AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

2017年05月

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馬琴は京料理が大嫌い

 曲亭馬琴の『羇旅漫録』(きりょまんろく)は、馬琴が35歳のときに記した旅日記である。伊勢参りを目的に関西を旅した馬琴が道中で出会ったり目撃したりしたことが、馬琴自身の率直な感想とともに簡潔に記されている。

 この旅日記において特に私の注意を惹いたのは、馬琴が「京料理」というものをまったく評価していない点である。たとえば、馬琴は、次のように語っている。

京によきもの三ツ。女子。加茂川の水。寺社。あしきもの三ツ。人氣の吝嗇料理。舟便。たしなきもの五ツ。魚類。物もらひ。よきせんじ茶。よきたばこ。實ある妓女。

 馬琴の口には京都の食べものがよほど合わなかったらしく、ことあるごとに江戸の料理と比較して京料理を酷評する。まず、馬琴は、京都の魚がまずいことを指摘する。

魚類は若狹より來る鹽小鯛鹽あはび。近江よりもてくる鯉鮒。大坂より來る魚類。なつは多く腐敗す。鰻鱧は若狹より來るもの多し。しかれども油つよく。江戸前にはおとれり。鮎鮠は加茂川にてとるもの疲て骨こはし。鮠はよし。若狹の燒鮎よしといへども。岐阜ながら川の年魚などくふたる所の口にては中/\味なし。鯉のこくせうも白味噌なり。赤味噌はなし。

 さらに、馬琴によれば、この「白味噌」にも問題がある。

白味噌といふもの鹽氣うすく甘ッたるくしてくらふへからず。田樂へもこの白味噌をつけるゆゑ江戸人の口には食ひがたし。

 有名な京都の豆腐も、江戸の豆腐には遠く及ばない。

祇園豆腐は。眞崎の田樂に及ず。南禪寺豆腐は。江戸のあわ雪にもおとれり。しかれども店上廣くして。いく間にもしきり。その奇麗なることは江戸の及ぶところにあらず。

馬琴は京都人も大嫌い

 さらに、馬琴は、焼き魚が必ず半身で供されるのは、京都人がケチだからであると言い、京都人の気質に因縁をつける。

大魚の燒物は必片身なり。皿の下になる方の身はそきてとり。外の料理につかふこと大坂も又かくのごとし。京は魚類に乏しき土地なればさもあるべし。大坂にて片身の濱燒なと出すこといかにぞや。是おのづから費をはぶく人氣のしからしむるもの歟。

  また、『羇旅漫録』には、次のような一節もある。京都人が自分の家で客をもてなさないのは、その方が安上がりだからであると馬琴は推測する。

京にて客ありて振舞をするには。丸山。生洲。或は祇園二軒茶屋。南禪寺の酒店などに。一人に價何匁と定め。家内せましと稱して。その酒店え伴ひ行。是別段に客をもてなすの儀にあらず。家にて調理すれば。萬事に費あり。その上やゝもすれば器物をうち破るの愁ひあり。故にかくのごとくす。京の人の狡なること是にて知るべし

 「京の人の狡なること是にて知るべし」と記されているところを見ると、馬琴には、京都人の行動様式がよほど不快であったに違いない。馬琴が京都に出かけたのは、京料理と京都人をけなすためだったのではないかと思われるほどである。

 『羇旅漫録』で京都の食べものに対する純粋に肯定的な評価が見出されるのは、次の箇所だけである。

京にて味よきもの。麸。湯波。芋。水菜。うどんのみ。その餘は江戸人の口にあはず。

旅先の名物をうまいと思えることは少ない

 とはいえ、京都に限らず、旅行者にとっておいしいと感じられる名物料理は決して多くはない。名物料理というものがその土地に固有の自然環境や生活様式と密着しているからである。

 沖縄を旅したとき、有名なルートビアを飲んだ。

ルートビア | A&W沖縄

 沖縄は、固有の郷土食が多い地方であるけれども、ルートビアは、特別に風変りな飲み物――というよりも、本来は「飲料」ではなく「煎じ薬」――である。私は、あの湿布薬のにおいに耐えられず、コップの半分くらいで飲むのをやめた。(個人的には、カネをもらっても飲みたくない。)

 けれども、沖縄では、ルートビアは、街頭の自動販売機で売られている普通の清涼飲料水である。沖縄に固有の味覚は、沖縄に固有の自然環境や社会環境と一体のものなのであり、現地の人々と生活様式を共有することができるなら、ルートビアをおいしく飲むことは可能であるに違いないのである。

