AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

2017年04月

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 今から30年前つまり1987年というのは、私が大学に入学した年である。「時間が経つのは早いものだ」「齢をとったな」などという月並みな感想がすぐに心に浮かぶ。

 私の場合、すでに大学に入学したときには、大学院に進学する可能性を漠然と想定していた。(だから、バブル景気の時代にもかかわらず、就職活動を一切せず、洋書と格闘する日々を送っていた。)現在の私の生活は、職業との関係だけを考慮するなら、30年前の私から見て「予想の誤差の範囲内」である。むしろ、路頭に迷うことなく、不本意な仕事で生計を立てているわけでもないという点では、「大学入学当初に目標としていたことの最低限はすでに達成された」と言えないことはない。

 とはいえ、私には、何の留保もなく「この30年の歩みは何も間違っていなかった」と自分自身に胸を張って言うことはできない。やはり、それなりに大きな迷いや失敗があり、人生を投げ出しそうになったことが何回もある。

 以前、私は、次のような記事を投稿した。


人生における「漂着してしまった感」 : AD HOC MORALIST

人生で最初に仕事を持ってから、あるいは、初めて就職するときから、私たちは、「なぜこの仕事に就いているのか」「なぜこの職業を選んだのか」などの問いにたえずつきまとわれる。おそらく、人生を終えるまで、この問いから解放されることはないのであろう。 もちろん、

 自分のこれまでの人生を「なりたい自分」の実現へと向かう一筋の道として語る人がいるけれども、私は、何か不自然なもの、非人間的なものをそこに感じる。人生には、説明のつかぬ回り道や脱線があるのが普通であり、自分の人生を語る言葉が「漂着してしまった」という一種の気恥ずかしさのようなものを帯びることこそ、自然であり、人間らしいように思われるのである。

 今の私が今の職場で働き、今の人間的な環境に身を置いているのは、ある意味では、すべて偶然の結果である。自分の履歴や現状を「なりたい自分への一里塚」として無理やり正当化することは必要ではない。とはいえ、自分の人生について、これをあとから振り返り、「特に大きな失敗をしたわけではないが、積極的に思い出したくはない」と感じるなら、それは、あまり好ましい人生ではなかったと考えるべきである。むしろ、好ましい人生とは、「失敗ばかりではあったかも知れないけれども、それでも、全力で抱きしめたい」ものとして回顧しうるようなものでなければならない。そして、人生の終わりにあたり、過去をこのように回顧すること、つまり、表面的な成功/失敗には関係なく、人生を満足すべきものとするためになしうることは、ただ1つしかない。すなわち、「今でなければできないことを最優先で実行すること」である。大学に入学してから30年を経過した現在の私が、大学に入学したばかりの30年前の私に何かをアドバイスするなら、この1点を強調したいと思う。

 大学生には、「しないよりはした方がよいこと」が山のようにある。「将来の生活のためにしておいた方がよいこと」の優先順位は、特に高く感じられるであろう。しかし、大学生が何よりも優先すべきは、「今でなければできないこと」つまり「大学生のあいだでなければできないこと」であり、「社会に出たらできないこと」であると私は考えている。もちろん、「今でなければできないこと」あるいは「大学生のあいだでなければできないこと」の内容は、人によって区々であり、これに該当するものは、一人ひとりが考えて見つけなければならない。

 私の場合、学生時代の生活時間の大半は、「今後数年のあいだの生活あるいは研究に役に立つことが明らかな知識や技術の習得」と「家族関係の雑用処理」に費やされていた。だから、旅に出ることもなく、サークルに入ることもなく、新しい趣味に時間を使うこともなかった。当然、対人関係はきわめて貧弱であり、少なくとも学部生のころは、誰かとの付き合いから刺戟を受ける機会はなかったと思う。これは、たしかに無駄のない生活ではあるけれども、どうしても必要なことを効率的に片づけるだけの生活であり、したがって、それぞれの瞬間を楽しむ生活ではなく、この意味において、決して楽しいものではなかった。(だから、私は、二度とあの時代に戻りたくはない。)


