AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

カテゴリ: 都市と環境

Off street

吉祥寺駅周辺は、遊びに行くところであって、住むところではない

 今日、次のような記事を見つけた。

賃貸で住みたい駅、赤羽が急浮上 吉祥寺は魅力低下か:朝日新聞デジタル

 朝日新聞のこの記事では、賃貸住宅で暮らす場合の街――というよりも駅周辺――の魅力に関するアンケートの結果が取り上げられている。これによると、この数年、吉祥寺の魅力が低下し、反対に、赤羽や目黒に対する評価が上ったようである。私自身は、赤羽をよく知らないのだが、この記事によれば、赤羽の順位が急激に上がったのには、漫画やドラマの影響が少なくないらしい。

 23区の西の方の中央線沿線の住民にとっては、吉祥寺は、住宅街というよりも、なじみのある繁華街である。私など、平日、休日あわせて平均すると週に1度は吉祥寺に出かける。近所で間に合わない買いものがあるときには、まず吉祥寺で探すことになるからである。吉祥寺に住んでみたいかと言われれば、新宿にも吉祥寺にも30分で行ける今の自宅を引き払ってまで、何の縁もない吉祥寺に移りたいとは思わないけれども、それでも、吉祥寺が便利な街であることは間違いない。

 ところで、上の記事に掲げられていた駅がランクの上位にあるのは、赤羽が典型的に示しているように、「遠目の印象」によるところが大きいように思われる。東京で、都心にアクセスしやすく、物件が安い場所は他にもたくさんあるはずであり、何もわざわざ赤羽や恵比寿や目黒に住まなくても、という気がしないわけではない。

 私は、別に「武蔵小杉」に恨みがあるわけではないけれども――そもそも、行ったことがない――「武蔵小杉」のどこに魅力があるのか、正直なところ、私にはよくわからない。東京に昔から住んでいる人間には、武蔵小杉について、もともと何もなかったところに工場が急に作られ、その後、跡地が住宅に転用されて高層マンションが林立するようになった街、土地柄も由緒もない街、という以上の印象がないはずである。そもそも、厳密に言うなら、武蔵小杉は東京都ですらない。

隅田川の東側でランクされているのは北千住だけ

 とはいえ、土地柄や由緒が売りものになるわけではないのかも知れない。というのも、隅田川の東側にある駅で上位に入っているのは北千住だけだからである。

 都市としての歴史にのみ注目するなら、隅田川の東側には、江戸時代以来の圧倒的な厚みがあり、東京の西の方など、最初から勝負にならない。新宿、渋谷、池袋、あるいは、これらの駅を基点とする私鉄やJRの沿線は、田園調布や常盤台などの特殊な地域を除き、戦後になって街らしい街になったところである。

 また、21世紀になってから再開発が大規模に進行しているのも隅田川の東側であり、西の方、特に新宿より西は、どちらかと言うと、東京全体の変化の流れからやや取り残されているように見える。それは、ランクで上位にある恵比寿や目黒についても言えることである。(特に、多摩地域は、この「取り残され感」が顕著であると思う。)

 ただ、以前に書いたように、私自身は、多くの人間によって使い古された結果、少し淀み、少し綻び、少し古ぼけたような感じを都市の魅力と考えている。たしかに、東京のうち、ダイナミックな変化が起こっているのは東の方であり、これもまた、下の記事に書いたとおり、これを根拠として、東京の未来は東の方にあることを主張する人がいるけれども、私はこれには同意しない。東京の場合、このような魅力のある街は、やはり東京の西の方に集中しており、隅田川の向こう側――私は西側の住人なので――にはまだそのような味はない。これは、関東大震災と太平洋戦争ですべてが失われてしまったせいなのであろう。(また、隅田川の東の方では、千葉県との一体化が進行しており、これもまた、東京の西の方の住民には入り込めない雰囲気の原因になっているのかも知れない。)


無計画都市 〈体験的雑談〉 : アド・ホックな倫理学

東京のうち、隅田川よりも東に住んでいる人々には実感がないかも知れないが、東京23区の西の端で生れ、今も東京23区の西の端で暮らす私などにとっては、隅田川の向こうは一種の「異界」である。隅田川を向こうに渡ると、「ああ、東京の東だなあ」という(地元の人々にはお