 私自身は、最近は、旅先で地元の名物を食べることは最初から諦め、どこにでもあるような飲食店で済ませることにしている。苦労して名物料理の店を見つけて食事しても、その味が苦労に見合うものであるようには思えないからである。

 やはり、誰にとっても、自分が暮らしている土地で食べ慣れた料理が、心身の健康にとってもっとも好ましいということになるのかもしれない。

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若いころからの知り合いであることは決定的に重要

 しばらく前、次のニュースを目にした。

阿川佐和子さんが結婚

 私は、阿川佐和子氏が独身だったことすら知らなかった。(正確に言うなら、既婚かどうか考えたこともなかった。)だから、上のニュースについて、特別な感慨や感想があるわけではない。60歳を超えて結婚するというのは、ずいぶん大変なことだろうと思っただけである。

 ただ、次の記事を読んだときには、今回の出来事について、考えるところがあった。

曖昧な交際開始時期、阿川佐和子の夫の前妻語る胸の内|ニフティニュース

 不倫がよくないとか、男性の前の奥さんがかわいそうであるとか、そのようなことを言うつもりはない。当事者のあいだの関係は、当事者が決めればよいのであり、第三者が口を出すべきことではないように思われる。

 とはいえ、結婚する時点での年齢には関係なく、やはり、若いころから知り合いであることは、結婚にとって決定的に重要な要素である。今回の場合、30年以上にわたる付き合いがなければ、60歳を過ぎてから結婚することは不可能であったに違いない。

私たちは、家族の顔に昔の面影を重ねる

 私たちは誰でも、顔を1つしか持っていない。しかし、他人の目に映る私の顔は、つねに同じではない。1年前からの知り合い、10年前からの知り合い、30年前からの知り合いは、それぞれ異なる相貌の私を見ているはずである。

 若いころからの知り合いは、現在の私の顔に、若いころの面影を読み取り、これと重ね合わせる。これは、若いころの私を直接には知らない新しい知り合いにはできないことである。

 休日に近所の住宅街を散歩しているとき、驚くほど高齢の夫婦が散歩しているのを見かけることがある。見ず知らずの他人である私に、この2人は、魅力に乏しい老人にしか見えない。けれども、彼らにとり、相手は決して単なる老人ではない。何十年も前から眺めて暮らしてきた相手の顔には、若いころの面影が自然に重なり、途方もない厚みを持つ共有された経験が不知不識に繰り返し想起される。夫婦のそれぞれは、相手の心の中で、相手にしかわからない魅力的な相貌を示すのである。

結婚するなら、若いころの自分を知っている者から相手を選ぶとよい

 したがって、あなたが結婚したいと思うのなら、相手は、若いころの自分を知る者たちのあいだから選ぶのが安全であることになる。

 たとえば40歳を過ぎてから知り合った者たちの結婚では、相手は、あなたの若いころを知らず、同じように、あなたもまた、相手の若いころを知らない。今の相手の姿がどれほど魅力的でも、あなたには、相手の現在の姿に昔の面影を重ね合わせることができず、共有された経験を想起することができないのである。

 昔の写真を眺めても、この欠落を埋めることは不可能である。相手の若いころの写真を眺めるあなたは、昔のあなたではなく、現在のあなただからである。

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店に背を向ける席の不思議

 私は、普段は、所用のある場所を最短の経路と時間で移動するよう予定を組んでおり、外出先で「時間をつぶす」ことはあまりない。それでも、この数年は、授業の時間割の関係で、週に1度、早朝に職場の近くのチェーンのコーヒー店(カフェ)に立ち寄り、約1時間を過ごす過ごすことにしている。

 今年の4月、約3ヶ月ぶりでこのコーヒー店に行ったところ、店内の座席の配置が少し変化しているのに気づいた。

 この店は、平面が長方形をしており、その長い辺の1つが全面ガラス張りになって道路に面している。これまで、このガラスのすぐ内側には、2人が対面して坐ることができるテーブルと椅子のセットが3組置かれていた。椅子は、ガラスと平行に置かれており、ここに坐るとき、客は、ガラスを横に見ることになっていた。

 ところが、この部分のテーブルと椅子が取り払われ、その代わりに、窓に面してカウンター席が作られたのである。カウンター席に坐ると、客は、窓と向かい合い、そして、店に背を向けることになる。これは、ずいぶん不思議な体勢であるように私には思われた。

プライベートな空間を確保したいのか

 たしかに、このタイプの座席を持つコーヒー店は少なくない。実際、ボンヤリと眺めていると、このカウンター席から埋まって行くようである。ただ、私自身は、他に空いた席があるかぎり、コーヒー店でカウンター席を選ぶことはない。着席したとき、視野に十分な奥行きがある方が、私にとっては落ち着くからである。

