い本を紹介する。それは、次の本である。





 大人向けの入門書で挫折したら子ども向けで再挑戦すればよい、と言いたいわけではない。これは、マサチューセッツ工科大学で開発された教育用のプログラミング言語Scratchを利用した入門書で、Scratchの基本的な使い方と、遊び方が紹介されている。(続編も出ている。)表紙も中身もいかにも子ども向け風だが、バカにしてはいけない。「初心者以前」の人間にとっては、かなり高度な内容まで含まれている。

 たとえば、前半で「物語メーカー」なるものの作り方を紹介するところがあるが、ここで、関数を再帰的に使って複数の要素を持つ文を作るスクリプト(←言葉の使い方が正しいかどうか自信がない)がいきなり出てきたりする。このあたりは、「変数」や「関数」の意味が一応わかってる中学生以上でなければ、スクリプトのサンプルをそのまま写すだけで、応用はできないと思う。

 プログラミングの何たるかがわからなければ、また、プログラミングによってどういう世界が開けるかがまったくわからなければ、これを読んで、Scratchで遊びながら実際にプログラミングを試すことをすすめる。

 何冊も本を読みくらべたが、この本は、機械を作ったり、計算を自動化したり、シミュレーションしたり、音楽を作曲&演奏したりと、いろいろな場面での、子どもにもできる活用法が載っている。明確に書かれているわけではないが、プログラミングとは「ものづくり」の一部であるというのがこの本の基本になっているように見える。

 「プログラミング」と聞いて、細かい記号と数字が並んだ画面以外何も思い浮かばないなら、この本は、具体的なイメージを広げる第一歩として最適だと思う。

198:365 - Day $200 (haha oops)



 この前、クラウドファンディングに関して、カネを払うのではなく、反対に、カネをもらって常連客やファンを増やす仕組みであるという意味のことを書いた。また、クラウドファンディングは本質的にソーシャルメディアであるとも書いた。


ソーシャルメディアとしてのクラウドファンディング : アド・ホックな倫理学

昨日(2016年8月26日)付の「日経MJ」の3面に、クラウドファンディングを利用した飲食店の開業に関する記事が載っていた。 誰でも知っているように、クラウドファンディングは、21世紀に入ってから広い範囲で使われるようになった資金集めの仕組みであり、「たくさんの個



そのとき、似たような仕組みがあることを思い出した。それがfindomと呼ばれているものである。

――以下、英語でNSFW(=Not Safe For Work)と表記されるような内容が含まれている可能性があります。婉曲な表現を心がけていますが、不快に感じたら、ウィンドウを閉じて下さい。――

 さて、findomとはfinancial dominance (or domination)の短縮形であり、femdomの一形態である。そして、femdomというのは、female dominance (or domination)の短縮形で、BDSM(= Bondage, Discipline, Sadism & Masochism)と呼ばれる変態的な性的嗜好の形態の一つである。


 femdomの意味するところは、すでに文字から明らかであろう。すなわち、男が女(female)に支配(dominance)されることで快楽を覚えるタイプの性的嗜好がfemdomである。


 そして、findomは、そのさらに一形態であるが、その内容もまた、すでに文字によって明らかである。つまり、findomとは、女によって金銭的(financial)に支配(dominance)されること、具体的には搾取され破産させられることに快楽を覚える性的嗜好を意味する。


 findomの仕組みを最初から説明し直すと、次のようになる。

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 男の方は、女にカネを貢ぎ続け、最終的に破産することで快楽を覚え、女の方は、カネを奪って「あげた」ことによって男から感謝され、奪ったカネを対価として獲得する……。


 しかし、そもそも、女にいたぶられることに快楽を覚えること、しかも、自分のことをいたぶってもらうよう女に依頼したり懇請したりすること、さらに、いたぶってもらったことへの対価を自発的に支払うことすら厭わないなど、私にはサッパリ理解できないのだが、これに加えて、通常のfemdomがどちらかと言うと身体や心が傷つけられるのに対し、findomは、女にカネを奪われることによって快楽を得るのであるから、これはもはや想像の範囲を超える事柄である。


 そして、このfindomの主役となる女のことをmoney dommeまたはfinancial dominatrixと言う。カネ(money)の面で(fnancial)支配する女(domme = dominatrix)、つまり、男に破産するまで貢がせて「あげる」女である。

 ただ、money dommeとして男を搾取して「あげる」ことを仕事とする女がいることはわかる――いや、実はあまりよくわからない――としても、findomなるものが現実に相当な広がりを持っており、もっとも安直な生活手段としてfindomを選択する女性が実際にいるということは知らなかった。いくら性的嗜好が多様だからと言っても、さすがに女に搾取されて性的快楽を覚えるとなど、都市伝説であると思っていた。


 しかし、findomは、単なる都市伝説ではなく、現実にfindomにはまって破産した男性までいるらしい。


Financial Domination | VICE | United States
 上のページには、関連する記事が10本掲載されている。findomを取材した"Cash Slaves"という動画も紹介されている。



 YouTubeの場合はこちら↓。(内容は同じ)



 findomが真面目に論じるに値するだけの社会現象と見なされていることにいささか驚く。面白くもあり、不気味でもあるが、動画のとおりなら、findomは、立派な社会問題であろう。

 ソーシャルメディアとしてのクラウドファンディングがfindomと同じであると言うつもりはまったくないが、カネを集める趣旨が第三者には理解できない場合があるという点と、出資したカネが原則的に回収されない点は同じである。今のことろ、両者の違いは、フェティシズムに陥っているかどうか、依存症や中毒を惹き起こすかどうか、という点にある。クラウドファンディングに出資しすぎて破産した、とか、クラウドファンディングに出資するために借金したとか、このような事例が発生しないことを願っている。