「今、ここ」にとどまることとしての幸福 : AD HOC MORALIST

幸福の意味を哲学的に考える。


 しかし、人生を豊かなものとするためには、その時々にしかなしえないことは何かをつねに必死で考え、これを見つけて実行することを怠ってはいけない。(必要もないのにアルバイトに明け暮れたり、スマートフォンをダラダラといじったりすることは、人生の貴重な時間をドブに捨てるのと同じことである。)

 人生の大切な30年前の私、大学に入学したばかりの私が今の私の前に姿を現したら、私は、「将来のためにしておくべきこと」よりも「今でなければできないこと」を優先するよう、全力でアドバイスするであろう。

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 昨日、次のような記事を読んだ。

「自主避難」と「自己責任」 今村復興相発言「撤回」でも、くすぶる議論

 この数日のあいだ、東日本大震災の際に自主避難した人々の行動が「自己責任」によるものであるという旨の今村復興大臣の発言がマスメディアで繰り返し取り上げられている。この発言に問題を認めるかどうかは、立場によって異なるかも知れない。私自身は、この発言について、その内容に限定するなら、まったく問題がないとは思わないが、大騒ぎするほどのことでもないと考えている。

自分のだけの不幸にはひとりで耐えなければならない

 たしかに、指示されたわけでもなく、勧告されたわけでもなく、命令されたわけでもないのに、安全が脅かされていると感じてどこかへ「『自主』避難」したのであるとしても、そこに何らかの事情を想定することは不可能ではない(が、私自身には、具体的な事情はわからない)。だから、避難せざるをえなかったことについて「国の責任」を問い、「国の支援」を要求することは、「『自主』避難」した人々が国民を納得させられるのなら、このかぎりにおいて、決して不当なことではないと思う。

 ただ、上のような報道を眺めていて考えることが1つある。それは、個人的な不幸と集団的な不幸のあいだ、あるいは、「自分だけの不幸」と「みんなの不幸」のあいだに横たわる差異の問題である。

 私が不幸に陥るとき、それが私だけの個人的な不幸であるとするなら、私は、ひとりで担わざるをえない。たとえば、長年ともに暮らしてきた犬が世を去ったとき、その悲しみは、誰とも分かち合うことができない。あるいは、公道をひとりで歩いているとき、老人が運転する自動車が暴走して私に衝突し、重傷を負ったばかりではなく、後遺症に苦しめられることにもなったとき、この不幸もまた、誰とも分かち合うことができないものである。ともに暮らす家族は、私とある程度までは利害を共有してくれるであろう。さらに、私の知り合いは、慰めの言葉をかけてくれるかも知れない。しかし、誰かが私の不幸を自分の不幸として一緒に担ってくれるわけではないのである。また、時間の経過とともに、自分の不幸は、自分だけの不幸となり、さらに、自分にしかわからない不幸となることを避けられない。記憶は風化するものだからである。

 以前、次のような記事を投稿した。


災害をいつまでも覚えていられるのは当事者だけ : AD HOC MORALIST

去年(2016年)は――あるいは、「去年も」というべきであろうか――いろいろな災害があった。熊本地震(4月12日)のような単純な自然災害もあれば、博多での道路陥没事故(11月8日)や糸魚川での大火災(12月22日)のように、どちらかと言えば人災に属するものもあった。


 災害の不幸は、当初は集団的なものであるけれども、やがて、当事者以外の人々から忘れられて行く運命にある。これが上の記事の内容である。どれほど大きな事故や災害でも、やがて人々はこれを忘れ、そして、不幸を抱えた個人だけが取り残される。今から40年前、次のような事件があった。

横浜米軍機墜落事件 - Wikipedia

 私は、当時小学生だったけれども、その後、中学生になってから、この横浜米軍機墜落事件を題材とする次のようなテレビドラマを観た。

あふれる愛に! - ドラマ詳細データ

 このドラマに関し私の記憶に遺っているのは、何よりもまず、厄災というのが、当事者以外の人々の記憶から急速に失われて行くものであり、同情や関心や援助には「賞味期限」があるということである。

