AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

2016年10月

brain power

 「寿命がのびる」という表現が使われるときに一般に想定されているのは、身体の寿命がのびることである。もちろん、最近何十年かのあいだに身体の寿命がのびたのは、それ以前に生命を奪ってきた病気の多くについて、完全に撲滅されたり、完治を可能にするような治療法が見つかったりしたからである。現在では、何らかのがんが死因の上位を独占しているけれども、それは、何十年か前にがんよりも上位にあった多くの死因が次々と除去されて行った結果であり、がんに罹患するリスクが見かけ上高くなったのは、人口構成に占める高齢者の割合が増えたからにすぎない。

 どのくらい遠い将来になるかわからないけれども、がんを根治する方法が発見されたら、今度は、現在では下位にある死因の順位が繰り上がり、上位を占めるようになるはずである。ただ、100年後の死因の第1位を今から知ることは不可能である。ことによると、それは、特定の疾病ではなく、「交通事故」や「戦争」や「自殺」になっている可能性がないわけではない。この場合、100年後の医学は、病気の治療ではなく安全や平和を目指す一種の社会科学になっているであろう。

 しかし、身体の寿命とは異なり、脳の場合、人類が始まってから、基本的にその寿命に変化はないように見える。(もっとも、私は完全な素人だから、間違っている可能性はある。)つまり、適切に知覚し、判断し、行動する能力が身体の寿命とは関係なく、ある年齢以降とどまることなく衰える点については、現在も過去もあまり違わないように思われるのである。(なお、がんの場合と同様、認知症の患者が増えたのも、社会の高齢化が原因である。かつては、身体の寿命が短かく、認知症になるまで生きている人間が少なかったのである。)ニューロサイエンス(neuroscience=脳神経科学)において、脳の活動力を薬によって増強させることの可能性が検討され、ニューロエシックス(neuroethics=脳神経倫理学)において、この道徳的な是非が重要なトピックとして取り上げられてきたことにはそれなりの理由があると考えるべきであろう。

 人間の生命を奪ってきたさまざまな病気が治療可能となり、身体の寿命が延びたため、脳の方が身体よりも短命になった、これが現在の状況である。身体よりも脳の方が寿命が短く、脳の衰えの方が身体の衰えに先立つのであるから、人間の生死は、今や身体の生と死よりも、脳の生と死――これはいわゆる「脳死」とは別である――と深く関連すると考えねばならない。気力や知力などと表現することのできるものがいちじるしく衰えたとき、脳の機能を回復させ、明晰な思考と判断を維持することは、「脳の寿命」をのばすことであり、ニューロエシックスが何と言おうと、社会の活力を維持するためにどうしても必要であるように思われる。


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By User:ITA-ATU - 1990年11月3日撮影(Photostudio5.5にて編集したものをPaintgraphic3にて再編集), パブリック・ドメイン, Link

戦後の日本人には、ユネスコに対する恩がある

 昨日、次のような記事を見つけた。

日本、ユネスコ分担金を保留 「南京」記憶遺産に反発か:朝日新聞デジタル

 私は、日本がユネスコ国際連合教育科学文化機関)から脱退してもかまわないと考えている。少なくとも日本にとっては、ユネスコの歴史的役割はすでに終わっているからであり、ユネスコに未練を持っているかぎり、いつまでも「戦後」が終わることはないように思われるからである。

 現在では、ユネスコは、日本が加盟している数多くの国際機関の1つにすぎない。だから、昭和20年代の日本人の目に「ユネスコ」の名が光り輝いて見えていたという事実を知っても、これを直観的に理解することは容易ではないに違いない。

 今から65年前の日本人にとって、ユネスコが特別な国際機関であったことは事実であり、その理由は明瞭である。

 第二次世界大戦後、日本は、1952(昭和27)年4月28日まで連合国の占領下にあり、当然、他国と外交関係を結んだり、国際機関に加盟することはなかった。この意味において、わが国は国際的に完全に孤立した状態にあったと言うことができる。しかし、その中で、わが国が主権を回復するに先立ち加盟を認めた国際機関が1つだけあった。それがユネスコである。主権回復の前年1951(昭和26)年7月2日に、日本は、占領下にありながら、いわゆる”Occupied Japan”のままユネスコに加盟する。主権回復の1年前のことであり、1956(昭和31)年に国際連合に正式に加盟する5年前のことである。

