AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

2017年01月

06_06_07_G6Y8975

 しばらく前、次のようなニュースを見つけた。

移民を蹴り転ばせた女性カメラマンに有罪判決 ハンガリー - BBCニュース

 セルビアとの国境からハンガリーに入国しようとしたシリアの難民を撮影していたハンガリーの女性カメラマンが、子ども2人を蹴り、子どもを抱えて走っていた男性を足でひっかけ転倒させた容疑で起訴され有罪になった事件である。(なお、記事に注記されているように、BBCは、原則として「難民」(refugee) という言葉を使わず、すべて「移民」(migrant) と表現しているようである。)

 日本人の多くは、難民や移民について、同情すべき存在であると考えているであろうが、(私の情報が不足しているのでなければ、)難民や移民との共生については、どちらかと言うと否定的に評価しているように見える。難民や移民の認定や受け入れに対する政府の消極的な態度は、社会全体の空気の反映にすぎないように思われるのである。(もちろん、「労働力として役に立つから歓迎する」という意見がないわけではないが、ここでは、このような即物的で功利主義的な思惑はさしあたり無視する。)

 外国人に対する日本人の関係というのは、日本文化論や日本人論において飽きるほど繰り返し取り上げられてきたトピックである。ただ、日本人を外国人との関係において規定するのが日本人論、日本文化論の課題であるなら、これは、当然のことであるかも知れない。

 多種多様な日本文化論、日本人論から最大公約数的な見解を取り出すなら、おおよそ次のようになるであろう。すなわち、「日本人は、外国に由来するものは何でも『舶来』のものとして積極的に受容し珍重するが、人間だけは例外であり、外国人を社会に受け入れ同化を促すことには消極的であり、外国人は『よそ者』として隔離される。」そして、「外国人の意見は、日本人の意見よりも尊重されることが多いが、それは、あくまでも外国人が『よそ者』だからである。」

 外国の場合、外国人嫌い(xenophobia) には露骨な人種差別が重ね合わせられることが多い。だから、人種差別の要素が希薄である点で、日本の外国人嫌いはやや特殊であるかも知れないが、それでも、外国人嫌いは、それ自体としては日本に固有の傾向ではない。どのような社会でも、よそから来た者を無際限に受け容れるようなことはないはずである。

 難民や移民の受け容れに対する積極的な態度は、それ自体としては合理的であるのかも知れない。しかし、難民や移民を受け容れる前に必ず承知しておくべきことがある。それは、難民や移民が日本に来るとするなら、それは、生存のためであり、日本人と「共生」し、日本人の社会に同化するためではないという点である。日本人との共生、日本社会への同化が実現するなら、それは、難民や移民の側からすれば、やむをえざる共生と同化であるにすぎない。なぜなら、彼ら/彼女らは、本国が平和で安定していれば、(彼ら/彼女らにとっては得体の知れない)日本人などと接触するストレスとは無縁でいられるはずだからである。この点は、決して忘れてはならないであろう。

 さらに重要なのは次の点である。難民や移民は、それ自体として「よい人々」でもなく「ならず者」でもない。難民キャンプの映像を見ると、そこで暮らす人々がボロボロの服を身につけ、最低限の食料で日々を過ごしていることがわかる。そのため、日本人が親切にしてあげれば、彼ら/彼女はさぞ喜ぶであろう、日本人は大いに感謝されるであろうと考えがちであるが、現実には、そのような肯定的な反応はほとんど期待することができないであろう。そもそも、彼ら/彼女らは、難民になる前からボロボロの服を身につけ、最低限の食料で日々を過ごしていたわけではなく、その生活水準は、大雑把に言えば、平均的な日本人と大して違わなかったはずだからである。

