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 すべてに先立って言っておくなら、私は、人気がない。なぜ人気がないことの証拠に、私の前には、誰もあまり積極的に近づいてこない。「人気がある」という表現が「ファンが多い」と言い換えることが可能であるなら、私にはファンが少ないということになる。

 なぜ私に人気がないのか、原因は不明である。外見のせいなのか、話題に乏しいからなのか、金持ちではないからなのか、話し方や声にクセがあるからなのか、いろいろと可能性を検討してはみたけれども、結局、その正体はわからない。

 確かなのは、私が他人に直に対面するときでも、メールや手紙のような文字ベースのコミュニケーションでも、論文や著書でも、あるいは、このブログのような意見表明でも、「人気がない」点ではすべて同じということである。外見も声も明らかではない状態ですでに人気がないという事実をこう考慮するなら、私が不人気であるのは、私に由来するすべてのものの背後にある私の性格のようなものが忌避されているからであると考えるのが自然である。

 容姿のおかげで人気者になったり、財産があるという理由で人々が身辺に集まったりすることがないわけではないとしても、たしかに、人気というのは、大抵の場合、個人の性格に対する評価と一体のものである。したがって、人気者になるためには、何よりもまず、周囲から評価されるような性格の持ち主になることが必要であることになる。

 とはいえ、性格というのは、人生経験の中で形成された行動や判断の「癖」であるから、これを矯正することは容易ではない。おそらく、性格の矯正には、性格が形成されてきたのと同じくらいの時間がかかるのであろう。人生のどの時期に、どのような状況のもとで、何がきっかけで好ましくない「癖」が形作られたのか、人生を遡って行くとわかることがある。大抵の場合、性格を形作るのは、かなり若いころ、思春期またはそれ以前の時期の生活環境や出来事であり、ある時期以降は、今度は、このようにして形成された性格の方が人生に偏りを作り出すようになる。

 私の性格に由来する行動や判断は、私の生活の不可欠の一部であり、私の生活の枠組みをなすものであるから、これを冷静な吟味や反省の対象とすることは難しい。それでも、自分自身のあり方に注意を向け、これを見つめることにより、私の性格の正体もまた、少しずつ明らかになり、行動や判断の癖もまた少しずつ矯正されて行くのかも知れない。

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ブログを書き続ける力 : AD HOC MORALIST

これまで7ヶ月以上、毎日記事を投稿してきたが...... 最初に自虐的なことを言うと、今日(2017年3月31日)の時点では、このブログは、ほとんどまったく読まれていない。 もちろん、誰にも読まれていないわけではないし、読んでくれる人たちには心から感謝している。それでも


 ただ、性格が矯正されるなら、事情もまた変化するのかも知れないけれども、現状では、私の努力の範囲を超える問題であり、したがって、さしあたり意味のない問題であると考え、なかば諦めている。