 ユネスコは、敗戦後、日本の加盟を最初に認めた国際機関であり、国際連合に正式に加盟するまでのあいだ、国際社会との事実上唯一の接点であった。ユネスコが光り輝いて見えたのはそのためである。有名な「ユネスコ村」を始め、昭和20年代後半に「ユネスコ」の名を冠した商品や施設が大量に産み出されたのも、同じ理由による。

 当事者たちがどの程度自覚しているか、よくわからないけれども、ユネスコに対し日本人と日本政府がつねに積極的にコミットしてきたのには、ユネスコに対する一種の「恩返し」の意味合いがあると言ってよい。この歴史的事実は、決して忘れてはならないと思う。

国益に反する決定に抗議する目的で分担金を支払わなかったり脱退したりするのは合理的な選択

 日本人にとっての「ユネスコ=善」という関係が成り立っていたのは、私の理解に間違いがなければ、1980年代初めまでであったように思う。1984年から翌年にかけて、アメリカとイギリスを始めとするいくつかの国がユネスコによる報道の自由の制限に抗議して脱退したとき、日本政府――当時は第2次中曾根政権――はこれに同調せず、ユネスコにとどまった。

 しかし、今から振り返ると、このときに脱退することは、1つの合理的な選択であったように思われる。少なくとも、アメリカがユネスコを去り、日本が実質的にユネスコの財政を支えるようになったとき、ユネスコは日本人にとり、もはや光り輝く存在ではなくなっていた。ユネスコへの「恩返し」は済んだと考えてもよかったはずである。

 それどころか、その後も30年以上にわたり多額の分担金を支払い続けたにもかかわらず、ユネスコは、上の記事にあるように、その活動によって日本の国益を損ねるようになっている。ユネスコは、もはや「恩人」ではなく「悪友」にすぎないのであり、分担金の支払いを保留するのが当然であるばかりではなく、これを機会に一度脱退することも真面目に考えることが必要であるように私には思われるのである。


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 昨日、仕事が正午で終わり、時間があったため、竹芝のGallery916で開催中の写真展に行った。(この写真展については、いずれ書くかも知れない。)

 ところで、Gallery916というのは、ゆりかもめの竹芝駅前の倉庫の6階にある。そこで、写真展に行ったあと、建設中の豊洲市場がこの沿線にあることに思いいたり、そのままゆりかもめに乗った。私は、東京生まれで東京育ちであるが、湾岸エリアに足を踏み入れることは滅多になく、ゆりかもめに乗ったのは昨日が初めてである。


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GFDL, Link


 ゆりかもめの路線は、上の地図のように、狭い範囲で曲がりくねっており、そのせいで、ずっと乗っていると、同じ空間を少しずつ違う角度から何度も見ることになる。また、乗ってから気づいたのだが、新橋駅と終点の豊洲駅のあいだの直線距離は大したことがない。したがって、豊洲に行くために新橋からゆりかもめに乗ると遠回りになるはずである。

 ところで、豊洲市場の最寄り駅は、終点の豊洲駅ではなく、2つ手前の市場前駅である。そして、この市場前駅を降りると、降りたところがもう豊洲市場である。

 駅の改札を出て地上に降りると、すぐ目の前にあるのが青果の市場であり、都道484号線に沿って南西方向に進み、交差点を渡ると、そこから先は、道路の両側がすべて水産物関連の施設になっている。今は、それぞれの入口にガードマンが立ち、工事関係の車輌がときどき出入りする程度で、駅の周辺に人気はほとんどない。(そもそも、市場前駅でゆりかもめを降りたのは、私ひとりだった。)