 また、難民キャンプについて、「かわいそうな人々が集まっているところ」であると信じている日本人は少なくないかも知れない。しかし、私自身、難民キャンプを実際に訪れたことがあるわけではなく、詳しいことを知っているわけではないけれども、少なくとも、そこが、決して安全な避難所なのではないことは知っている。むしろ、難民キャンプというのは、大抵の場合、ありとあらゆる犯罪が発生する空間、安定した社会を支配する道徳や法の通用しない一種の無法地帯であり、何としてでもそこから逃れて安全な場所に身を置きたいと考えるようなところである。(アフリカに作られた難民キャンプでは、部族間の抗争が発生し、「ミニ内戦」のような状態になったところもある。)シリアからの難民が、考えうるかぎりのさまざまなルートを辿ってヨーロッパへと向かうのも、そのためである。難民は、ヨーロッパ好きなのではない。ヨーロッパの社会に溶け込みたいと考えているのでもない。彼らの切実な要求は、本来の水準に近い生活を取り戻すことだけである。上の記事が紹介した事件で有罪判決を受けた女性カメラマンは、押し寄せる難民に「恐怖」を覚えたと語っているが、これは、難民を迎え撃つ側が抱く自然な感情であろう。何と言っても、「自分たちのことしか考える余裕がない」ほど追い詰められた人々、「生存のためなら犯罪もいとわない」人々が大量に押し寄せてくるのであるから、これが個人にとっても社会にとっても脅威にならないはずはないのである。

 (可能性は低いとしても、)難民や移民が日本に大量に上陸することがあるとすれば、彼ら/彼女らが日本に期待するのもまた、日本人との共生でも交流でもなく、単純に自分たちの生活の回復であるに違いない。外国人の受け容れにあたり、このあまりにも当然の事実を認識することは絶対に必要である。

 難民を受け容れ、移民を受け容れるのなら、彼らの第一の要求、もっとも切実な要求が何であるのかをよく承知することが必要である。日本人が彼ら/彼女らに期待しているものと、彼ら/彼女らが日本人に期待しているものとのあいだに途方もなく大きな隔たりがあることを理解しないまま、難民や移民を受け容れても、幸せな結果は決して期待することができないように思われるのである。


Untitled

 私の家は、墓地を東京の西のはずれに持っていて、年に何回か墓参する機会がある。

 江戸時代以来、私の一族の墓は、都内のいくつかの寺に分散していたのだが、誰かの発案で、何十年か前、開園したばかりの新しい霊園に広い土地を一族で求め、途絶えてしまった「分家」のものや、やはり途絶えてしまった姻戚のものを併せ、先祖代々の墓のすべてをここに移転、統合したのである。(それぞれの寺との関係が煩わしかったのだと思う。)だから、私の家の名が刻まれた墓に納められた遺骨の大半は、私が生れる前、いや、それどころか、私の両親が生れたときにはすでに亡くなっていた人々のものである。

 そして、おそらくそのせいなのであろう、私の家が占有している区画は、通常のサイズの3倍くらいの広さがある。(今はかなり立て込んできたけれども、引っ越しをした当初、霊園はできたばかりで、周囲には何もなかったのを覚えている。)とはいえ、その趣は、墓地というよりも「墓所」に近く、永代供養の形にしているおかげで固定的な維持費はかからないものの、また、1ヶ所にすべてが集まっているおかげであちこちを巡る必要はないものの、本格的に管理するのは、やはり面倒である。

 ところで、何年か前、墓参りをしたとき、墓石の前の敷石に犬の足跡がついているのを何回か見つけた。霊園の規約では、犬を園内に連れ込むことは禁止されているはずであった。そこで、霊園の事務所に問い合わせたところ、おおよそ次のような回答があった。「たしかに、霊園は、犬を園内に連れ込むことを規約によって禁止しており、利用者には注意喚起を繰り返しているが、利用者が自動車に乗せて犬を連れ込むことがないよう監視するのは難しい。また、霊園とは関係のない近所の住民が勝手に入り込んで犬を散歩させることも多く、これについては、防ぎようがない。」

 仕方なく、私は、問題を自力で解決することに決め、ある休日の朝、霊園の開門に間に合うように自宅を出て、霊園の私の家の区画の中でしゃがんで見張ることにした。誰かが犬を連れ込む現場をおさえようと思ったのである。(幸い、区画の境界に背の低い植え込みがあり、身を隠せるようになっていた。)

