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カネの有無が勝負を決することがある

 外交交渉では、武力において劣る国は、相手から足元を見られるのが普通である。(だから、憲法を改正しないかぎり、わが国は外交で負け続ける運命から逃れられない。)同じように、他人とのあいだの交渉では、いざというときには、所持金ないし財産の有無が勝負を決することが少なくない。

 もちろん、核保有国が核兵器を気前よく使うことなどないのと同じように、いくら金持ちでも、いわば「札束で顔をはたく」ような仕方で問題を解決するようなことは滅多にない。カネを実際に使うのは、最終的な手段である。

 とはいえ、十分なカネには、気持ちに余裕を作る効果がある。目の前にある問題の解決を可能にするだけのカネがあると思えば、強気に出ることが可能になるのである。もちろん、いざとなれば身を翻して逃げることもできるであろう。


脱出万歳 : AD HOC MORALIST

追い詰められないかぎりみずからは決して動かないこと、つまり、ある状況を脱出するためにしか行動しないことは、好ましくないように見えるが......。


 たとえば、同じ職場で働く場合でも、辞めたら路頭に迷う、あるいは、辞めたら家族を養えない、という気持ちに追い立てられながら働くのと、3年は働かなくても食って行くことができるだけの貯金を作った上で働くのとでは、気分はまったく違うであろうし、職場でのパフォーマンスにも差が生まれるであろう。当然、いざとなったら辞めても食って行けるという前提のもとで働く方が、高い生産性を期待することができるはずである。(だから、サラリーマンは、いつ逃げ出しても大丈夫なように、「脱出資金」をつねに用意しておくのがよいことになる。)

カネを使うことは、問題解決のための現実的な選択肢である

 しかし、カネを実際に使わなければ解決することのできない問題は、いつか私たちの前に現れる。しかし、それは、人生を左右するような問題であるというよりも、むしろ、大抵の場合、何らかの「障害物」を除去する費用としてカネが使われることになる。何かが「障害物」になるのは、問題を解決するために交渉が成り立たないからである。

 カネで解決する以外に道がないのは、主に過去に関する事柄である。過去は変更不可能だからである。裁判における損害賠償は、過去に関する事柄をカネで解決する典型的な事例である。変更することができない過去に対し値段がつけられるわけである。

私たちの生活が直面する困難の大半は、カネがないことに由来する

 カネは、実際に使うかどうかには関係なく、誰にとっても大切なものであり、ないよりはあった方がよいに決まっているものである。カネがあればすべての問題が解決可能であるわけではないけれども、日常生活において私たちが直面する問題の大半は、カネがその都度十分にあれば最初から起こるはずのない問題であると言うことができる。この意味において、私たちは全員、程度の違いはあるとしても、「貧しい」ことに違いはない。

 そして、日常生活において出会われるこまごまとした問題がいずれも、カネで解決可能なものであるなら、反対に、カネでは決定的に解決することのできない問題とは一体何であるのか、つまり、カネがあっても回避することのできない問題は何か、ということを真剣に考えてみることが必要となるであろう。なぜなら、カネがいくらあっても回避することのできない問題こそ、万人が頭を悩ますに値する問題であるはずだからである。


100兆円あったら何に使うか : AD HOC MORALIST

この問いに対する答えには、答える者の素姓が映し出される 「100兆円あったら何に使うか」。この問いは、想像力を刺戟するばかりではない。この問いに対する答えは、答えた者がどのような人間であるかを正確に教えてくれるものであるように思われる。ブリア=サヴァランの格