AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

2017年04月

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1日3食×365日=1095回

 1日に3食を規則正しく摂ると、私たちは、1年間に1095回(うるう年には1098回)食事する。10年間で10950回、50年間で54750回も食べることになる。

 「これだけ食べなければ生命を維持することができない」と考えるなら、人間の生命というのは、ずいぶん効率悪くできているということになるのであろうが、実際には、食事は、生命を維持するために必要なもの、やむをえざるものであるばかりではなく、これには、生活を人間的なものにするために必須の楽しみとしての側面がある。

 以前に投稿した別の記事で書いたように、人間の味覚は保守的である。


おいしさの幅 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST

人間の舌は保守的 人間は、年齢を重ねるとともに、味の許容範囲が広がり、おいしいと思える食べもののバラエティが増えて行くものだと私は信じていた。実際、子どものときにはとても食べられなかったような紫蘇やタラの芽を、大人になってからはそれなりにおいしく食べられ

 それにもかかわらず、新しい味、新しいレシピが世界のどこかでつねに産み出されている。これは、食事が生理的な現象であるというよりも、本質的に文化的な現象だからであると考えるのが自然である。(さらに言えば、食事というのは本質的に「社交」であるから、食事の質を左右するもっとも重要な要素は、「何を」ではなく、「誰と」「どのような状況のもとで」である。)

 1年間で1095回の食事は、文化的な活動である。つまり、いつ、何を、どこで、誰と、どのように食べるかというのは、私たち一人ひとりの生き方の問題となるのである。

食べたいように食べるか、それとも、健康を優先するか

 この世には、健康によいものが食べたいものと一致する幸福な人がいないわけではない。しかし、私を含め、大抵の場合、両者は一致しない。

 つまり、健康に配慮するなら、食べたいものを我慢しなければならないし、食べたいものを食べたいように食べることにより、健康はいくらか犠牲にならざるをえない。

 さらに言い換えるなら、今後の人生において出会う食事の回数を増やすためには、健康的な(、したがって、場合によってはあまりおいしくない)食事を選ばなければならず、反対に、おいしいけれども必ずしも健康的ではないような食事を重ねることにより、残された食事の回数は制限されることになるのである。

 問題は、両者のバランスである。何を食べるかを決めるにあたり、健康は重視すべき要素の1つではあるが、食事が本質的に文化的な活動であり、(ただひとりの食事であるとしても、)社交である以上、もっとも大切なのは、食事が楽しいことである。

 したがって、食事が社交であるかぎり、どれほど健康を増進する効果があるとしても、健康を増進する効果があるというだけの理由によってまずいものを我慢して選ぶようなことがあってはならない。ただ健康的であるにすぎぬまずいものは、もはや食事ではなく、餌にすぎないからである。

人生の終わりに思い返し、食べなかったことを後悔する可能性のあるものは今すぐに食べるべし

 私たちには誰でも、好きな食べものがある。それは、必ずしも毎日のように食べたいものではないかも知れないが、やはり、ときには優先的に食べたいと思うものであり、人生の最後に自分の食事を振り返り、「ああ、あれを食べたかったな」とか「ああ、もう一度あれを食べたい」と願うようなものであるに違いない。しかし、人生の本当の最後になったら、その願いは、主に体力的な事情により、もはやかなわないかも知れない。

 だから、死ぬまでには食べたいもの、食べずに死ぬわけには行かないものがあるなら、それは、健康やダイエットに悪影響が及ぶとしても、すぐに食べるべきである。

 また、「これを食べなかったことを死ぬときに後悔するかどうか」は、食べるべきものを決めるときにつねに考慮されるべき問いであると私は考えている。

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話したことは書けない

 論文であれ、ブログであれ、ツイートであれ、私は、誰かに口頭で話したことは書かない。というよりも、書けない。つまり、話した内容を文字に直すということができないのである。

 話した内容を録音しておき、これを文字起こしすればよいのではないかと考え、実行したことがある。しかし、会話と文章では話題の排列もリズムもまったく異なるため、話したことをそのまま文字にしても、読みにくいばかりであることがわかった。

 以前、あるところに講演に呼んでもらい、後日、講演を印刷物にするため、主催者側で文字起こししたものを送ってもらったのだが、読んでみたところ、話の流れがよくわからないばかりではなく、文法的にも支離滅裂であることがわかり、結局、最初からすべて書き直さざるをえなかった。

 話してしまった内容を文章に書くことができないというのが万人に共通の法則であるのかどうか、私は知らないが、少なくとも、私の場合、例外を許さぬ法則のようである。無駄が多いと言えないことはない。