 しばらく待機していると、開門から15分くらいしたころ、犬の足音と息遣い、そして、人の歩く音が聞こえてきた。音は、次第にこちらに近づいてきて、そして、犬を先に立てて、見知らぬ初老の女性が慣れた足取りで私の家の区画に入ってきた。どう見ても墓参のためではなかった。

 面積が広く、複数の墓石があるため、区画の中央には、通路用に若干のスペースが空けられており、この女性は、散歩の途中、ここに犬を連れ込んで休憩するのを日課としていたのかも知れない。

 そこで、この女性が入って来ると同時に、私は、物陰から立ち上がり、「何か御用ですか?」と尋ねた。すると、この女性は、非常に慌てた様子で、何かを不明瞭につぶやきながら後ずさりして、そのまま犬と一緒に歩み去った。

 私の家の区画を訪れる犬が1匹だけであったのかどうか、これはわからないけれども、この張り込みのあと、敷石に犬の足跡が残されることはなくなった。

 墓地というのは、犬の散歩のためにあるのではない。私の場合、被害と言えば、敷石に残された足跡だけであるけれども、供物が持って行かれたり、あるいは、抜け毛や排泄物が残っていたりする可能性もないとは言えない。実際、墓地を「ドッグラン」と勘違いし、リードによる係留なしに大型犬を自由に走らせている者を墓参の客の中に見かけたこともある。(「東京都動物の愛護及び管理に関する条例」に対する明らかな違反である。)

 たしかに、墓地をそれ自体として必ずしも清浄な空間とは見なさない宗教がこの世にはある。しかし、日本の場合、信仰に関係なく、墓地が「清浄を心がけるべき場所」と一般に見なされていることは事実である。犬の行動を厳格に管理することができないかぎり、「犬とともにあること」は、「墓を訪れること」とは相容れないように思われるのである。もっとも、日本には、自分の飼い犬の行動に少しでも制限を加えられると正気を失うような狂信的な「愛犬家」が多く、墓地から犬を排除することの必要を道理にもとづいて説明しても、これを納得させることは容易ではないのかも知れない。


Bookstore?

 日本国内で1年間に市場に送り出される書籍の数、つまり新刊書の出版点数は、この数年、約8万点である。1日に200冊以上の本が新たに作られていることになる。

 しかし、この膨大な新刊書の大半は、売場面積の広い大手の書店の片隅にごく短期間並べられたあと、店頭からは姿を消す。その後、アマゾンに代表される通販でしか入手することができない期間をしばらく経て、数年のうちに品切れ、絶版となってこの世から姿を消す。(厳密に言えば、図書館が購入するものは、除籍されないかぎり消えてなくならない。また、古書で流通することにより市場にとどまる可能性もある。)

 本は、売れないせいで姿を消すこともあるし、内容が賞味期限切れになり、役割を終えて市場から退場することもある。後者を代表するのは、時事的なもの、機械類のマニュアル。芸能人に関する本など、刊行された瞬間から腐蝕が始まるような性質のものであり、出版点数全体のかなりの割合をこのような本が占めている。

 新刊書の出版点数は、1950年代には約1万点であった。それが、1972年に2万点、1982年に3万点、1992年に4万点、1994年に5万点、1996年に6万点、2001年に7万点となり、2005年に8万点を超えた。60年前と比較すると、市場に流通する本の数は7倍以上になった。また、戦後のある時期まで、本を送り出すことには、読書の需要に応える意味があり、このかぎりにおいて、たくさんの本が作られることには大義があったと言うことができる。しかし、ある時期――おそらく90年代――以降の出版点数の増加は、明らかに不自然であり、不健全である。たくさんの本が公衆によって求められたから出版点数が増えたのではない。反対に、本が読まれなくなっているせいで、市場に流通する本が増えているのである。ごく大雑把に言うなら、確実な利益が期待できるごく少数の本――主に漫画――の利益をもとにして、膨大な数の売れない本が作られているのである。