「都市の成熟」ということ 中途半端に古ぼけた街を讃える : アド・ホックな倫理学

最近、都市としての東京の現状について、西よりも東の方が発展しており、東京の未来を映すのは東京の東の方、特に隅田川よりも東であるというような見解をときどき見かける。たとえば、私は、次の本でこれを見た。東京どこに住む? 住所格差と人生格差 (朝日新書) : 速水健



  何年か、あるいは何十年かあと、隅田川の東の方にある駅、たとえば錦糸町や森下や亀戸などが「賃貸で住みたい駅」(?)として上位を独占するようになるかも知れない。そして、そのとき、隅田川の向こうの方にも、都市としての味が出てきたということになるのであろう。


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 街を歩いていると、銅や石を主な素材とするモニュメントを見かけることが少なくない。以前は、このようなモニュメントを東京で見かけるとすれば、それは、ごく限られた地域の、しかも、いかにもモニュメントがありそうな場所だけであったように思う。上野公園の西郷隆盛像、日比谷の皇居外苑にある楠木正成像、あるいは、靖国神社の大村益次郎像など、モデルとなっているのは、日本人の大半が知る人物、「知名度」の高い歴史的人物像であったし、歴史的な知識が少しでもあれば、設置される場所や事情も直観的に理解することができるものであった。つまり、モニュメントは、歴史的に重要な場所に目印として設置されるものであり、時間と空間が交差する地点の象徴的な表現である。当然、このようなモニュメントは、100年後、200年後にも同じ像が同じ場所にあるという前提のもとで設置されたに違いない。

R4007520 ところが、最近は、何を記念し、何を顕彰しているのかよくわからないモニュメント、特に、アニメや漫画のキャラクターをモデルとするブロンズ像や石像が多くなってきた。私自身がアニメや漫画に代表されるサブカルチャーに不案内なせいなのであろうが、ブロンズ像や石像のモデルを知らず、また、モデルとなった人物が登場する作品を知らないことが少なくない。「サザエさん」や「ゲゲゲの鬼太郎」くらいなら、私にもかろうじてわかる(が、それぞれの像のモデルとなった人物の名を問われても、私には答えられない。)だから、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『銀河鉄道999』『キャプテン翼』などについては、これらが漫画のタイトルらしいということ以外には何もわからないから、それぞれの作品の登場人物をモデルにしたブロンズ像を見ても、それぞれの像において時間と空間がどのように交差しているのか、残念ながら、見当がつかない。私は、これらのモニュメントーー何らかの実用のために設置されているようには見えない以上、これらは、明らかにモニュメントである――を目にするたびに、強い違和感を覚える。

 もちろん、たとえばいわゆる「こち亀銅像」群において表現された登場人物たちが「貫一お宮」や「伊豆の踊子」と同じくらいの重みを持っていることを私が理解していないだけであり、私の違和感の原因が私自身の歴史に対する無知であるのなら、そこには何ら問題はない。

貫一とお宮 しかし、今から200年後、2217年の日本で『こちら葛飾区亀有公園前派出所』という漫画が人々の記憶に遺っているのか、また、この作品が遺すにふさわしいものであるのかどうか、このような点に関し何の合意もないまま、「観光客がたくさん集まりそうだから」とか「町おこしになりそうだから」という安易な理由で、ときには税金を投入したり、ときには寄付を募ったりして公道に設置されたモニュメントは、何十年かののち、みじめな末路を辿ることになるであろう。作品も登場人物も忘れられ、そして、公道上で埃をかぶり腐蝕した意味不明の像が廃棄物として撤去される……、このようなニュースを目にすることになるはずである。

 いや、それ以上に気がかりであるのは、モニュメントがこのような仕方で乱立することにより、街の歴史から重みが奪われることである。流行とともに新たなモニュメントが「歴史」の名のもとに設置され、流行が去るとともに、このモニュメントが公道を占拠する廃棄物へと転落し、そして、撤去されるなら、私たちの街は、交替する流行の展示場にすぎぬものとなってしまう。これは、社会主義国家において、政変が起こるたびに政治家が粛清され、あらゆる公的な記録が消去されることを想起させる。