メッセージを伝えたい相手がいるから書いたり話したりできる

 私には、誰かに話したことを書くのも、話した内容をそのまま文字にすることもできない。しかし、その理由は、比較的明瞭であるように思われる。

 何かを書くとき、私には何らかの伝えたいメッセージがあり、また、このメッセージを届けたい相手がいる。

 もちろん、メッセージを届けたい相手は、具体的な名前を持った誰かである場合もあれば、特定の好みや考え方を共有する抽象的な集団にすぎない場合もある。それどころか、未来に姿を現すはずの、したがって、今のところはまだ実在しない何者か――自分自身を含む――に対するメッセージとして何かを書くことすら可能である。

 口頭での発話についても、事情は同じである。伝えたいメッセージとメッセージを伝えたい相手がいるからこそ、語ることが成り立つのである。

メッセージを届けると、気が済んでしまう

 しかし、伝えたいメッセージとメッセージを伝えたい相手がいることが書くことの前提であるなら、私が何かを伝えたい相手にメッセージが伝わったとき、私が書いた文章は、その使命を終える。

 同じように、私の発話の役割は、私のメッセージが標的とする相手に届くことにより完結する。

 そして、一度誰かに話してしまったことを文章に直すことができない最大の理由はここにある。すなわち、口頭での発話の場合、メッセージを伝えたい相手は、今、ここに、つまり私の前にいる。だから、この相手に言いたいことが伝わることにより、メッセージはその役割を終え、私は「気が済んでしまう」のである。あとに残された言葉があるとしても、それは、私と誰かが相対しているという個別的、具体的な状況のもとでのみ生命を与えられるものであり、それ自体としては、言いたいことの乗り物であり抜け殻にすぎないのである。

 このかぎりにおいて、私は、約40年前から大変に評判が悪くなった「現前の形而上学」や「音声中心主義」にも、実践的な平面では、それなりの正当性がないわけではないに違いないと(ひそかに)考えている。

文章としてすべてを残すには、誰とも口をきかないのがよい

 だから、頭の中にあることをすべて文章にするためには、誰とも口をきかず、すべてを文章で表現すればよいことになる。

 文章というのは、それなりに込み入った内容のメッセージを誰かに届けるために書かれるものであるから、不特定多数の読者にアクセス可能な文章でも、「読んでほしい相手」を想定しなければ、書くことができない。

 具体的な知り合いでもよい、あるいは、未知の、抽象的な理想の読み手でもよい、誰とも口をきかず、誰にも話さず、読み手となるはずの相手を心に描きながら、いわばラブレターのように文字を綴るとき初めて、文章は、生命を獲得するものであるように思われる。

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 江戸っ子には「京都好き」が多い。私も京都は大好きである。

 京都のものなら何でも好き、というわけではないが、それでも、好きなものはいろいろある。

 ただ、東京生まれ東京育ちの人間から見た京都は、他の背景を持つ人々の目に映る京都とはいくらか異なる。

 日本人の多くにとって、京都は、自分が住む街よりも大きな都会であろう。これに対し、江戸っ子から見た京都は、少なくとも規模の点では、自分の住む街の10分の1しかない地方都市である。江戸っ子の注意を惹く京都には、おのずからある意味における「偏り」が生まれることになるはずである。

 そこで、私自身が「京都」と聞いてすぐに思い浮かべるものをいくつか挙げてみることにする。

京都の文化的ディープ・ノース

 栂尾〈とがのお〉は、京都の北の方、清滝川が作る渓谷沿いにあるいわゆる「三尾」(高雄〈たかお〉、槇尾〈まきのお〉、栂尾)のうち、もっとも北のエリアである。

 だから、京都駅から出発する場合、各駅停車の路線バスで約1時間かかる。京都市内の観光に要する移動時間としては、1時間は長い方だと思う。

 同じ「北」とは言っても、鞍馬には電車が通っており、鞍馬寺の門前にはそれなりの規模の集落があるから、あまり奥まった感じがしないのに反し、栂尾のバス停は、清滝川の谷の上を走る道沿いにあり、バス停を降りて見渡しても、鬱蒼とした林が目に入るばかりで、集落と呼ぶことができるほどのものはない。これは、栂尾に向かう途中で通過する高雄や槇尾とも異なる点である。

 もちろん、東京に住んでいても、多摩地域の西の方に行けば、同じようなロケーションに身を置くことができないわけではない。ただ、東京の場合、このような場所は、ほぼ例外なく、ハイキングコースであって、行った先に重要文化財があるわけではない。

 これに対し、栂尾に行くには、登山靴もリュックサックも要らない。また、ものすごく貧弱であるけれども、バス停前に飲食店があるから、弁当を用意する必要もない。栂尾は、まぎれもなく京都の都市文化の北の涯であり、文化的な観光スポットなのである。