不幸を集団で担い、他人のせいにすることによる慰め

 しかし、東日本大震災のように、多くの人々が同時に不幸を被ったとき、そこには、「慰め合いの共同体」と名づけることができるようなものが成立する。たしかに、被災者は孤独ではない、みなが抱えているのは同じ課題であり同じ不幸であるという了解は、被災者たちの慰めになるかも知れない。また、被災の不幸が広く知られることにより、社会の広い範囲において同情が生まれるであろう。不幸は、みなで担われることにより、その重みをいくらか減じることになるはずである。また、「自分の不幸について、私たちには何の責任もない、責任はどこか別のところにある」と叫ぶことが生きる支えになる場合もあるに違いない。

 もちろん、地震、津波、原子力発電所の災害などによって被った損害や不幸は、必ず他人と共有されねばならないものではなく、これをひとりで抱えてかみしめていても、それ自体としては何ら差し支えないものである。けれども、大抵の場合、被災者は犯罪被害者は、集団を作ることを好む。それは、上に述べたように、集団になっていた方が心強いからである。

 自分が被った不幸をひとりで抱え込み、これを反芻するのが好ましいことであるのかどうか、それはよくわからない。ただ、自分の不幸を誰とも共有することを許されぬ人がこの世にはたくさんいることは事実である。いや、むしろ、人間の不幸の大半は、個人的な私的なものであり、誰かに見守ってもらうことも、誰かに耳を傾けてもらうことすら容易ではないのである。だから、同じ不幸を多くの人々と共有することができること、そして、不幸を他人――この場合は政府や東京電力――のせいにすることがかなりの程度まで許されることは、不幸を抱える人々にとっては、自分の不幸に社会的な性格が与える点において、むしろ幸運であると言うことができる。

不幸を克服する努力は自分で始めなければならない

 ただ、政府や東京電力が厄災について責任を負い、何らかの仕方で被災者を支援するとしても、それは、「立ち直る気がある」者に対する責任であり、「立ち直る気がある」者への支援であると考えるのが自然である。政府や東京電力にできることは、努力する者の背中を押すことだけであって、生活を丸ごと支えてくれるわけではなく、原状を完全に回復してくれるわけでもない。

 この世の不幸のほぼすべてが個人の心の中に抱え込まれていることを考慮するなら、社会に広く知られた最近の大災害の被災者、しかも、何千人もの集団をなす被災者には、まだ救いがあると言うことができる。社会から忘れらぬうちに不幸を克服し、「国の責任」「国の支援」を声高に求める必要のない普通の生活へと早く回帰することを心から願っている。

Honey bee, unedited, iPhone

 昨日、次のような記事を見つけた。

NEWSポストセブン|百田尚樹氏「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」│

 ここで語られていることがどの程度まで真面目なものであるのか、私には判断ができないけれども、百田氏が冗談を語っているのではないとするなら、それは、文化の受容に関する恐ろしい無知と不見識の反映として受け取られるべきものであり、文化の生産に従事する著述家が口にしたことが事実とは信じられないような発言であると私は考えている。

 私は、百田氏のこの発言に同意する日本人がゼロにかぎりなく近いと信じている。そもそも、この論法は、百田氏の嫌いな中国で「抗日」や「反日」を声高に叫んでいる活動家の論法と何ら違いはないように思われるのである。

「外国」に由来する文化を受容することは、これに盲従することを意味しない

 そもそも、外国において産み出された文化的な成果を自国に取り入れることは、当の外国の文化的植民地になることを意味するものではない。古代のいくつかの地域を例外として、歴史に姿を現したすべての文化は、同時代または近い過去の「外来」の文化を摂取し、これを自分なりに消化することにより、みずからの姿を作り上げたのである。このかぎりにおいて、文化の個性は、その消化の仕方に現れると言うことができる。

 ハチミツは、ミツバチが集めた花粉のかたまりではない。それは、ミツバチがみずからの体内の酵素を用いて花粉を濃縮、熟成させることにより産み出されるものであり、花粉をいくら寄せ集めてもハチミツにはならない。文化もまた、これと同じである。すなわち、文化の価値は、「何とも似ていないまったく新しいもの」の生産量で測られるのではなく、むしろ、目の前にあるものを変形し昇華させることによって作り上げられるものの普遍的な意義によって測られるものなのである。