 以前、電車の座席について、次のような記事を投稿したことがある。


電車に乗るとき、座席のどこに坐るか 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST

ロングシートはなぜか両端から埋まって行く 電車に乗ると、固定された座席があるのが普通である。(何年か前、通勤時間帯だけ座席が畳まれ、誰も着席できないようになる車両が東京のJRのいくつかの路線に導入されたけれども、これは、廃止されるようである。)座席が空いて

 多くの日本人は、誰も坐っていないロングシートに最初に坐るとき、左右いずれかの端を選ぶ。ロングシートの両端は、二方向が仕切られており、「隠れ場」や「居場所」になるからなのであろう。

 コーヒー店において窓や壁に向かい合うように着席するカウンター席が好まれるのもまた、同じ理由によるのであろう。すなわち、他の客や店の広がりが視界から消去され、洞穴に似た仮想的なプライベートスペースないし「縄張り」が産み出されることがカウンター席に期待されているに違いない。(全部の座席が衝立のようなもので仕切られているコーヒー店があれば、大人気になるはずである。)

コーヒー店にプライベートスペースを求めることは適切なのか

 しかし、電車のロングシートに最初に坐るときに中央を選ぶ私は、コーヒー店でも、店のほぼ中央、前にも後にもほどよい空間の広がりがある席を選ぶことが多い。そして、このような席からカウンター席の客を眺めるとき、これらの客の背中は、それぞれの「縄張り」を主張するとともに、コーヒー店の空間、その空間にいる客、その空間に配置されているさまざまなモノに対する積極的な拒絶の意思表示のように見えてしまう。

 そもそも、コーヒー店の座席にプライベートスペースとしての役割を期待するのは、必ずしも適切ではない。コーヒー店というのは都市における街頭の延長であり、このかぎりにおいてオープンな空間である。多くのコーヒー店がセルフサービスなのは、それが本質的に屋台だからである。

 したがって、コーヒー店で他の客に背を向けてプライベートスペースを確保しようとするのは、路上に自分の荷物を広げて縄張りを確保しようとするのと同じであり、決して好ましいことではないと私は考えている。都市における公共の空間とコーヒー店との連続を考慮するなら、路上でしない方がよいことは、誰からも咎められないとしても、コーヒー店でもまた避けた方がよいことになる。

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レゴの特徴は、完全な自由にある

 「レゴ」というのは、デンマークの同名の会社が1940年代から製造しているブロック玩具である。私は、小学生のときから、レゴを集めていろいろなものを作った。非常に多くの時間がレゴで遊ぶことに費やされたけれども、この経験は、今でも生活のいろいろな場面で生きていると思う。

 レゴは、多種多様な大きさや形状の、しかし、それ自体は何の個性もないブロックである。だから、これをどのように組み合わせ、どのような形のモノを作るかは、作る者(≒子ども)の完全な自由に任されているはずである。

 何を作るかをあらかじめ決めずに、手近にあるブロックを試行錯誤で組み合わせて行くうちに、面白い形状の物体が出来上がったり、自分がよく知る動物の姿に似たものが偶然の結果として姿を現したりする。そして、このような体験を繰り返すうちに、やがて、何か「意味」のあるものを作ることを思いつく。ただ、私自身は、鉄道模型や箱庭のような「作品」を作るようになったのは、レゴで遊び始めてから2年か3年くらい経ってからだと思う。それまでは、どのブロックをどのように組み合わせるとどのような形になるのか、手当たり次第に試して面白がっていた。

 このように何かを作るという具体的な目標もなく、好きなようにブロックを組み合わせる中で子どもが自分で形を発見し、より複雑なものを自力で作り上げて行くようになる点にレゴの本来の価値はあると私は考えている。

作られる「べき」ものを指定するのはレゴの自殺

 ところが、最近は、レゴには決まった「遊び方」が求められるようになっているらしい。しかし、たとえば、飛行機を作ったり、よく知られた建物の模型を作ったりするという目標が「レゴで遊ぶ」ことに与えられ、作品の完成が何らかの「ゴール」であるかのように見なされるようになることは、レゴの自己否定であり自殺である。というのも、「遊び方」を誰かが決めるということは、面白い組み合わせ方を子どもが自分で発見するための玩具であるレゴに「正しい遊び方」と「誤った使い方」という虚偽の区分を導入するからである。

