AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

カテゴリ: 反ライフハック

Texting addict

他人との交流の多くがネットで行われる中、あえてSNSを利用しないティーンがいる。友達からの「いいね」を求める生活を拒否し、フェイスブックやインスタグラムも利用しないが、彼らは何を得て何を失っているのだろうか。

情報源: 米国ではSNSに背を向ける10代も - WSJ        

 スマートフォン依存症、SNS依存症、ネット依存症というのは、自覚しにくい病気であるのかも知れない。しかし、日本でも外国でも、これは、明らかな「病気」と認められているし、国立病院機構久里浜医療センターにはネット依存症外来というのがあり、必要とあれば入院もできる。(もっとも、入院して治療することが想定されているのは、主に「ネトゲ廃人」らしいという話は聞いたことがある。)

 スマートフォンに関して最初に出てきたのは、スマートフォンの使用時間が長いほど成績が悪いという総務省の統計だった。つまり、スマートフォンの使用時間と成績のあいだには負の相関関係が認められるのである。とはいえ、スマートフォンをいじっていれば、勉強時間がその分減ることは明らかであり、成績が落ちることは、統計などとらなくても明らかなことかも知れない。

 しかし、その後、スマートフォンをいじっていると脳に悪い影響があるとか、うつになる――アメリカでは、もう何年も前から、フェイスブックの使用がうつを惹き起こすということがしきりに語られていた――とか、さまざまな研究結果が明らかになってきた。

 そして、きわめつけが次の本である。

毒になるテクノロジー iDisorder
ラリー D.ローゼン
東洋経済新報社
2012-08-24

 
  これは、インターネット、特にSNSの使用と各種の神経症との関係を、実験や調査を活用しながら分析した本である。これによると、SNSの使用は、

  • 自己愛パーソナリティ障害(ナルシシズム)
  • 強迫神経症
  • 依存症(スマホ中毒、SNS中毒)
  • 双極性障害(躁とうつ)
  • ADHD(注意欠陥/多動性障害)
  • コミュニケーション障害
  • 心気症
  • 摂食障害/身体醜形障害
  • 統合失調症
  • 覗き見趣味

などの神経症の原因となりうるか、あるいは、少なくとも、これと相関関係にある。

 スマホの使用は、そして、SNSの使用は、精神衛生にとってきわめて有害である。電車の中でスマートフォンを飽くことなくいじり続けている人間は、もはや正真正銘の病人あるいは障碍者と見るべきなのであろう。

 これまでは、路上での「歩きスマホ」の歩行者からぶつかられるたびに、不快な思いをしていたが、これからは、視覚障碍者と同じだと考え、同情することにしようと思う。

 ただ、私は、視覚障碍者には状況によって「お手伝いしましょうか」と声をかけるが、もちろん、スマホ中毒患者には声はかけない。聞こえないかも知れないからである。

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 プログラミングを教育に取り入れることの重要性が声高に語られるようになっている。これは、誰でも知っている。オバマも、プログラミングの大切さについて何か演説していた。

 ただ、プログラミングの中身は何も知らないし、なぜプログラミングが大切なのかも、実感としてはよくわからない。まして、プログラミングの面白さなど、もはやサッパリだ……。半年くらい前まで、私はこの段階にあった。プログラミングについては「初心者以前」のレベルである。(念のために言っておけば、今でも、「初心者」に指先が引っかかっている程度である。) ただ、30歳代より上の文系人間は、ITに多少なりとも関係のある仕事をしているのでなければ、似たり寄ったりなのではないかと勝手に想像している。

 とはいえ、何も知らないというのはさすがにまずいと考え、数字と記号のかたまりにやる気を殺がれながらも、少し時間を使ってネットで情報収集したり本を買って読んだりした。自分ではプログラミングできないとしても、プログラミングの話題について行ける程度には勉強したいと 思ったのである。

 その結果、プログラミングについて「初心者以前」のレベルから、曲がりなりにも「初心者」と呼べるレベルに上がるためには、少なくとも2つの質問に答えられなければならない、ということがわかってきた。すなわち、 
  1. プログラミングの技術が身についたら、何をやってみたいのか。
  2. プログラミングの何がわからないのか。