 日本人は、1500年近くにわたり、漢文を学んできた。そして、この事実は、それ自体として、中国文化に対する高度に日本的な態度の証である。なぜなら、「漢文を学んできた」ということは、古代中国語が、わが国において――荻生徂徠に代表される少数の知識人を例外として――古代中国語として、つまり、外国語として学習されてきたのではなく、「漢文」として、つまり、日本語の表現形式の一種として受容されてきたことを意味するからである。

 これは、中国語と中国文化の受容に関する日本に固有の形態として高く評価されるべきである。漢文というのは、中国の文化ではなく、中国の文化の日本的な消化の成果であり、純粋に日本的なものなのである。(中国に隣接する他の国にも、漢文と似たような形で中国語を受容する試みがまったくなかったわけではないけれども、日本ほど継続的、系統的なものではなかった。)

漢文学習の伝統がなかったら、「教育勅語」も『学問のすゝめ』も生まれなかった

 したがって、漢文を学ぶことは、日本文化の伝統を学ぶことであり、漢文は、日本の文化の不可欠の一部である。もはや現代では、10代から20代の平均的な中国人には漢文に相当する古代中国語を正しく理解することができないと言われている。だから、百田氏の要求が実現して漢文の授業が廃止されることになれば、その措置は、日本人の知的水準を中国人と同じ程度にまで引き下げることに役立つはずである。

 表面的に見るなら、日本人が漢文をまったく勉強せず、ただ外国語としての古代中国語を一部の知識人が学習するだけであったなら、古代から現代まで、わが国の文学史を形作る作品は大半が生まれていなかったであろう。万葉集、古事記、日本書紀に始まり、源氏物語、今昔物語集、枕草子、平家物語、太平記などを経て、夏目漱石(漢詩人でもあった)や森鴎外を始めとする明治の文豪まで、すべてが文学史から姿を消す。当然、「漢文訓読体」なるものも存在せず、いわゆる「教育勅語」も福沢諭吉の『学問のすゝめ』も書かれることはなかったであろう。

 古代中国語を漢文として受容し、これが遅くとも江戸時代中期までに国民の広い範囲に普及していたからこそ、明治以降、「漢語」を媒介とする欧米文化の導入が速やかに進められ、韓国を始めとする他のアジア諸国とは異なり、自国語のみによる高等教育が可能になったのである。そもそも、現代の知的世界においてテクニカルタームとして用いられている漢語の大半は、西周を始めとする明治の知識人たちが漢文の伝統の中から生み出したものであり、中国語に由来するものではないのである。

漢文学習と中国への親近感が無関係であることは、歴史が証明している

 日本には、どの時代にも、「中国かぶれ」と呼ぶことのできる人々が必ずいた。しかし、このような人々が少数派の「中国かぶれ」と受け止められていたという事実は、大半の日本人が「中国かぶれ」ではなかったことを物語る。

 漢文を勉強し、漢文を巧みに操る能力を身につけることと、中国が好きになることとのあいだには、おのずから距離が認められる。実際、日清戦争において重要な役割を担った陸奥宗光や伊藤博文が漢文の学習のために費やした時間は、現代の平均的な日本人の漢文学習時間の何百倍にもなるはずであるけれども、彼らが決して「親中派」でも「媚中派」でもなく、百田氏が言うところの「中国への憧れ」などはなく、当然、「中国は『歴史ある偉大な国』『文明的ないい国』だという誤解」などに囚われてもいなかった。

 それどころか、同時代の中国に対し親近感や敬意を彼らが抱いていたかどうかすら怪しいことは、歴史的な事実から明らかである。漢文を勉強することと中国に対する警戒感が無関係であることは、歴史によって証明されているのである。