 本来、モニュメントは、現在に由来しないものをあえて現前させ、歴史を見えるようにさせるよすがとしての役割を担うものであるはずである。漫画やアニメのキャラクターについて、これを貫一やお宮、あるいは、西郷隆盛や楠木正成とともに歴史にとどめるという堅い決意があるならともかく、そうでなければ、モニュメントの設置には慎重になるべきであるように思われるのである。


MITSUKOSHI

百貨店は日本に固有の文化的装置だった

 もう何年も前から、小売業界では、百貨店が不振であると言われているようである。私自身、小売業界には何の縁もないが、それでも、ニュースを観たり、新聞を読んだりしているかぎり、たしかに、百貨店に関し伝わってくることと言えば、「売り上げが落ちた」「客が減った」「撤退した」「閉店した」などの消極的な話ばかりである。

 百貨店(department store)は、19世紀半ばにフランスで生まれた形態の小売店であると一般に考えられている。

デパートを発明した夫婦 (講談社現代新書) | 鹿島 茂 |本 | 通販 | Amazon

 また、日本の場合、百貨店は、独特の社会的な役割を担うものであった。それは、膨大な数の商品を扱う巨大な商店としてよりも、むしろ、少なくとも20世紀末までは、一種の文化的な中心としての役割を期待されてきたように見える。雑な言い方をするなら、「高級」で「非日常的」な消費のための空間だったのである。(だから、いくら客を呼び込むためとは言え、ファストファッションや家電量販店をテナントにするのは、百貨店にとっては自殺行為に当たるはずである。)

百貨店の誕生―都市文化の近代 (ちくま学芸文庫) | 初田 亨 |本 | 通販 | Amazon

 私の理解に間違いがなければ、外国、特にヨーロッパやアメリカでの百貨店は、「高級」や「非日常」の記号ではなく、本当に品質のよいものを時間をかけて真剣に捜すなら、最終的には専門店を訪れるのが最善であると考えられているはずである。(そもそも、「最初の百貨店」と言われるパリのボン・マルシェ百貨店の店名になっている「ボン・マルシェ」(bon marché) とは「安い」(cheap) という意味である。)

 ターミナル駅と百貨店が一体化しているのも日本に固有の光景である。このモデルは、阪急電鉄の創業者である小林一三によって産み出されたものである。沿線の開発により、鉄道の利用者を増やす意図があったと一般には考えられている。

逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想 (講談社学術文庫) | 小林 一三 |本 | 通販 | Amazon

百貨店の価値はブランドとしての価値

 しかし、現在の平均的な日本人は、百貨店が特別な商業施設であり、百貨店で過ごす時間が非日常に属しているとは感じなくなっているようである。これには、いくつもの理由が考えられるであろうし、実際、いくつもの理由が挙げられている。たしかに、百貨店の衰退と景気の低迷――2016年現在、景気が全体として「よい」のか「悪い」のか、私にはもはやわからないのだが――やネット通販の拡大のあいだには、明瞭な相関関係が認められる。このかぎりにおいて、百貨店が客を惹きつけなくなったのは、百貨店のせいではないと考えることができる。

 ただ、百貨店の魅力がなくなった理由は、これとは別のところにもあるような気がしてならない。それは、百貨店のブランドの問題である。具体的に言うなら、百貨店が増えすぎたのである。

 東京で生まれ、東京で育ち、東京以外の地域に旅行する機会も多くはない人間の無知と不見識を大いに嗤ってもらってかまわないのだが、私は、社会に出るまで、日本の地方都市に百貨店があることを知らなかった。いや、京都、大阪、名古屋、福岡、札幌などにそれなりの百貨店があることは事実として知っていたが、その他の場所に百貨店などがあるなど、私には、思いもよらないことであった。

 だから、たとえば高島屋が和歌山や岡山にあるのを見たときには、少なからず驚いた。というよりも、これらの地域に出店するのは、高島屋のブランドにはふさわしくないように感じられた。私は、地方を貶めているのではない。地方には地方なりの、大切に守られるべき「商業文化」と消費生活があり、大都市の消費生活の記号である百貨店がそのような地方都市にあることに強い違和感を覚えたのである。