 私は、駅を降りてから、市場の中央を通る都道484号線を歩いた。都道が東雲運河を渡るところに「富士見橋」という名の橋があり、駅を出てからこの橋までが豊洲市場になっている。ただ、このエリアは、少なくとも歩行者の目には、おそろしく非日常的、非東京的、非人間的な空間と映る。午後遅かったせいもあるのであろうが、歩いていて、私は少し心細くなった。

 実際に歩いてみると、富士見橋で東雲運河の対岸に渡ると、空気が少し人間らしくなることがわかる。周囲は相変わらず工場と倉庫ばかりであるけれども、高層マンションがところどころに姿を見せ、それなりの数の歩行者を見かけるようになるからである。「ママチャリに乗った買い物帰りの主婦」にも出会った。

 この道路をさらにまっすぐ進むと、右手に有明スポーツセンター、左手に有明テニスの森が現われ、空気はもっと人間らしくなる。そして、道路をそのまま直進し、首都高速湾岸線の高架橋をくぐると、右手に武蔵野大学の有明キャンパスがある。武蔵野大学を右に見ながら左に折れると、まずTOC有明、次にホテルサンルート有明の前を通り、最終的には、りんかい線の国際展示場駅と東京ビッグサイトを結ぶ歩行者専用のスペースに出て、東京ビッグサイトから吐き出された雑踏に合流する。

 残念ながら、東京の西の方に住む私のような者の目には、ゆりかもめの沿線は、どこも非東京的、非人間的に映る。少なくとも、私の知る東京ではないように見えるのである。それでも、有明の周辺は、時間の経過とともに、いくらか人間味を帯びているようにも思われた。

 一般に、人間が住むところは、時間の経過とともに人間と環境の相互作用により、少しずつその姿を変え、人間になじみのあるものになる。

 東京湾に面したエリアは、今のところ、平均的な東京都民にとっては一種の「異界」であり、具体的な用事がないかぎり足を踏み入れることのない場所であろう。しかし、そこは、何十年かののちには人間化して雑然とした街となり、豊洲市場の周辺もまた――私には想像もできないが――現在の築地と同じように人間化された空間へと変化するはずである。そして、このエリアが人間的な空間、東京都民にとって親しみを抱くことができるような空間になるとき、私たちの方はどのように変化しているのか――人間化した豊洲を訪れる機械が私にあるかどうかわからないが――何となく楽しみにしている。



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「残業100時間で過労死は情けない」という発言には同意できない

 今日、下のような記事を見つけた。

「残業100時間で過労死は情けない」 教授の処分検討:朝日新聞デジタル

 上記の記事にある「教授」とは、武蔵野大学グローバル学部教授の長谷川秀夫氏のようである。正確には、発言は下記のようなものであったらしい。

月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。

 私には、この発言のコンテクストがわからないから、この発言の真意を評価することはできないけれども、少なくとも表面的に見るなら、これは、明らかに不適切な発言である。なぜなら、過労死の問題というのは、単なる労働時間の物理的な量の問題ではなく、過労死するほどの残業を必要とするような労働環境の問題だからであり、また、残業において強いられた労働の内容の問題でもあるからである。今回の過労自殺は、「根性」の不足によるものではない。これは、誰が考えても明らかであろう。

大学の処分は不当であり、大学が社会から認められた「学問の自由」をみずから否定するものである

 とはいえ、大学の教員の言葉が極端に政治的な性格のものであるように見えるとしても、あるいは、極端に非常識なものに見えるとしても、それは、「学問の自由」の範囲内における発言であり、大学は、これを擁護するか、あるいは、擁護することができないとしても、せめて、全面的に黙認すべきである。武蔵野大学が長谷川氏を本当に処分するようなことになれば――ならないとは思うが――それは、社会から認められている「学問の自由」を大学が自分で否定することを意味する。

 武蔵野大学のホームページには、学長名で次のような短い文章が掲載された。

武蔵野大学[ MUSASHINO UNIVERSITY ]