 むしろ、現代の教育において問題なのは、漢文学習の比重が相対的に低下していることである。多くの大学は、入試の国語の問題作成に当たり、漢文を出題範囲から除外している。これが原因の1つであるのかどうかわからないけれども、現在の平均的な高校生の学習において漢文が占める位置はきわめて低く、むしろ、私自身は、現代の社会生活をわが国の伝統に接続させるためには、国語教育における古文と漢文の比重を大きくすることが必要であると考えている。

 ことによると、百田氏は、「日本人の『中国への漠然とした憧れ』」という言葉を使うに当たり、『史記』マニアや『三国志』マニアや『水滸伝』マニアを想定しているのかも知れないが、そうであるなら、まず百田氏が主張すべきなのは、漢文の授業を廃止することではなく、これらの歴史書を題材とするゲームの製作と販売を制限することであろう。


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Rush hour

「作家」で何が悪いのか

 1ヶ月くらい前、ツイッターで次のような書き込みを見つけた。


 その後、しばらくしてから、次のような記事をネットで読んだ。

【追記しました】私はライターじゃない : はあちゅう 公式ブログ

タッキー・はあちゅう大作家先生肩書問題の本質 - Hagex-day info

「肩書き」の意味のなさ : はあちゅう 公式ブログ

 私自身は、何らかの意味においてクリエイティヴ・ライティングに従事している著述家をすべて「作家」と呼ぶことにしており、この意味において、「はあちゅう」氏は紛れもなく作家である。したがって、「はあちゅう」氏が作家を自称することの何が問題なのか、それ自体としては私にはわからない。おそらく「ライターではなく作家」を自称したことがかなりの数の人の神経を逆撫でしたのであろう。(たしかに、「ライター」という語には、「主にテクニカル・ライティングで生計を立てている人」の含みがつきまとう。)

日本は「肩書社会」ではない

 とはいえ、肩書が社会生活において担う役割は、決して無視することができないものである。実際、肩書は、自称であれ他称であれ、社会における位置をわかりやすく表示するものであり、「無肩書」の人間は、いかなる場面においても信用されることはないであろう。

 ことによると、わが国が「肩書社会」であり、肩書に関し、外国と比較して相対的に窮屈であると思っている人が多いかも知れないが、これは必ずしも事実に合致しない。たしかに、アメリカの西海岸や東海岸の一部のように、職業を始めとする社会的な「属性」が大して重要と見なされない地域がないわけではない。また、このような「属性」があえて隠されることによって機能する集団――フリーメイソンやアルコホーリクス・アノニマス(アルコール依存症からの回復を当事者が匿名で支援する集団、アメリカのテレビドラマによく登場する)のような――というものもあるであろう。

 けれども、一般には、周囲からの呼びかけられ方、あるいは、周囲から承認された自称が社会生活の質に与える制約は、日本は、外国、特に欧米の諸国と比較してはるかに緩やかである。上のツイートにあるように、外見を見て「お父さん」とか「お姉さん」とか呼ぶのは、たしかに大いに問題であるが、見方を変えるなら、これは、わが国が「肩書で人を評価する」ことが比較的少ない社会、各人がその「実力」ないし「実質」に即して扱われる余地が大きい――必ずそうであるわけではない――自由な社会であることを示す事実であると言うことができないわけではない。

 イギリス、フランス、ドイツなどの諸国の場合、職業、経歴、家族内の位置などを示す肩書には、絶対的な意義が認められている。この意味において、ヨーロッパは階級社会であり、不適切な肩書を自称することにはあまり寛容ではない。

 そもそも、英語やドイツ語ではかなり崩れてきているけれども、多くの西洋近代各国語では、女性の呼称が未婚と既婚で異なる。また、ヨーロッパは、日本とは比較にならないくらい学歴や血統を重視する社会でもある。(だから、外見だけを手がかりに安直に「お母さん」などと呼ぶことには、かえって一般に慎重である。)私たちがこのような事情に気づかないとするなら、それは、これらの国を訪れるときには、私たち日本人が「外国人」として扱われるからであり、また、ヨーロッパ諸国の出身者で、日本人とあえて交流しようなどと思う者は、大抵の場合、窮屈な「肩書信仰」のようなものから比較的自由だからである。