 詳しいことは、たとえば次の本に具体的に記されているとおりである。

(046)「本が売れない」というけれど

 本が増えるとともに、これに比例するように、「本の形をしている」もののありがたみも減少した。

 今から約50年前、市場に流通する本の数が今の5分の1程度の時代、大手の書店の売場にすべての新刊書を並べることが不可能ではなかった時代とくらべると、出版点数は読書の需要とは無関係な不自然な形で増加し、それとともに、「著者」の数も増えた。最近は、電子書籍で自費出版することもできるようになっているから、単著(=著者が自分だけの著書)がある、という実績の価値もまた下落した。したがって、今後は、読者にとり、本当に価値ある本を見きわめること、そして、これを正当に評価する力が必要となるであろう。

 もともと、出版は、文化の生産と継承を担う活動であり、価値のある本(≒教養書)なら、売れないことがあらかじめわかっているとしても、世に送り出されねばならない。有名なタレントが書いた(ということになっているが、実際にはゴーストライターがインタビューにもとづいて書く)本は、書肆の経営には不可欠であるけれども、書肆の社会的な役割を考えるなら、このような、ただ消費されるだけの本ばかりを作っていることは許されないはずであった。

 実際、価値ある本、価値ある著者の選別は、これまでは、主に書肆が負うべき社会的責任であった。また、書肆は、ながいあいだ、この責任をそれなりに担ってきた。しかし、現在では、書肆のこの「関所」のような役割は、少しずつ損なわれつつあるように見える。今後は、書物の価値とは何であり、読書とは何であるのかを冷静に考え、読者自身が文化の生産と継承に対しそれぞれの仕方で積極的にコミットする試行錯誤を避けることができないのであろう。


IMG_7914

 街を歩いていると、銅や石を主な素材とするモニュメントを見かけることが少なくない。以前は、このようなモニュメントを東京で見かけるとすれば、それは、ごく限られた地域の、しかも、いかにもモニュメントがありそうな場所だけであったように思う。上野公園の西郷隆盛像、日比谷の皇居外苑にある楠木正成像、あるいは、靖国神社の大村益次郎像など、モデルとなっているのは、日本人の大半が知る人物、「知名度」の高い歴史的人物像であったし、歴史的な知識が少しでもあれば、設置される場所や事情も直観的に理解することができるものであった。つまり、モニュメントは、歴史的に重要な場所に目印として設置されるものであり、時間と空間が交差する地点の象徴的な表現である。当然、このようなモニュメントは、100年後、200年後にも同じ像が同じ場所にあるという前提のもとで設置されたに違いない。

R4007520 ところが、最近は、何を記念し、何を顕彰しているのかよくわからないモニュメント、特に、アニメや漫画のキャラクターをモデルとするブロンズ像や石像が多くなってきた。私自身がアニメや漫画に代表されるサブカルチャーに不案内なせいなのであろうが、ブロンズ像や石像のモデルを知らず、また、モデルとなった人物が登場する作品を知らないことが少なくない。「サザエさん」や「ゲゲゲの鬼太郎」くらいなら、私にもかろうじてわかる(が、それぞれの像のモデルとなった人物の名を問われても、私には答えられない。)だから、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『銀河鉄道999』『キャプテン翼』などについては、これらが漫画のタイトルらしいということ以外には何もわからないから、それぞれの作品の登場人物をモデルにしたブロンズ像を見ても、それぞれの像において時間と空間がどのように交差しているのか、残念ながら、見当がつかない。私は、これらのモニュメントーー何らかの実用のために設置されているようには見えない以上、これらは、明らかにモニュメントである――を目にするたびに、強い違和感を覚える。

 もちろん、たとえばいわゆる「こち亀銅像」群において表現された登場人物たちが「貫一お宮」や「伊豆の踊子」と同じくらいの重みを持っていることを私が理解していないだけであり、私の違和感の原因が私自身の歴史に対する無知であるのなら、そこには何ら問題はない。

貫一とお宮 しかし、今から200年後、2217年の日本で『こちら葛飾区亀有公園前派出所』という漫画が人々の記憶に遺っているのか、また、この作品が遺すにふさわしいものであるのかどうか、このような点に関し何の合意もないまま、「観光客がたくさん集まりそうだから」とか「町おこしになりそうだから」という安易な理由で、ときには税金を投入したり、ときには寄付を募ったりして公道に設置されたモニュメントは、何十年かののち、みじめな末路を辿ることになるであろう。作品も登場人物も忘れられ、そして、公道上で埃をかぶり腐蝕した意味不明の像が廃棄物として撤去される……、このようなニュースを目にすることになるはずである。