Oatmeal

 オートミールは健康食なのに、スーパーで買ってきたものを表示どおりに水やミルクで煮て、ハチミツや砂糖やジャムをかけて食べると、どうしても「あの」独特のにおいが気になって食欲が失せるという人は多いと思う。

 「あれを朝食の定番にしているイギリス人の気が知れない」とか「さすが世界で一番食事のまずい国で生まれただけのことはある」とか言いたくなるかも知れない。 

 しかし、オートミールの「あの」においは、実は、特に強いにおいではないから、パッケージに書かれたとおりに食べるのをやめれば消えてしまう。

 コロッケやハンバーグに入れたり、固めて焼いてみたり(=つまり、グラノーラ) 、複雑な方法はいろいろあるが、ここでは、もっとも単純な方法、一工程だけの方法を書く。

 すなわち、

 

 多めの水で表示どおりに煮たあと、
カップスープのもとを入れて混ぜる

 というのがその方法である。

 「あの」においは消えて、歯ごたえのあるおいしいお粥になる。

 つまり、甘くしないで食べるということである。 

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 もともと、オートミールはお粥(ポリッジ)として食べるものなのだから、カップスープで味付けしても不都合なことなど何もない。

 シリアルと同じように甘くしなければという強迫観念など捨ててしまえばよいのである。

 慣れてきたら、スープの種類に合わせて具材を刻んで追加して味を工夫してもかまわないが、とりあえずカップスープのもとを入れて混ぜるだけで、オートミールの「好感度」は劇的に 向上するはずである。 

 なお、カロリーの点でも食感の点でも一番無難なスープはオニオンコンソメである。

 もともと、オートミールを加熱することで「とろみ」が出るから、ポタージュやコーンクリームだと、「とろみ」がつきすぎる可能性がある。

 水が不足していると、スープを投入しても溶けてくれない可能性もある。 

 それから、中華スープや卵スープなどのフリーズドライ製品は、そのままオートミールに投入しても十分に溶けない。あらかじめ お湯に溶いてからオートミールと混ぜることをすすめる。

Kyoto Whisky Bar

 昨日(2016年8月26日)付の「日経MJ」の3面に、クラウドファンディングを利用した飲食店の開業に関する記事が載っていた。

 誰でも知っているように、クラウドファンディングは、21世紀に入ってから広い範囲で使われるようになった資金集めの仕組みであり、「たくさんの個人」から、「小口の資金」を、主に「インターネット」を利用して出資を募るのが主流になっている。

 また、出資の対象となるのは、映画の製作であったり、新規事業であったり、弱者救済の社会事業であったりするのが普通であり、その中でも、特に飲食店の開業にクラウドファンディングが使われる事例が増加しつつあるというのが、上記の「日経MJ」の記事の内容である。

 とはいえ、クラウドファンディングは、新規開店の前の告知や固定客の獲得の手段として、あるいは、出資させることで店に対する愛着を客の心に植え付ける手段として使われているのであって、開業資金の調達が本格的に試みられているわけではないし、金銭面での利益を出資者に約束しているわけでもない。記事にあった

CF〔=クラウドファンディング〕は媒体

という言葉のように、クラウドファンディングは、一種の宣伝媒体のように利用されているのである。

 しかし、クラウドファンディングのこのような利用法は、飲食店には限られない。クラウドファンディングのサイトをいくつか見ればすぐにわかるように、他の事業でも、クラウドファンディングは、「応援して下さい」「支援して下さい」というお願いと一体になっているのが普通である。出資を募る側から見れば、一銭もカネを出さずに、いや、反対に、カネをもらって応援団やファンを作り出す仕組みであり、出資する側から見れば、カネを出して事業を応援する仕組みである。クラウドファンディングでは、普通の意味での出資に見合った金銭的な収益を得ることは想定されていないのである。この意味において、クラウドファンディングは、きわめて「ソーシャル」な仕組みであり、本質的にはソーシャルメディアであると言うことができる。

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 実際、クラウド ファンディングのサイトの中には、出資者がコメントを書き込むことができるようになっているものが多いが、そこには、「応援しています」「がんばって下さい」などのメッセージが溢れる。また、このようなメッセージを書き込んでいる出資者の多くは、事業主と知り合いだったりして、そこにはすでに「コミュニティ」ができ上がっていることもある。ここには、まるでカネだけを黙って提供するなど、見返りが欲しくて出資しているようになり、とうてい許されないかのような雰囲気、どこかで忠誠心を要求されているかのような窮屈な雰囲気が漂っている。

 クラウドファンディングのサイトでは、不気味なことに、出資者は、「支援者」とか「サポーター」とか「パトロン」と呼ばれる。フェイスブック上の知り合いが「友だち」と呼ばれるのと同じである。私など、「投資っていうのは、本当はそういうものじゃないはずだ」と心の中で抗議しながらも、怖気づいて足がすくんでしまう空気がここにはある。

 クラウドファンディングは、投資の仕組みではなく、本質的には「カネが動くソーシャルメディア」である。事業を始める者のファンになり、応援団になりたいのなら、クラウドファンディングを利用すればよいが、投資に見合った利益を金銭の形で求めるなら、株式や投資信託を選択すべきであろう。

 クラウドファンディングにおいて出資者に約束されているのは、金額に応じて、「お礼状」であったり「記念品」(?)であったり「開店イベントへの招待」であったりする。将来、クラウドファンディングのソーシャルメディア化が進行すると、いずれ、出資の見返りは「カネを出して応援した満足」などと堂々と書く事業主が現われないともかぎらない。しかし、このような段階になったら、そのとき、出資者が提供するカネは、もはや「資金」ではなく「お布施」であろう。

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