明恵と鳥獣戯画と茶園の寺だが、高齢者には向かない

 栂尾までわざわざ行く目的は、誰にとってもただ1つ、それは、高山寺である。(一般に「こうざんじ」と言われているが、「こうさんじ」が正しい発音のようである。)と言うよりも、栂尾のバス停を降りて目に入るのは、高山寺の山門へと上がる階段だけであり、栂尾に到着したら、高山寺に行く以外にすることがないのである。

世界遺産 栂尾山 高山寺 公式ホームページ

 よく知られているように、高山寺は、明恵(1173~1232年)がみずからの修行のために開いた寺である、山の斜面にへばりついたような境内には、日本最古の茶園があり、有名な国宝「鳥獣人物戯画」(の普段はレプリカ)を見ることができる。

 特に真冬の天気のよい午前中に訪れ、境内を歩くと、外界から隔絶された静けさを味わうことができる。これほど隔絶した感じを東京で味わうことは難しいであろう。


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パブリック・ドメイン, Link


 高山寺は、それ自体としては小ぢんまりとしており、境内は大して広くはない。また、京都にある山寺としては、手入れが行き届いて清潔、安全でもある。
 ただ、境内は、大半が斜面と階段である。特に、雪が残る時期には、地面がところどころぬかるんでおり、危険でもある。この意味で、高齢者には向かない観光スポットであると言うことができる。

Boys of Spring

勉強を続けていれば、誰もが大学の専任教員になることができるわけではない

 大学の専任教員になってから18回目の春が来た。

 毎年、新年度のこの時期は、新しい時間割や新しい雑用に慣れず、多少疲れている。だから、ゴールデンウィークまでの日数をカウントダウンしながら、毎日をやり過ごすのが普通である。

 ただ、それとともに、この時期、私はいつも、同じ感慨を抱く。それは、大学の専任教員の身分についてである。

 大学の専任教員、特に比較的名の通った大学の専任教員の中に、時間的な余裕がないとか、研究資金が足りないとか、雑用が多いとか、学内の制度がよくないとか、文部科学省が鬱陶しいとか、このような愚痴をフェイスブックやツイッターを使って拡散させている人々が少なくない。たしかに、私自身、大学の片隅に身を潜めているから、これらの問題が決してどうでもよいわけではないことは承知している。また、このような人々は、ただ愚痴を言っているだけではなく、それぞれが置かれた環境を改善するため、具体的に努力を続けているのであろう。

 けれども、大学の専任教員というのが、ある意味において「少数の選ばれた人々」であるという事実もまた、決して見過ごされてはならないと思う。

 大学を卒業し、大学院に進み、博士課程を修了して学位を始めとするしかるべき資格を取得すれば、誰でもどこかの大学の専任教員になることができるわけではない。むしろ、大学の専任教員のポスト1つの公募に対し、何十人、いや、場合によっては百人を超える応募があるのが普通であり、公募件数が特別に多い分野(たとえば英語やスペイン語のような)でないかぎり、大学院の博士課程を修了して博士号を取得し、さらに、何年にもわたり、何十件もの公募に応募しても、結局、どこにも採用されず、大学の専任教員になることができないまま一生を終える人の方が、(少なくとも人文科学系では、)断然多数派なのである。

 このような人々の中には、学界から静かにフェイドアウトしてしまう人もいれば、本務校を持たないまま、劣悪な労働条件のもとで「専業非常勤講師」として研究と教育に関与し続ける人もいる。(専業非常勤講師の問題については、以前、次のような記事を書いた。)


大学の非常勤講師の何が問題なのか : AD HOC MORALIST

待遇を考えるべきなのは「専業非常勤講師」 何日か前、次のような記事を見つけた。非常勤講師が雇用確認申し立て 東京芸大は「業務委託」:朝日新聞デジタル 大学の非常勤講師の身分をめぐる問題は、何年も前から、繰り返し報道されてきた。私の好い加減な記憶に間違いが

専任教員になれなかった何倍もの人々の複雑な気持ちを背負う

 大学の専任教員になるには「適齢期」というものがある。たしかに、文部科学省が年齢による差別を禁止しているから、現在では、募集の条件に年齢制限が明記されることはない。それでも、常識的に考えるなら、人文科学系の場合、(任期なしの)専任のポストを最初に獲得する年齢は、よほど特殊な分野でないかぎり、40歳前後が事実上の上限になる。40歳前後までにどこの大学の専任教員にもなることができなかった人は、その後の人生において大学の専任教員にはなる可能性はほとんどないであろう。

 大学の専任教員というのは、研究者の広い裾野――こういう言い方が失礼に当たらないとするなら――に支えられた頂上のようなものである。専任教員のあいだで交わされている愚痴など、専任教員になりたくてもなれなかった人々にとっては気楽な「空中戦」のようなものであると言うことができる。言い換えるなら、1人の専任教員の背後には、専任教員になることができなかった何倍、何十倍もの研究者、元研究者、研究者予備軍などがいるのである。

