デジタル・デトックスを合宿で行ってもあまり効果はない
デジタル・デトックス(またはデジタル断食、情報断食、情報デトックスなど)と呼ばれるものを実行するなら、普段の生活の内部で行わなければ効果がないと私は考えている。
デジタル断食については、以前、次のような記事を投稿した。
無為を自分に強いることについて、あるいは「手持ち無沙汰」と生産性について 〈私的極論〉 : AD HOC MORALIST
手持ち無沙汰の効用について哲学的に考える。
24時間「デジタル断食」のすすめ 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST
週末の24時間をデジタル・デトックスに使う方法とその効用。
デジタル・デトックスを成功させ、効果を持続させるには、普段の生活を送りながら、スマートフォンやパソコンをいじることだけをやめることが必要である。
毎日の生活をスマートフォンやパソコンから解放するのがデジタル・デトックスであるから、デジタル機器をいじることが物理的に不可能な非日常の環境に短いあいだだけ身を置いても、これは、厳密な意味ではデジタル・デトックスにはならない。
たしかに、上の記事で説明したように、日常生活の中でスマートフォンやパソコンをいじるのを急にやめると、最初は強い禁断症状が起こる。また、普段の活動に支障が出るかも知れない。
「スマホやめますか、人間やめますか」という二者択一の前に立つ覚悟がデジタル・デトックスの前提
けれども、スマートフォンもパソコンもいじることができない状態が続くと、時間の経過とともに、スマートフォンもパソコンもないことを前提として生活が組み替えられて行く。
スマートフォンやパソコンを媒介としなければなり立たないような人間関係は自然に消滅することになるであろうし、スマートフォンやパソコンのおかげで可能だった情報収集や時間の使い方は変化を余儀なくされるであろう。
つまり、デジタル・デトックスというのは、ただスマートフォンやパソコンから距離をとるために行うものではない。デジタル・デトックスというのは、これまでの人間関係、これまでの仕事の進め方、これまでのライフスタイルを維持したまま、スマートフォンとパソコンの使用をだけ制限することではなく、そもそも、そのようなことは不可能である。
「スマホやめますか、人間やめますか」という二者択一の前で、「スマホをやめる」ことを選択し、新しいライフスタイルを選び取るのがデジタル・デトックスなのである。
一度はデジタル機器から完全に解放されたライフスタイルを確立しないと、デジタル機器に対して適切な態度を取ることができるようにはならないはずである。
ライフスタイルを変えたくない者にはデジタル・デトックスは無理
だから、「スマホが使えなくなったら友だちとつながっていられない」「必要な情報が集まらなくて仕事に差し障る」などという反論が心に浮かぶようなら、そのような者は、本当の意味におけるデジタル・デトックスを必要としていないのであろう。
デジタル・デトックスを実現するには、多くのものを捨てる覚悟が必要であり、これは、断捨離によるライフスタイルの革新であり、「電子的な出家」なのである。
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