 2つとも超難問であって、ある意味では、これらに答えられないから一歩も先に進めないとも言える。

 だから、まずプログラミングそのものではなく、上の2つの質問に対する答えを探すことに集中するのがよいと思う。特に、(1)に答えられないと、何を勉強したらよいかもわからないのではないかと思う。というのも、プログラミングにはいくつもの言語があり、何をやりたいかによって勉強する言語が違ってくるからである。

 初心者を対象にプログラミングとは何かを紹介した本がかなり出版されている。ただ、こうした本では、webをやりたいならこの言語、ゲームを作りたいならこの言語、などというふうに書かれてることが多いが、「初心者以前」の人間には、この程度でさえ、いきなり言われても意味がわからない場合がある。

 そこで、私が読んで最後までついて行けて、かつ、上の2つの質問に答える手がかりが得られる可能性が高い本を紹介する。それは、次の本である。





 大人向けの入門書で挫折したら子ども向けで再挑戦すればよい、と言いたいわけではない。これは、マサチューセッツ工科大学で開発された教育用のプログラミング言語Scratchを利用した入門書で、Scratchの基本的な使い方と、遊び方が紹介されている。(続編も出ている。)表紙も中身もいかにも子ども向け風だが、バカにしてはいけない。「初心者以前」の人間にとっては、かなり高度な内容まで含まれている。

 たとえば、前半で「物語メーカー」なるものの作り方を紹介するところがあるが、ここで、関数を再帰的に使って複数の要素を持つ文を作るスクリプト(←言葉の使い方が正しいかどうか自信がない)がいきなり出てきたりする。このあたりは、「変数」や「関数」の意味が一応わかってる中学生以上でなければ、スクリプトのサンプルをそのまま写すだけで、応用はできないと思う。

 プログラミングの何たるかがわからなければ、また、プログラミングによってどういう世界が開けるかがまったくわからなければ、これを読んで、Scratchで遊びながら実際にプログラミングを試すことをすすめる。

 何冊も本を読みくらべたが、この本は、機械を作ったり、計算を自動化したり、シミュレーションしたり、音楽を作曲&演奏したりと、いろいろな場面での、子どもにもできる活用法が載っている。明確に書かれているわけではないが、プログラミングとは「ものづくり」の一部であるというのがこの本の基本になっているように見える。

 「プログラミング」と聞いて、細かい記号と数字が並んだ画面以外何も思い浮かばないなら、この本は、具体的なイメージを広げる第一歩として最適だと思う。

Oatmeal

 オートミールは健康食なのに、スーパーで買ってきたものを表示どおりに水やミルクで煮て、ハチミツや砂糖やジャムをかけて食べると、どうしても「あの」独特のにおいが気になって食欲が失せるという人は多いと思う。

 「あれを朝食の定番にしているイギリス人の気が知れない」とか「さすが世界で一番食事のまずい国で生まれただけのことはある」とか言いたくなるかも知れない。 

 しかし、オートミールの「あの」においは、実は、特に強いにおいではないから、パッケージに書かれたとおりに食べるのをやめれば消えてしまう。

 コロッケやハンバーグに入れたり、固めて焼いてみたり(=つまり、グラノーラ) 、複雑な方法はいろいろあるが、ここでは、もっとも単純な方法、一工程だけの方法を書く。

 すなわち、

 

 多めの水で表示どおりに煮たあと、
カップスープのもとを入れて混ぜる

 というのがその方法である。

 「あの」においは消えて、歯ごたえのあるおいしいお粥になる。

 つまり、甘くしないで食べるということである。 

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 もともと、オートミールはお粥(ポリッジ)として食べるものなのだから、カップスープで味付けしても不都合なことなど何もない。

 シリアルと同じように甘くしなければという強迫観念など捨ててしまえばよいのである。

 慣れてきたら、スープの種類に合わせて具材を刻んで追加して味を工夫してもかまわないが、とりあえずカップスープのもとを入れて混ぜるだけで、オートミールの「好感度」は劇的に 向上するはずである。 

