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十分な睡眠時間を物理的に確保することができないのなら、それは、睡眠不足の問題ではなく生活環境の問題である

 十分な睡眠をとることは、健康にとって大切なことである。だから、各人にとって必要と思われる睡眠時間を確保することは、私たちにとって最優先の課題となる。

 もちろん、健康を維持するのに必要な睡眠時間は、人によりまちまちである。適切な睡眠時間は、実際に眠って確かめるしかないのであろう。

 とはいえ、睡眠時間を確保することが必要であるとわかってはいても、さまざまな事情のせいで、健康の維持に必要であるはずの睡眠をとることができない人は少なくない。日本人は、世界の他の国々と比較して、寝不足であるようであるけれども、それは、日本人が特に宵っ張りであり、漫然と夜更かししているからであるというよりも、むしろ、やむをえざる事情によって睡眠時間を削ってきたからであると考えるのが自然である。仕事、育児、介護などは、睡眠から時間を奪う代表的な活動である。

 だから、「あなた、寝不足ですよ、これ以上睡眠時間が不足する状態が続くと健康を損ねることになりますよ」などと医者に言われても、寝不足を指摘された人の多くは、「そんなことはわかっているけれど、好きで睡眠時間を削っているわけじゃない」と反論するであろう。

 そして、睡眠時間を十分に確保することができるためには生活環境を改善するか、あるいは、現在の生活環境から逃げ出す以外に道はないとするなら、睡眠時間の不足が健康を損ねることに危機感を持つ医者が何よりもまずなすべきであるのは、睡眠時間を確保するよう説教することではなく、各人が望むだけの睡眠をとることができるよう、社会を変えるために努力することであるに違いない。睡眠というのは、狭い意味における「公衆衛生」の問題であり、本質的には生活環境の問題であり、したがって、広い意味における政治の問題なのである。

社会を治療するものとしての医療

 以前、次のような記事を投稿した。


100年後の死因第1位について考える : AD HOC MORALIST

人間が人間であるかぎり「不死」ということはありえない 以前、次のような記事を書いた。脳の老化と「寿命」の再定義 : アド・ホックな倫理学「寿命がのびる」という表現が使われるときに一般に想定されているのは、身体の寿命がのびることである。もちろん、最近何十年かの


 医療と医学は、人間の健康――あるいは病気の治療――を目標とする活動の一種である。各人の健康が各人の心がけのみによって完全にコントロール可能なものであるなら、健康管理の責任は私たち一人ひとりが負うべきものであろう。しかし、現在では、上に述べた睡眠の問題を始めとして、健康を損ねる原因が社会にある場合が少なくない。そしえ、社会のあり方が病を惹き起こし、生命を奪うなら、医療や医学は、健康管理を個人に求めるよりも、社会を変えることをまず課題として引き受けるべきであるように思われる。実際、生活を支える物理的な条件が改善されるとともに、社会のあり方が健康に与える影響は増大しつつあるように思われる。したがって、健康的な生活を送ることができるよう社会を変革するための努力は――単なる社会運動ではなく――医療の不可欠の一部として認められに含められるべきであると私は考えている。医療というのは、個人を治療するものであるととともに、また、社会全体の治療へとシフトして行かねばならないものであるように思われるのである。