江戸っ子には「京都好き」が多い。私も京都は大好きである。
京都のものなら何でも好き、というわけではないが、それでも、好きなものはいろいろある。
ただ、東京生まれ東京育ちの人間から見た京都は、他の背景を持つ人々の目に映る京都とはいくらか異なる。
日本人の多くにとって、京都は、自分が住む街よりも大きな都会であろう。これに対し、江戸っ子から見た京都は、少なくとも規模の点では、自分の住む街の10分の1しかない地方都市である。江戸っ子の注意を惹く京都には、おのずからある意味における「偏り」が生まれることになるはずである。
そこで、私自身が「京都」と聞いてすぐに思い浮かべるものをいくつか挙げてみることにする。
かつての「朱雀大路」
京都を歩いていて、初めて千本通り(せんぼんどおり)に出たとき、よそ者の私にとって、千本通りは、京都の中心部を南北に走るいくつもの通りの1つでしかなかった。しかも、堀川通りや烏丸通りのような車線も交通量も多い大通りとは異なり、千本通りについては、何の印象もなかった。京都をよく訪れる人なら、千本通りに1度は出たことがあるはずであるが、大抵の場合、何も記憶に残っていないはずである。
しかし、この印象は、千本通りが平安京のメインストリートである「朱雀大路」であることを知るとともに、完全に覆った。もとの朱雀大路よりもはるかに狭い小さな通りになってはいるけれども、これは、京都でもっとも古い道であり、真面目に歩いてみる価値はあるように思われた。
通り沿いに「流行の観光スポット」がほぼ何もない「パッとしない京都」のメインストリート
とはいえ、私は、千本通りを隅々まで歩いたわけではないし、千本通りに歴史的な意義があるかどうかについても、よくわからない。
ただ、確かなことが1つある。千本通り沿いには、流行の観光スポットがほぼ何もないのである。
名所旧跡の類が少ないだけではない。京都の「名店」と呼ばれるもので、千本通り沿いに本店を構えているところは、決して多くはないはずである。上の写真に映っているのは千本五辻交差点であり、右側の建物は、有名な五辻の昆布の本店であるけれども、これは、全体の中では例外に属するように思われる。
実際、過剰に開発された印象を与えるJRの二条駅周辺を除けば、むしろ、東京の人間に、千本通り沿いの眺めは、時代から取り残された感じを与える。
観光客風の歩行者の姿はほとんどなく、日本のどこにでもある全国チェーンの店とともに、地元の客だけを相手にしているような、開いているのか閉じているのかよそ者にはわからないような商店がところどころにあり、通りから奥にのびる路地の両側には、中途半端に古い――つまり観光客向けにリノベーションされていない――微妙な木造建築が目立つ。(千本通りに面したところにある建物も、よそ者が京都について抱く印象を裏切る「おざなりな」デザインのものが少なくない。)
千本通りを歩くと、寺町や新京極のような「安っぽく装われた観光地」、あるいは、祇園のような「作り込まれた京都」とは対照的な「パッとしない京都」を見ることができるのであり、東京の人間の目には、この微妙な「パッとしなさ」が新鮮に映るのである。