 レゴのこのような使われ方は、子どもの想像力を育てることにはならない。さらに、これは、本当の意味における遊びですらない。たとえば、「名人」がレゴで作った作品のようなものを見せられた子どもは、その完成度の高さに意気阻喪し、みずからが自力で作ったものを見すぼらしく感じるであろう、そして、レゴで遊ぶのをやめてしまうか、「作り方」のマニュアルを求めるかのいずれかになるであろう。これは、子どもを育てることにならないばかりではなく、むしろ、子どもを委縮させる点で有害ですらある。

 私自身は、自分だけの小世界をレゴで作り出し、自由な試行錯誤に身を委ねながら長時間を過ごした。それは、「名人」の作るレゴとも、そして、もちろん、レゴランドとも異なる、しかし、まったく私のオリジナルの小世界であり、この意味で、私に幸福を与える世界であった。

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社会に出ると勉強しなくなる日本人

 しばらく前、次のような記事を読んだ。

「学び直し」しない日本の会社員人生は危ない | 高城幸司の会社の歩き方

 日本人は、大学をいったん卒業して民間企業に就職してしまうと、その後、「学び直し」による知識や技能や認識の更新がほとんど行われない。25歳以上で大学に入学する者の割合が2パーセントしかなく、これは、OECD諸国で最低である。それは、「学び直し」を阻碍する風土が企業にあるからである。上の記事には、このようなことが書かれていた。

大学は、社会に直に役立つことを学ぶ場所ではない

 もっとも、大学は、企業社会に奉仕するためにあるわけではなく、ビジネスに役立つことを勉強するための場所でもない。

 むしろ、一度社会に出たあとでふたたび大学で学ぶことの意義は、社会から距離をとり、企業の中に身を置いているかぎりは得られなかったような視点を社会について持つことである。

 企業が大学に何を期待しているのかは知らないが、大学には、企業の期待に応える義務はなく、大学での「学び直し」が会社員の「人材」としての価値を向上させる保証もない。大学は、企業の従業員を「オーバーホール」する場所ではないのである。

 自分を根本的に変革する覚悟をもって大学に戻るのでなければ、学び直しは単なる時間の無駄に終わる可能性が高いように思われる。

日本の大学は多様性を欠いている

 ただ、一度社会に出て働いた経験のある者が大学に戻ってくることは、大学にとっては得るところが大きい。というのも、キャンパスに多様性が生まれるからである。

 もともと、日本の大学の学生は、外国、特にヨーロッパやアメリカの大学の学生とくらべて均質的である。つまり、学生が大学で出会うのは、自分と同じような年齢、自分と同じような家庭環境、自分と同じような関心の学生ばかりであり、ものの見方や経験の点で、キャンパスライフから学ぶべきものは――ゼロではないとしても――決して多くはない。

 日本の大学生に留学が推奨されるとき、その理由として、海外の大学では、今まで知らなかったものの見方や考え方に触れることができるという点が挙げられることが多い。日本の大学のキャンパスが多様性に乏しいことを示している。

社会人の「学び直し」はキャンパスに多様性を与える

 だから、日本でも、アメリカの大学と同じように、10歳年長の学生、20歳年長の学生と机を並べることが普通の光景になるなら、勉強においてもその他の学生生活においても、大学は、にわかに活気に満ちたものとなり、大学全体のレベルが向上するに違いない。

 一度社会に出てから大学に戻ってきた学生は、勉強すること、あるいは学生生活を送ることに対して自覚的であり、社会生活において必要とされる知識をよくわかっているから、若い学生は、高校の延長のようなつもりで学生生活を送ることを当然と思わなくなり、社会と自分との関係に注意を向けるようになるはずである。

 以前、少人数の授業で「源実朝」について1人の学生に質問したことがある。(何がきっかけだったのかは憶えていない。)そのとき、その学生は、源実朝が誰であるか答えられなかったのだが、答えられない理由として学生の口から出てきたのが、この記事のタイトルである。実際、現在の普通の大学生にとっては、「日本史を高校で履修していない」という事実が、源実朝について知らないこと、そして、調べることもせず「知らない」と答えることを正当化してしまうようである。

 もちろん、「日本史を高校で履修していないから、源実朝について知らなくてもかまわない」などということが社会で許されるはずはなく、知らなければ、調べて覚えるのは当然の義務であるけれども、極端に均質化された現在の大学では、学生がこの点を自然な形で気づく縁を見出すことはできない。社会人学生がキャンパスに増え、キャンパスが多様化するなら、「日本史を高校で履修していないから、源実朝について知らなくてもかまわない」など、大人の世界では通用しない意味不明の理屈であることが否応なく明らかになるに違いない。

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