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「肉じゃが」は家庭料理の代表ということになっているが

 「肉じゃが」は、日本人、特に男性が好む家庭料理であると普通には信じられている。残念ながら、「肉じゃが」の好き嫌いを周囲の男性に自分で確認したわけではないから、実施に「肉じゃが」がどのくらい好まれているのか、私は知らない。

 ただ、私自身は――日本人の男性であるが――「肉じゃが」をあまり好まない。もちろん、目の前に出てくれば、食べないわけではない――つまり、積極的に忌避するほど嫌いではない――けれども、特に食べたいと思ったことはない。いや、正確に言うなら、他の選択肢があるなら、「肉じゃが」を選ぶことはまずないという程度には嫌いである。「肉じゃが」が男性を「落とす」「勝負料理」であるなどという文章に出会うとき、私は強い違和感を覚える。

肉じゃが? 餃子? 「男を落とす勝負料理」のすごすぎる中身とは|【マイナビ賃貸】住まいと暮らしのコラム

「肉じゃが」のしまりのなさが苦手

 私の見るところ、「肉じゃが」というのは、「しまりのない」料理である。(少なくとも私は、「しまりのない」「肉じゃが」しか見たことがない。)

 「肉じゃが」が「肉じゃが」であるためには、肉(牛肉あるいは豚肉)とジャガイモが入っていなければならない。その他に、ニンジンと玉ねぎ、さらに、場合によってはシラタキや絹サヤが入っていることもある。これは、「カレーからスパイスを取り除いたもの」と「すき焼きを水で薄めたもの」を足して2で割った料理である。

 しかし、カレーは、スパイスがあってこそ美味しいものであり、すき焼きは、煮詰められることで生まれる濃い味に価値があるのに、「肉じゃが」は、これら2つをともに欠く煮物であることになる。「肉じゃが」が与える気が抜けた「しまりのない」印象は、この点に由来するように思われる。

「肉じゃが」の「おざなり」なところ

 さらに、「肉じゃが」とは、基本的にジャガイモを味わう料理なのであろうが、少なくとも私の知る範囲では、ジャガイモが煮崩れるのを防ぐためなのか、味が内部にしみこむまで加熱されず、食べるとき、ジャガイモの青臭さが鼻につくことが少なくない。(ジャガイモの青臭さを好む人は、決して多くないと思う。)

 青臭さは、カレーに代表される強力なスパイスで消す、あるいは、コロッケやポテトサラダのように原形をとどめない程度まで加熱することによって消すことができるが、一般的な和風の煮物の味つけでは――味を薄くしても濃くしても――青臭さが消えることはない。(子どものころ、食卓に「肉じゃが」が出てきたことがあった。そのとき、私が「ジャガイモが青臭い」と文句を言ったら、「『肉じゃが』とはそういうもんだ」という返事が戻ってきた。この返事には、今でも釈然としないものを感じる。)

 けれども、青臭さを完全に消すことを目指して何らかの工夫が試みられたという話は、寡聞にして知らない。「肉じゃが」が、しまりのない料理であるばかりではなく、細部に関し「おざなりな」料理であるという印象を与える原因の一つはここにある。同じ煮物と言っても、「肉じゃが」は「筑前煮」に遠く及ばないと私は考えている。

「肉じゃが」で「落とす」ことができるのは、「肉じゃが」が好まれているからではない

 どのような根拠があるのかは知らないが、「肉じゃが」が男性を「落とす」のに効果的であると普通には信じられているようである。しかし、実際には、「料理が何であっても、落ちるときは落ちる」と考えるべきである。「落ちる」かどうかは、本質的にコミュニケーションの問題であり、相手への思いやりの問題だからである。

 「『肉じゃが』さえ出せば落ちる」など、ありうべからざることであることは、少し冷静に考えれば、誰にでもわかることである。(たとえば、私のように「肉じゃが」を好まない者には、「肉じゃが」は逆効果でしかない。)

 味の好みは人によりまちまちである。。何らかの手料理を手段として男性を「落とす」ことを望むのなら、標的となる男性の好みを徹底的に調べるべきであろう。