呼称の改善案

 なお、上のツイートに関連する私の提案は、次のとおりである。

    • 「おばさん」「おじさん」「お母さん」「お父さん」をすべてやめ、「大将」に統一する。(これら4つの呼称は、相対的に年長の相手に対して使われるから、「大将」で何ら問題ない。)
    • 男女を呼び分ける必要があるのなら、それぞれ「旦那」と「お女中」とすればよい。
    • 姓のあとにつける「君」「さん」などを年齢や性別に関係なく統一させるなら、「……氏」とすればよい。実際、大学院生のころ、学年の順序と年齢の順序が一致しない環境に何年も身を置いていたけれども、このような環境では、相手への呼びかけるに「……氏」が多用されていた。(目の前にいる相手を3人称で呼ぶようで、あまり気持ちよくはなかった。)

On The Front Line

いわゆる「哲学の最前線」とは「哲学の流行の最前線」にすぎない

 哲学では、自分が研究対象としている対象の「最前線」を必死で追いかけている研究者をときどき見かける。(若手に特に多い。)学会に行くと、この何年かのあいだに欧米で公刊された最新の研究文献、あるいは、欧米の学術雑誌に発表された最新の論文ばかりに依拠して何かを語ろうとする口頭発表を聴かされることがあるのである。

 以前から、アングロサクソン系の哲学を研究する者たちのあいだでは、この傾向が顕著であったけれども、最近は、大陸系の哲学の研究でも、このような傾向が目立つような気がする。しかし、私自身は、最前線に執着するこのような研究のスタイルには微妙な違和感を覚える。(あまりにもハイコンテクストで付いて行けないこともある。)

 自然科学の場合、研究の最前線に身を置き、トレンドを追いかけるばかりではなく、このトレンドを追い越しみずから作り出さなければ、そもそも「研究」していることにならない。最新の成果がつねに最良のものだからである。

 しかし、人文科学の場合、最新の研究成果が必ずしも最良というわけではない。最前線を追いかけることの意味は、決して自明ではないのである。

 もちろん、たとえば言語学や考古学のような分野では、最前線に重要な意義がある。というのも、このような分野では、最新の研究成果が何らかの意味において必ず最良の研究成果を含むからである。

 しかし、これ以外の分野、特に、哲学と文学における研究の最前線というのは、基本的に「流行」の別名である。(物理学の最前線は、決して物理学の流行の最前線ではない。)それは、人文学に固有の次のような事情があるからである。

 ※ 以下、哲学を例に説明するが、文学についても、事情は基本的に同じである。

人文学は「進歩」と無縁の研究領域である

 そもそも、社会科学や自然科学の多くの分野と異なり、哲学には進歩というものがない。すべての哲学史はプラトンの脚注であると言われる(by ホワイトヘッド)ように、本質的な部分では、古代ギリシア以来、一歩の前進もないのが哲学というものである。

 たしかに、2500年以上におよぶ哲学史を構成する哲学者たちの言葉は、表面的に見るなら、決して同じではない。それどころか、一人の哲学者が語る言葉の中にすら、変化や矛盾が認められることは稀ではない。

 それでも、哲学者たちが遺したテクストは――それが哲学史を構成するものであるかぎり――最終的には同じ一つのものに収束するはずの問題群をめぐるものである。そこに認められる歴史的変化は、「語り方」の違い、あるいは、せいぜいのところ、根本問題のあいだに設定される優先順位の違いによるものにすぎない。

 科学史と科学が截然と分離されるのとは異なり、哲学史と哲学は一体のものである。哲学がテクストの解釈として遂行されるのは、そして、2500年近く前に成立したプラトンのテクストに対しいわば「永遠のアクチュアリティ」が認められるのは、時代や地域に関係ない普遍妥当的な認識が解釈において感得されるからであり、テクストとの対話が与えるこの感得の経験こそ、哲学の核心をなしているからである。

 反対に、哲学史というものを進歩、進化、前進、改良などとは無縁のもの、いわば永遠のものと見なし、2500年間の哲学史を構成するテクストを――哲学史に属するものであるかぎりにおいて――すべて同等に扱うとき、初めて、他から区別された哲学というものが明瞭な輪廓とともに私たちの前に姿を現すと言うこともできる。