 武蔵野大学の「ソーシャルメディア利用ガイドライン」がどのようなものであるのか、ネット上には公表されておらず、私にはわからないが、根拠のない批判、攻撃、あるいは誹謗中傷と受け取られるようなメッセージを発信することを禁止する項目が入っていることは間違いないように思われる。

「学問の自由」という観点から、長谷川氏は発言を撤回すべきではなかった

 しかしながら、長谷川氏が何としてでも避けなければならなかったのは、発言を撤回することであるはずである。長谷川氏が発言を簡単に撤回したり、まして、謝罪などしたりしようものなら、それは、自分の発言が根拠のない批判、攻撃であったことを自身で認めることになってしまうからである。

 ところが、現実には、そして、非常に残念なことに、長谷川氏は発言を撤回し、謝罪したようである。


【炎上、謝罪、逃亡】「100時間残業で自殺は情けない」長谷川秀夫の経歴にお察し

電通での高橋まつりさんの過労死事件が世間を騒がせる中、まさに「老害」(自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪のこと)と言わんばかりの自論で武蔵野大学で教授を務める長谷川秀夫が炎上している。 ...


  さらによくないのは、「謝罪文」の末尾の次の一文である。

以後、自分の専門領域を中心に、言葉を慎重に選び、様々な立場、考え方の方々がいることを念頭において、誠意あるコメントを今まで以上に心がけてまいります。

 長谷川氏が大学の教員なら、つまり、研究者であるなら、発言を撤回せず、あくまでも「確信犯」としてふるまうべきであった。なぜなら、長谷川氏には、自分の発言をアカデミックな性質のものとして認めてもらうという――大学教授にのみ与えられた――特別な権利があるからである。「確信犯」としてふるまうことは、決して単なる「強弁」ではない。発言の根拠を明らかにするよう求められたとき、これに応えて自説を丁寧に説明し続けることは、「学問の自由」を背負った大学教授の義務であり権利なのである。

 謝罪したということは、みずからの発言のアカデミックな性格を否定したことを意味する。自分の発言があくまでもアカデミックなものであることを主張し続けるかぎりにおいて、長谷川氏の発言は、武蔵野大学の「ソーシャルメディア利用ガイドライン」に抵触することはなく、武蔵野大学の教育方針に反することにもならなかったはずである。この意味において、長谷川氏の行動は、実に残念であった。

 大学における「学問の自由」というのは重いものであり、(悪意や誤解にもとづく誹謗中傷から身を守ることは必要であるとしても、)自分の発言の根拠を明らかにして正当な批判と対決することができないのなら、大学教授の資格などないと言うべきであろう。

実務家教員は大学において「学問の自由」を与えられている事実を重く受け止めるべき

 長谷川秀夫氏は、大学における「学問の自由」の意義や、大学教授の発言が社会においてそれなりに重く受け止められている理由など、深く考えたことはないに違いない。(まして、大学において、実用と結びつかない地味な基礎研究が続けられていることの意義など、理解の外にあるかも知れない。)しかし、それは、特に驚くに当たらない。というのも、長谷川氏は、「大学教授」とは言っても、いわゆる「実務家教員」に分類される存在だからである。

 実務家教員というのは、アカデミズムの内部でオーソドックスなキャリアを積んだのちに大学教授になったのではなく、長期間にわたり企業で経験を積み、その後、企業での実績を買われ、「実学」教育を担うために大学教員になった人々のことである。実務家教員の大半は、大学教授には必須のはずの修士号や博士号などの学位もなく、論文もなく、ただ実務の経験だけで大学に地位を得ている。(長谷川氏は、一応MBAを持っているけれども、MBAは、実務家としての能力を保証する学位であって、研究者向けのものではない。)

 このような人々は、普段は、大学の広告塔になったり、役に立つ知識やスキルを学生に伝えたりすることにより大学の「経営」には貢献しているのかも知れないが、「会社員気分」が抜けないせいか、「学問の自由」の何たるか、大学教授の何たるかなど、いざというときの身の処し方を決める根本的な自覚には欠けていることが多いように見える。それでも、実務家教員の数が少なかったころは、周囲が適宜サポートすることにより、大学という研究機関――決して教育機関ではない――に溶け込むことが可能であったかも知れない。しかし、現在のように、新設の大学や学部が「実務家教員だらけ」の状態になると、大学の理念や学問の自由を思い起こさせるよすがが失われ、大学教授としての自覚など、いつの間にか揮発してしまっていたのであろう。