 なお、カロリーの点でも食感の点でも一番無難なスープはオニオンコンソメである。

 もともと、オートミールを加熱することで「とろみ」が出るから、ポタージュやコーンクリームだと、「とろみ」がつきすぎる可能性がある。

 水が不足していると、スープを投入しても溶けてくれない可能性もある。 

 それから、中華スープや卵スープなどのフリーズドライ製品は、そのままオートミールに投入しても十分に溶けない。あらかじめ お湯に溶いてからオートミールと混ぜることをすすめる。

Kyoto Whisky Bar

 昨日(2016年8月26日)付の「日経MJ」の3面に、クラウドファンディングを利用した飲食店の開業に関する記事が載っていた。

 誰でも知っているように、クラウドファンディングは、21世紀に入ってから広い範囲で使われるようになった資金集めの仕組みであり、「たくさんの個人」から、「小口の資金」を、主に「インターネット」を利用して出資を募るのが主流になっている。

 また、出資の対象となるのは、映画の製作であったり、新規事業であったり、弱者救済の社会事業であったりするのが普通であり、その中でも、特に飲食店の開業にクラウドファンディングが使われる事例が増加しつつあるというのが、上記の「日経MJ」の記事の内容である。

 とはいえ、クラウドファンディングは、新規開店の前の告知や固定客の獲得の手段として、あるいは、出資させることで店に対する愛着を客の心に植え付ける手段として使われているのであって、開業資金の調達が本格的に試みられているわけではないし、金銭面での利益を出資者に約束しているわけでもない。記事にあった

CF〔=クラウドファンディング〕は媒体

という言葉のように、クラウドファンディングは、一種の宣伝媒体のように利用されているのである。

 しかし、クラウドファンディングのこのような利用法は、飲食店には限られない。クラウドファンディングのサイトをいくつか見ればすぐにわかるように、他の事業でも、クラウドファンディングは、「応援して下さい」「支援して下さい」というお願いと一体になっているのが普通である。出資を募る側から見れば、一銭もカネを出さずに、いや、反対に、カネをもらって応援団やファンを作り出す仕組みであり、出資する側から見れば、カネを出して事業を応援する仕組みである。クラウドファンディングでは、普通の意味での出資に見合った金銭的な収益を得ることは想定されていないのである。この意味において、クラウドファンディングは、きわめて「ソーシャル」な仕組みであり、本質的にはソーシャルメディアであると言うことができる。

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 実際、クラウド ファンディングのサイトの中には、出資者がコメントを書き込むことができるようになっているものが多いが、そこには、「応援しています」「がんばって下さい」などのメッセージが溢れる。また、このようなメッセージを書き込んでいる出資者の多くは、事業主と知り合いだったりして、そこにはすでに「コミュニティ」ができ上がっていることもある。ここには、まるでカネだけを黙って提供するなど、見返りが欲しくて出資しているようになり、とうてい許されないかのような雰囲気、どこかで忠誠心を要求されているかのような窮屈な雰囲気が漂っている。

 クラウドファンディングのサイトでは、不気味なことに、出資者は、「支援者」とか「サポーター」とか「パトロン」と呼ばれる。フェイスブック上の知り合いが「友だち」と呼ばれるのと同じである。私など、「投資っていうのは、本当はそういうものじゃないはずだ」と心の中で抗議しながらも、怖気づいて足がすくんでしまう空気がここにはある。

 クラウドファンディングは、投資の仕組みではなく、本質的には「カネが動くソーシャルメディア」である。事業を始める者のファンになり、応援団になりたいのなら、クラウドファンディングを利用すればよいが、投資に見合った利益を金銭の形で求めるなら、株式や投資信託を選択すべきであろう。

 クラウドファンディングにおいて出資者に約束されているのは、金額に応じて、「お礼状」であったり「記念品」(?)であったり「開店イベントへの招待」であったりする。将来、クラウドファンディングのソーシャルメディア化が進行すると、いずれ、出資の見返りは「カネを出して応援した満足」などと堂々と書く事業主が現われないともかぎらない。しかし、このような段階になったら、そのとき、出資者が提供するカネは、もはや「資金」ではなく「お布施」であろう。

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