 いや、それ以上に気がかりであるのは、モニュメントがこのような仕方で乱立することにより、街の歴史から重みが奪われることである。流行とともに新たなモニュメントが「歴史」の名のもとに設置され、流行が去るとともに、このモニュメントが公道を占拠する廃棄物へと転落し、そして、撤去されるなら、私たちの街は、交替する流行の展示場にすぎぬものとなってしまう。これは、社会主義国家において、政変が起こるたびに政治家が粛清され、あらゆる公的な記録が消去されることを想起させる。

 本来、モニュメントは、現在に由来しないものをあえて現前させ、歴史を見えるようにさせるよすがとしての役割を担うものであるはずである。漫画やアニメのキャラクターについて、これを貫一やお宮、あるいは、西郷隆盛や楠木正成とともに歴史にとどめるという堅い決意があるならともかく、そうでなければ、モニュメントの設置には慎重になるべきであるように思われるのである。


Koijigahama

 人生で最初に仕事を持ってから、あるいは、初めて就職するときから、私たちは、「なぜこの仕事に就いているのか」「なぜこの職業を選んだのか」などの問いにたえずつきまとわれる。おそらく、人生を終えるまで、この問いから解放されることはないのであろう。

 もちろん、この問いに対する模範的な答えは、現実の仕事と「なりたい自分」の理想を太い直線によってつなぐことによって与えられる。また、このような答えが格好よい答えであり、この問いに格好よく答えることができる人生が格好のよい人生であると普通には考えられているようである。

 たしかに、自分のキャリアパスを簡潔に説明し、これに一貫したストーリーと意味を与えることは、就職面接を始めとして、自分について語る場面では必ず要求される課題である。けれども、この問いに対し誰でも格好よく答えることができるとはかぎらないこともまた事実である。私たちは、それほど格好のよい人生を送っているわけではないからである。躓いたり、逃げ出したり、小休止があったり、転進したり……。むしろ、この問いに対するあまりにも格好のよい答えを耳にすると、私のように性格があまりよくない人間は、不誠実と不自然のにおいをそこにかぎとってしまう。

 実際、私自身、なぜ今の仕事に就いているのかと問われても、明瞭な仕方で返事はできない。たしかに、キャリアパスのそれぞれの段階にはそれなりの岐路があり、それぞれの時点では、自分の能力と機会が許す範囲で最善の選択をしてきたつもりであるけれども、今からその歩みを振り返ってみても、首尾一貫した何かがそこに認められるわけでもなく、ミミズが這ったあとのような曲がりくねった軌跡が自分の背後に残るばかりである。曲がり角を曲がるたびに新しい眺めが広がり、その都度置かれた状況のもとで次の段階を考える……、これまでのところ、私の人生とはこのようなものであった。だから、「なぜこの仕事に就いているのか」とか「なぜこの職業を選んだのか」とか、このように問われても、私にできるのは、「次の最善の一手を考えて行動しているうちに、ここに流れ着いた」というような漠然とした答えだけである。ほとんどの大人は、この点に関しほぼ同じであろう。

 恐ろしく、また、胡散くさいのは、このような「漂着してしまった感」がまったくない場合である。自分の人生の格好悪い部分を忘れているのであろうか、それとも、子どものときから「なりたい自分」が明瞭であり、目標に1ミリの変化もないのであろうか、「なりたい自分」へと一歩ずつ確実に接近する直線的なプロセスとして自分の人生を描くことができる人間というのは、どこかに近づきがたいものがあるばかりではなく、人間的な面白みや誠実が決定的に欠けているような印象を周囲に与えるはずである。

 意見、理想、欲求は、時間とともに変化するものである。だから、自分の人生航路を迷いのない一直線として描くことができるなど、人間の自然に反するに違いない。むしろ、自分をうまくアピールすることができず、なぜ今の仕事に就いているのかを問われても格好よく答えられない方がよほど人間的であり、誠実であるように思われるのである。


↑このページのトップヘ