AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

カテゴリ:反ライフハック > 知的生産の技術

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手帳は「月曜日始まり」が多数派なのに、カレンダーは「日曜日始まり」が多数派

 以前、次の記事を投稿した。


手帳を使わずメモ用紙で予定を管理する 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST

手帳やメモ帳は使わない スケジュールを記入する小さな冊子は、一般に「手帳」と呼ばれている。これは、社会において何らかの役割を担っている大人なら、当然、少なくとも1人に1冊は持っているべきもの、いや、持っているに決まっているものであると普通には考えられている


 上の記事に書いたように、私は、「手帳」と名のつくものを持たない。毎週ほぼ同じスケジュールの繰り返しだから、メモ用紙とグーグルカレンダーがあれば、スケジュールの管理に苦労することはないのである。手帳に予定を書き込んでみても、結局、どのページも同じになってしまう。

 ところで、私が手帳を使わなくなったのには、他にもいくつかの理由があるけれども、その大きな一つは、手帳のほぼすべてにおいて、なぜか月曜日が1週間の最初の日になっているのである。見開きで1週間の予定を管理することができる手帳の場合、ページの最初に記されているのが月曜日なのである。

 これに対し、壁掛けや卓上のカレンダーでは、1週間の始まりが日曜日であるのが普通である。つまり、カレンダーに従うなら、1週間の最初の日は日曜日であることになる。壁に掛かった大型のカレンダーを眺めながら予定を立て、これを手帳に書き込むとき、どうしても書き間違いが起こる。私が手帳を使わなくなった原因の一つに、カレンダーと手帳のあいだのこのズレがあったことは確かである。

歴史的に見るなら、1週間の最初の日は日曜日

 歴史的に見るなら、1週間の最初の日は日曜日である。すなわち、1週間は、日曜日に始まり、土曜日に終わる。この考え方に従うなら、土曜日は週末であるけれども、日曜日は「週末」には当らないことになる。

 日曜日を1週間の最初の日と定めたのは、ユダヤ教である。というよりも、正確に言うなら、土曜日を安息日、つまり、1週間の最後の日とすることがユダヤ人によって決められたのである。(だから、神が世界を作り始めたのは日曜日であり、神にとり、日曜日は休日ではなかったことになる。)日曜日が第1日、月曜日が第2日、火曜日が第3日、水曜日が第4日、木曜日が第5日、金曜日が第6日、土曜日が安息日で第7日となる。

 これに対し、ユダヤ教のあとに成立したキリスト教は、安息日を1日ずらし、日曜日に定めた。だから、キリスト教にとり、1週間の最初の日は月曜日となる。欧米には「月曜日始まり」のカレンダーが少なくない(ような気がする。)キリスト教が、日曜日を1週間の最後の日と定めたからであるに違いない。

 さらに、ユダヤ教、キリスト教よりもあとに成立したイスラム教は、安息日をさらにずらして金曜日とした。イスラム教徒の1週間は、土曜日から始まることになる。

日本には曜日の観念がなかった

 とはいえ、上に述べたように、「1週間=7日」という観念は中東に由来するものである。したがって、明治以前の日本人にとり、1週間というのは、未知の単位であった。当然、わが国には、1週間が何曜日から始まるかという点に関する明確な合意はなく、一人ひとりの好みに従い、自由に決めることが許されている。

 私は、「1週間は何曜日から始まるのか」と問われるなら、さしあたり、「社会全体としては日曜日とするのが自然」と答える。1週間の最初の日と最後の日が休日になるからである。バッファーが前後にあると考えた方が、心に何となくゆとりができるはずである。もちろん、これは、単なる個人的な見解である。

 ただ、今年に限るなら、私の個人的な1週間は、金曜日に始まり、木曜日に終わる。職業柄、土曜日や日曜日には、自宅で朝から晩まで仕事していることが多いが、その代わり、木曜日には仕事の予定を何も入れず、完全に休むことにしているのである。月曜日から水曜日まで授業が切れ目なく続くからでもある。グーグルカレンダーの設定では、1週間の最初の日について土曜日(イスラム教)、日曜日(ユダヤ教)、月曜日(キリスト教)の3種類しか選択肢がないのが少し残念である。