 もう何年も前になるが、ある元プロ野球選手――駒田徳広氏だったと思う――が、どこかのテレビ番組で、おおよそ次のような意味のことを語っているのを聞いた。「実際にプロ野球選手になる若者の何倍、何十倍もの若者がプロになるために必死で努力し、しかし、結局、ほとんどはプロになることができず、別の人生を歩むことを余儀なくされる。だから、プロとして一軍でプレイすることができる自分たちは、プロになりたくてもなれなかったたくさんの人々のかなわなかった夢や期待を背負い、このような人々の気持ちに応えるような仕事をしなければいけないと思っている。

 同じことは、大学の専任教員についても言うことができる。いや、野球を始めてからプロ野球選手になることを最終的に諦めるまでの期間が10年程度であるのに対し、研究者として身を立てることを志してから、この志を諦める決断を強いられるまでの年月が30年近くになることを考えるなら、プロ野球選手が背負う夢や期待よりも大学の専任教員が背負う夢の方が重く、また、屈折したものとなるであろう。

 大学の専任教員が大学、文部科学省、学界などへの苦情をSNS上で吐き出すことがそれ自体として悪いわけではない。ただ、研究者の道が閉ざされた多くの人々を代表しているという――あるいは恨み(?)――ことをときどき思い出し、自分が置かれた立場をこのような観点から見直すこともまた、決して無意味ではないように思われる。

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 江戸っ子には「京都好き」が多い。私も京都は大好きである。

 京都のものなら何でも好き、というわけではないが、それでも、好きなものはいろいろある。

 ただ、東京生まれ東京育ちの人間から見た京都は、他の背景を持つ人々の目に映る京都とはいくらか異なる。

 日本人の多くにとって、京都は、自分が住む街よりも大きな都会であろう。これに対し、江戸っ子から見た京都は、少なくとも規模の点では、自分の住む街の10分の1しかない地方都市である。江戸っ子の注意を惹く京都には、おのずからある意味における「偏り」が生まれることになるはずである。

 そこで、私自身が「京都」と聞いてすぐに思い浮かべるものをいくつか挙げてみることにする。

京都の中では観光客が相対的に少ない

 大規模な植物園は、東京にもないわけではないが、私は、あまり行かない。

 だから、京都で時間があるときには、京都府立植物園を訪れることが多い。

京都府立植物園

 京都よりも小さな街から京都に来る人は、この植物園のような「作り込まれた自然」には魅力を感じないのではないかと思う。そのせいなのかどうかわからないが、植物園には――おそらく桜の季節を除き――観光客は必ずしも多くはない。

 敷地が広いということもあるのであろう、この植物園が、全体としては人口密度の低い観光スポットであることは確かである。

 同じ緑地の中でも、人口密度は京都御苑や下鴨神社よりも格段に低いはずである。特に、植物園に立ち入るには、わずかであるとは言え、入場料が必要である上に、園内へのペットの持ち込みが禁止されているから、散歩中の犬から吠えられたり飛びつかれたりする危険がなく、安全に散歩する(?)ことが可能である。これもまた、少なくとも私にとっては、植物園を訪れるメリットである。

南側のゲートから賀茂川に直に出られる

 植物園は、開園前からこの場所にあった原生林を取り込む形で作られている。したがって、園内に原生林と一緒に取り込まれた半木(なからぎ)神社の周囲を中心に、いかにも古そうな林を見ることができる。これはこれで落ち着く空間ではある。

 ただ、原生林を取り込んで作られた植物園なら、東京にもある。それどころか、人口1人当たりの公園緑地の割合を単純に比較するなら、京都よりも東京の方が多いのである。(京都市が3.1平方メートル、東京都が5.76平方メートル。)

 それでも、私が京都府立植物園に行くのは、これが賀茂川に隣接しているからである。

 私自身は、植物園を訪れるときには、地下鉄で北山駅まで行く。(時間によっては、北山通り沿いに並ぶ飲食店で一休みしたあと、)北山通りに面したゲート(北山門)から入って南側のゲート(これが正門に当たるらしい)へ抜けることにしている。(反対でもかまわないが、その場合には、賀茂川門から出ることになる。)

賀茂川

 植物園は、敷地の西側を賀茂川によって区切られている。(この間の賀茂川沿いの道が「半木(なからぎ)の道」である。)したがって、南側のゲートを出ると、すぐ右に賀茂川の土手があり、天気がよければ、この土手を超えて川原に出て、賀茂川沿いをしばらく歩く。東京の場合、都心を流れる川の大半は暗渠になっており、広い河川敷がないばかりではなく、川を見る機会すらほとんどない。だから、賀茂川(鴨川)沿いを歩くのは、東京の人間にとっては、特別に気持ちがよい体験になるのである。

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