 また、このような地方都市へと出店することにより、ブランドが毀損されることになるようにも感じられた。少なくとも私の場合、三越や大丸が県庁所在地ですらないような地方中小都市の駅前に出店しているのを実際に見て、これらの百貨店に対する「ありがたみ」が大いに損なわれたことは事実である。(首都圏でも、立川、八王子、千葉、柏、町田、相模大野、高崎、大宮などに百貨店は不要である。このようなエリアで大手百貨店のロゴを目にする機会を作ることは、それだけでブランドを傷つけるのに十分であると私はひそかに考えている。)

 大手に分類される百貨店でも、全国に2つか3つ店があれば十分であったはずである。三越、高島屋、大丸、伊勢丹などのロゴは大都市の中心部に行かなければ目にすることができないものであった。だからこそ、包装紙に価値があり、(商品そのものというよりも、)そこで買いものするという行動に価値が認められていたのである。店舗の数を減らし、自分のブランドを大切にしないかぎり、百貨店は大型スーパーマーケットと次第に区別がつかなくなり、それとともに、日本に固有の都市文化というのもまた姿を消すことになるに違いない。


Stop The Bus

 

 私の自宅から最寄り駅までは、1キロ強の距離がある。

 私は、電車通学を始めた中学生のときから、今の家に住んでいるあいだはずっと、最寄り駅に行くのにバスを使うのを習慣としていた。

 しかし、最近は、バスにはできるかぎり乗らず、駅まで歩くようにしている。

 健康のためではない。

 この数年、バスの乗客が老人だらけになり、居心地が悪くなったせいである。

 実際、通勤のピークの時間帯を除くと、どこに行くのか知らないけれども、乗客の半分以上は老人になっている。無料パスがあるせいなのかも知れない。

 

Andante

 老人が多い空間は、老人以外の人間には居心地の悪いものとなることを避けられない。

 老人は、動きが緩慢だったり、周囲に対する目配りが不十分だったり、変化への対応が柔軟ではなかったりするからであり、さらに、老人たちを迎え入れるハード(設備)やソフト(人間)が主な「客層」である老人の行動に最適化されてしまうからである。

 

 「若い女性をターゲットとする文房具屋」「サラリーマンをターゲットとするラーメン屋」などがあることは誰でも知っている。

 また、これらの店では、主な客層の気にいるよう、さまざまな工夫が施され、主な客層以外への配慮に乏しいのが普通である。

 ただ、このような店は、基本的には、特定の趣味や嗜好を持つ客に最適化されているにすぎない。

 所得や生活環境に多少の共通点は認められるとしても、客の集団は、決して均質的ではない。

 何かを買うつもりがあるのなら、私が若い女性向けの雑貨屋に入っても、小さな違和感を覚えるだけである。

 

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 これに対し、老人をターゲットとする乗り物や商店は、趣味や嗜好というよりも、心身の衰弱を原因とする老人固有の行動パターンに最適化される。

 そして、おそらくそのせいなのであろう、その空間は、不気味な均質性を特徴とすることが多いように思われる。

 これが、老人以外の人間には居心地が悪い空間になる原因である。

 老人とは言えない年齢の人間はすべて、精神衛生上、老人が集まる場所からは黙って立ち去るのが望ましいのであろう。

 

 老人の行動に最適化された公共の空間が「老人にやさしい」場所となることは確かである。

 しかし、老人にとって快適な場所は、「老人専用」の場所となってしまう可能性が高いのもまた事実である。

 昨日、次の記事を見つけた。

 

【高齢者交通事故】高齢ドライバーに「免許返納せよ」大論争 ネットで展開される極論

 

 最近、老人が自動車を運転して起こす事故が非常に多い。

 10年くらい前から数が増え始め、今では、少なくとも週に1度くらいは新聞で見かけるようになった。

 実際、上の記事にあるように、自動車事故全体の数が減少しつつあるときに、自動車事故の加害者全体に占める老人の割合は増えている。

 現状を放置するかぎり、この割合は、さらに増えるに違いない。

 将来、「完全自動運転」の技術が実用化されるなら、そのときには、事情が変化するであろうが、少なくとも今は、「免許を取り上げることは老人の行動を制限する」という理由により、公道上での老人の運転に制約を課さないと、反対に、老人の危険な運転に合わせて人間の行動の方が最適化され、不快な歪みを公共の空間のマナーに産み出し、本来なら不要なはずのコストを私たちに強いるようになる。

