Manuel Domínguez Sánchez - El suicidio de Séneca

 この1年か2年、ふと思い立ってセネカを手にとることが多い。愛読書というほどではないかもしれないが、気持ちが追いつめられたとき、セネカを読むと、少し安心するのである。

 セネカは、紀元後1世紀のローマで活躍したストア主義の哲学者である。皇帝ネロの家庭教師兼ブレーンでもあった。このセネカは、政治的な活動に忙殺されながらも、相当な分量の著作を遺している。それは、倫理学、自然学、そして、悲劇の3つに大別される。(この他に、皇帝クラウディウスを風刺する物語「アポコロキュントシス(カボチャ化)」を遺している。)

 私は、20代のころには、ストアの倫理学など、どこが面白いのかまったくわからなかった。東海大学出版会からそのころ刊行されたばかりの『セネカ道徳論集』(茂手木元蔵訳)など、退屈きわまるお説教の連続であり、まったく心に響くことはなかった。

 しかし、それから30年近く経ち、あるきっかけから、セネカを手にとったところ、人生で誰もが出会う普通の悩みがそこで取り上げられていることに気づいた。今から2000年近く前にラテン語で書かれた文章とは思われないリアリティを感じた。

 ストア主義がわかるためには、それなりの人生経験を必要とするのかもしれない。

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

人生の短さについて 他2篇 (古典新訳文庫)

怒りについて 他二篇 (岩波文庫)

 「ストア主義」という言葉を耳にして、「禁欲」という言葉を反射的に想起する人は少なくないはずである。

 たしかに、ストア主義は、理性による自己支配こそ幸福への唯一の道であることを強調するから、セネカがたとえば相田みつをのような「にんげんだもの」などという安易な開き直りを許容することはない。

しかし、若いころにはわからなかったけれども、セネカは、現実離れした禁欲を説くわけではなく、目の前にある平凡な問題、心の中に起こる平凡な動きから目を逸らすことなく、これを丁寧に一つずつ乗り越えて行くことを読者に勧めているのである。このかぎりにおいて、セネカは、格調のきわめて高い自己啓発書の著者であると言えないことはない。