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 アメリカやイギリスで作られているファッション関係の動画をYouTubeで見る機会が多い。

 私は、もともと、「おしゃれ」にはほとんど関心がなく、かつては、ボロボロのものを平気で身につけていた。しかし、ようやく、最近になって、見た目の大切さに気づき、身につけるものに少し気を遣うようになった。

 YouTubeで動画を見るようになったのも、おしゃれなスタイルに目をさらすことで、勘のようなものが少しでも身につくのではないかという期待を抱いているからである。(センスが実際に身につくかどうかは、よくわからない。)

 ところで、しばらく前、YouTubeで次の動画を見つけた。


 衣装箪笥の中のすぐに捨てるべきアイテムとしてこの動画で挙げられているのは、次の10種類である。すなわち、

    1. 「古い日焼け止め」
    2. 「汚れた下着」
    3. 「汚れて伸びたアンダーシャツ」
    4. 「古い歯ブラシ」
    5. 「古いランニングシューズ」
    6. 「保存方法を間違えたフレグランス」
    7. 「穴があいたソックス」
    8. 「色あせた水着」
    9. 「擦り切れたジーンズ」
    10. 「攻撃的なグラフィックが印刷されたTシャツ」

 最後のものを除くと、捨てるべきものとは、古くなり使えなくなったものであることがわかる。

 衣類というのは――靴やカバンを含め――定期的に点検して捨てることが必要なものである。というのも、衣類には明確な賞味期限がなく、擦り切れたり傷んだりすることがあるとしても、その変化は緩慢であり、持ち主の目にはわからないことが多いからである。半年ごと、あるいは1年ごとに定期的にアイテムを処分しないと、周囲の目に「ボロボロ」と映るものを、それと気づかぬまま使い続けることになってしまう危険があるのである。

 私自身、上の動画を見て、自分の衣類を早速点検した。自分では気づかなかったけれども、人目に触れるところでの着用にはもはや耐えないようなものをたくさん見つけ、これを処分し、代わりに、新しいものを補充した。

 なお、私は、衣類を処分するときには、原則としてすべてゴミとして捨てる。ゴミに出す前に雑巾等として再利用するものはあるけれども、最終的には、古着屋やリサイクルショップに持ち込むことはなく、すべて可燃ゴミとして捨てる。勿体ないと感じる人がいるかもしれないが、古着屋やリサイクルショップに持ち込むために必要な手間や時間や体力を考えるなら、捨ててしまう方が、全体としてはよほど節約になるように思われる。

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 月曜日の朝、仕事に行くのがつらく感じられる。もちろん、行きたくないからと言って、行かずに済ますことができるわけでもなく、結局、重い足を引きずって自宅を出ることになる。

 私自身、月曜日の出勤時間は、去年までは午後2時ころであったけれども、今年は、担当する授業の関係で、午前7時には家を出なければならなくなり、自宅から出るときの足どりも、その分だけ重くなったように思われる。

 しかし、一週間の実質的な最初の日がこのように始まるのは、決して幸せなことではない。月曜日の朝の気分は、その後の日々の生産性に影響を与えるかもしれない。そこで、何とかして、もう少し楽しい気分で仕事に向かえないものか、少し工夫することにした。

とにかく早く起きる

 私が最初に試みたのは、早起きすることである。

 私は、普段から比較的早起きであり、午前6時には起床するけれども、日曜日の夜は早く就寝し、月曜日の朝は特に早く起きることにしている。すなわち、日曜日は午後8時に就寝し、月曜日は午前4時に起床する。そして、朝食をとってから自宅で一仕事することにしているのである。これにより、物理的に身体を動かし始める前に「世俗的なモード」に自分を切り替えることが可能となる。

呪文を唱えて自分に言いきかせる

 ただ、早起きの効果は限定的である。朝早く起きても、世俗になじむ余裕ができるだけであり、必ずしも爽やかな気分にはならないからである。

 しかし、月曜日の朝、職場に行くのが本当に嫌なら、次のように自分に言いきかせると、なぜか気分が晴れることが多い。すなわち、「来週はもう行かなくていいんだ」と心の中で繰り返し唱えるのである。