 これまでは、大学の教員の発言が問題を惹き起こすたびに、「そんな世間知らずは、企業では通用しない」「これだから大学教授は……」などとうそぶく人々が大量に現われた。しかし、今後は、企業で十分すぎるほど「通用」してきた実務家教員による問題発言が増えるはずである。そして、そのような問題発言とともに、「そんな世間知らずは、大学では通用しない」「これだから会社員あがりは……」などの反応が大学の内部から姿を現すに違いない。

 実務家教員は、企業での自分の実績の上にあぐらをかく――アカデミズムを見下すような態度をとる実務家教員もいる(長谷川氏がどうなのかはわからない)――ことなく、自分が大学に身を置いていることの意味を一度よくかみしめるべきであろう。


小町通

 女性の社会進出、正確に言うなら、女性が自活することができるだけのカネを稼ぐことは、日本文化の将来にとり、きわめて重要である。実現可能性をあえて完全に無視して言うなら、自分で自分の生活費を稼ぐことなく、いわば「専業主婦」として暮らしている女性をすべて家庭から追い出し、フルタイムの賃労働に従事させることが必要である。その際、賃労働に従事することと引き換えに、介護や育児に関し特別に手厚い支援を与え、さらに、場合によっては、たとえば「女性は所得税一律半額」のような減免措置を講じることは、働きたくない女性が家庭にとどまる口実を奪うために当然必要となるであろう。

 なぜ女性が外に出て働くことがそれほど重要であるのか。

 現代の日本の文化のかなりの部分は、専業主婦によって支えられている。いや、文化に限らず、個人消費のかなりの部分は、専業主婦が何かに対価を支払うことによって作り出されていると言うことができる。ところで、専業主婦というのは、みずからは生活費を稼がず、配偶者の収入に依存する存在である。したがって、個人消費が専業主婦の支出に多くを負っていることは、カネの使いみちが、生活を自力では維持することができない人間によって決められていることを意味する。

 これは、深刻に受け止められねばならない事実である。そもそも、労働の対価として報酬を受け取る者でなければ、カネの本当の価値を理解し、カネを払って購うべきものを厳しく吟味することなどできるはずがない。他人が稼いだカネによって購われるものに厳しい吟味が届かない点については、専業主婦も税金を使う官僚も同じである。税金は、官僚によって無駄に使われ、同じように、配偶者がつらい労働によって家庭へと引き寄せた所得は、専業主婦によって散財される運命にある。当然、専業主婦の支出が文化へと向かうとき、購われるものは不当に高く評価され、文化を誤った方向へと導く危険がある。実際、少なくとも敗戦後、専業主婦が家計を管理するようになってから、演劇、音楽、料理、ファッション、観光など、広い意味における文化の多くの領域における生産活動は、とどまることなく堕落し続けているように見える。専業主婦、つまり、労働の厳しさに裏づられた厳しい眼を持たない客を主な相手とするようになり、高い水準を目指す必要がなくなったからからである。文化の貧困が専業主婦によって惹き起こされたと私が考える理由である。日本の文化が現在でもある程度の水準を維持しているとするなら、それは、文化的活動に携わるプロの覚悟と、戦前に積み上げられた遺産のおかげであると言ってよい。

 専業主婦に小遣いだけを与えておくわけには行かないとするなら、文化の豊かさを取り戻すために残された選択肢はただ一つ、それは、専業主婦を家庭から追い出し、労働によって鑑識眼を身につけさせる以外にはない。これは、一人ひとりの女性の短期的な幸福を必ずしも約束するものではないけれども、長期的に見るなら、これにより、日本人の福祉は間違いなく促進されると私はひそかに考えている。


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