 


高齢運転者標識を活用しましょう!|警察庁

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 運転免許に関連する制度を一切変更しない場合、老人の危険な運転から身を護るため、周囲に目配りしたり、ガードレールの内側を歩いたりすることに注意を払わなければならなくなる。

 何といっても、自動車を運転する老人というのは、枯葉マーク(=高齢運転者標識)を自動車に貼りつけ、自分の行動パターンが周囲を攪乱する可能性を認めることすら嫌がる存在である。

 外部からの強制力によって老人の行動を変えさせないかぎり、わが国の公道は、リスクの高い空間になることを避けられないはずである。

Up!

 自宅の最寄りの駅で電車に乗るために改札を通ると、ホームに辿りつくまでに階段を上らなければならない。この階段には、上り/下りが分かれており、階段の下から見ると、左側が上り、右側が下りのゾーンになっている。

 ただ、両者のあいだに仕切りのようなものは特になく、階段に「上り」「下り」の大きな文字と方向を示す矢印が印刷されたステッカーが貼られ、それとともに、階段を下から見たとき、左側の壁に「上り」の文字と斜め上向きの矢印が記されたプラスチックの案内板、右側の壁に「下り」と斜め下向きの矢印が記されたプラスチックの案内板が固定されているだけである。(つまり、矢印は左側通行を人々に求めているわけである。)さらに、これらの指示に従わなくても、電車に乗ることができなかったり、改札口に辿りつくことができなくなるわけではない。

 おそらく、そのせいなのであろう――私自身は、このような矢印による指示にできるかぎり従うようにしているけれども――全体としては、これらの方向の指示は、必ずしも厳格に守られてはいないように見える。実際、階段を上る途中で、右手で手すりにつかまりながら下りてくる老人に遭遇し、道を空けることは少なくないし、スマートフォンの画面に注意を奪われたサラリーマンが階段を右側通行しているのを見かけることもまた珍しくはない。

 通路や階段の「上り」「下り」「左側通行」などの指示は、出口を示したり、路線の乗り換えを案内したりする矢印とは異なり、乗客の流れを整理するためのものであり、鉄道の運行会社や駅の都合を度外視するなら、乗客にとっては、「守らないよりは守った方がよい」という程度のものにすぎない。実際、複数の路線が交差する大都市圏の乗り換え駅では、乗客の複雑な流れを矢印だけでコントロールできるはずはなく、駅の構内のいたるところで人の流れが衝突したり停滞したりすることを避けられない。

 ここからさしあたり明らかになるのは、次の事実である。すなわち、「上り」「下り」などの指示は、その場を通過する乗客の大多数がこれに従うことによって初めて効力を持つものであるから、たとえば私ひとりがこれらの指示を規則として受け止めて厳格に守ることには何の意味もないという事実である。私以外の誰もこれらの指示に従わないとき、私一人が矢印に忠実であることは、乗客の円滑な移動を促進しないばかりではなく、乗客の大多数が「指示に逆らう」(=矢印と反対の方向に移動する)なら、私の行動は、乗客の流れをかえって阻碍してしまう。

 それでは、駅の階段における上り/下りのゾーンの指示を私たちが守るのは、指示に従うことによりある空間の内部で衝突や停滞を経験せずに移動することが可能となるかぎりにおいてであることになるのであろうか。たしかに、駅の構内の人口密度が高くなるとともに、上り/下りの指示への忠実の程度が上昇するという関係を想定することは可能である。ただ、上り/下りの指示は、自然発生的に作られた人の流れを追認し記述するだけのものなのではなく、私たちは、上り/下りの指示を何らかの規範――「弱い規範」であるとしても――として受け止めていることもまた事実である。私たちが不知不識に従ったり、あるいは、従わなかったりしているあの矢印、「上り」「下り」の指示などは、どのような性格を具えているのか、これは、真面目に考えてみるに値する問題である。実際、このタイプの指示や命令が社会生活において担う役割は、意外に大きいように思われるのである。


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