 哲学の最前線というのは、実質的には欧米の学界における流行にすぎない。ファッションの流行が他所から到来した何ものかとともに始まるのと同じように、哲学における流行もまた、「舶来」の何ものかを刺戟として産み出されたものである。したがって、現在の欧米の研究の流行にすぎぬ「最前線」にコミットするような研究成果を産み出すことに哲学の遂行の核心を求め、哲学研究を進歩させたり前進させたりすることが可能であると信じている者がいるとするなら、そこに見られるのは、哲学の自己否定であり、人文科学の自己否定に他ならないように思われる。

人文科学の研究成果は、本質的なレベルでは共有不可能なもの

 さらに、自然科学と同じような仕方で最新の研究を追いかけることが無駄であると私が考えるのには、もう1つの理由がある。すなわち、哲学の研究成果なるものは、自然科学の研究成果と同じような仕方では共有することができないものである。

 自然科学の場合、ある分野なりテーマなりに関する最新の研究成果は――もちろん、単なる仮説や思いつきではないことが証明されたら、の話ではあるが――同じ分野なりテーマなりの研究に従事するすべての研究者が受け容れ、これを前提としなければならないものである。そして、このような前提から出発するものであるかぎり、すべての新しい研究成果は、やはり同じような仕方で共有されるはずである。

 ところが、哲学の場合、研究成果を事実と突き合わせて評価することはできない。テクストの読み方に明らかな誤りがある、論旨が破綻しているなどの形式的な問題がないかぎり、すべての研究成果は、(哲学者の具体的な名前が論文に含まれているかどうかには関係なく、)哲学史観の表明である点において等しい価値を認められねばならない。だから、哲学の研究成果は、「正しいか間違っているか」ではなく「私が賛成するか反対するか」によってしか評価されないことになり、万人が受け容れ、前提としなければならないようなものとはならないのである。

 研究者たちのあいだにおいて遂行されうるのは、哲学史上のテクストの解釈において遂行されるのと同じことである。つまり、対話の場を作り上げ、当事者たちの思考を共振させること、そして、思考の共振によって産み出された新しい真理を刺戟として各々の思考を新しい運動へと促すこと、これ以外ではありえない。対話から生まれる真理は、新たなる思考への刺戟としては当事者たちのあいだで共有されるけれども、真理は、それ自体としては、私たち一人ひとりのあり方と一体であり、本質的に実存的、あるいは実存論的な性格のものであるから、これを共有することは、不可能であるというよりも、最初から問題にならないと考えるべきである。

 また、現実の問題として、哲学は、西洋を本場とするものであり、研究の場としての日本は永遠に周縁にとどまらざるをえない。自然科学や社会科学の場合、ある研究分野において日本が周縁にすぎぬとしても、それは、研究者が少ない、研究資金が少ないなどの事情によるものであり、偶然の結果にすぎない。しかし、哲学に関するかぎり、日本が周縁であるのは必然であり、欧米の研究動向をウォッチし続け、欧米と張り合う不毛な努力を続けても、日本が周縁から抜け出し、世界の哲学の新たなトレンドを作り出す可能性はゼロである。

 しかし、哲学というものの本来の姿を考えるなら、欧米の流行の最前線を追いかけることが哲学の最前線なのではなく、むしろ、本当の意味における最前線、つまり、活発な思考により真理が産み出される場が哲学にあるとするなら、それは、テクストと対話しつつ哲学が遂行される場に他ならない。すなわち、哲学が遂行されるとき、そこはただちに哲学の最前線となるのであり、本当の意味における哲学の最前線と哲学は、同じ一つのものなのである。私たちは、哲学を遂行することにおいて、ただちに哲学の最前線に身を置く。哲学の最前線に身を置くとは、日本にいながら欧米の研究動向をウォッチすることではないし、欧米の研究者と張り合うことでもなく、哲学史との対話において自分自身のあり方を深く考えるふるまいのうちにあると言うことができる。

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