 もちろん、実際には、来週の月曜日には出勤しなくてもよいわけではない。職場がなくならないかぎり、解雇されないかぎり、急な病気に罹らないかぎり、来週の月曜日の朝もまた、今週の月曜日の朝と同じように、私は仕事に出かけるであろう。また、「来週はもう行かなくて済む」ことを期待しているわけでもない。だから、「来週はもう行かなくていいんだ」と自分に言いきかせることは、自分に嘘をつき、自分を騙すことを意味する。

 それでも、「来週はもう行かなくていいんだ」という呪文を心の中で繰り返し唱えると、さしあたり来週以降の仕事に関する予定、計画、懸案などを――短時間であるとしても――すべて心から締め出すことが可能となり、気分が軽くなる。来週の月曜日はカバンに荷物を詰めることも、靴を履いて玄関を出ることも、サラリーマンと一緒に駅に歩いて行くことも必要ないと無理に考えてみると、月曜日の午前中の何時間かを気持ちよく過ごすことができるようになるはずである。

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睡眠は日中の生産性に影響を与える

 連休が明けてからまもなく3週間になる。個人的なことになるが、この間ずっと、いくらか寝不足の状態が続いていた。

 次の本にあるように、睡眠というのは、それ自体としては、質や量を測定したり評価したりすることは難しいものであるらしい。

8時間睡眠のウソ。

 ただ、質、量ともに十分な睡眠がとれているかどうかは、目覚めているときの生活の質によって判定される他はない。目覚めているあいだの活動が生産的なものであるなら、それは、睡眠が質量ともに十分であることの証拠になるはずである。(だから、「質量ともに十分な睡眠をとるにはどうしたらよいか」という問いには答えられなくても、「質量ともに十分な睡眠がとれているかどうか、どうしたらわかるか」という問いに答えを与えるのは簡単である。)

睡眠が不足すると

 ところで、私自身は、睡眠時間を長く必要とする方である。1日に8時間は眠っていたい、いや、10時間でもかまわないとすら考えている。だから、基本的にはつねに睡眠に飢えている状態にある。

 今月に入ってから、1日平均5時間から6時間くらいしか眠ることができない日々が続いていたが、おそらく、そのせいで、最近は、日中の生産性が次第に落ちていた。

 今日も、朝早くから雑用を片づけていたのだが、午後になり、とうとう何も考えることができなくなった。そこで、仕事を中断してしばらく眠ることにした。

 睡眠をとり、そして、目覚めても、小人が働いて目の前の問題を片づけてくれるわけではない。ただ、よく知られているように、眠っているあいだ、人間の脳の内部では、目覚めているあいだに取り入れられた情報が整理される。したがって、問題の見通しがよくなっていると一般に考えられている。これは、受験生にとって寝不足が好ましくないと言われるときの根拠の1つである。

睡眠は最初に試みるべき解決策

 以前、次のような記事を投稿した。


「今日は何もかも上手く行かない」と感じたときの対処法 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST

上手く行かないことが一日のうちに続けざまに起こることがある。予定していた会合が急にキャンセルになったり、書類にミスが見つかったり、仕事上の関係者の不手際のせいで面倒な雑用が急に飛び込んできたり......。このようなとき、その日にするはずだったことが片づかない


 私は、この記事で、深呼吸と筋トレの効用について書いたけれども、30分以上の時間を確保することができるのなら、生産性を回復するのにもっとも効果的なのは、少なくとも私の経験では、睡眠である。(本当に睡眠が不足すると、筋トレしようとしても、身体に注意を集中させることができない。)

 実際、私の場合、午後から夕方にかけて眠ったおかげで、体力と気力がいくらか回復したように思う。

 ただし、朝から仕事がある普通の平日の前日(通常は日曜日)には、昼寝をしない方がよい。というのも、長く昼寝すると、睡眠と覚醒のリズムが崩れて夜の睡眠が不足し、これが翌日の仕事に好ましくない影響を与えるおそれがあるからである。

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手ぶらで出勤する会社員

 中学校に入学し、電車での通学を始めてまもなく、ある朝、電車の中を見回して、1つの事実に気づいた。私が乗るのと同じ電車に乗っている男性のサラリーマンの大半が鞄を持っていないのである。

 多くは、新聞を片手に持っていたけれども、中には、完全に手ぶらで電車に乗ってくるサラリーマンもいた。これは、私には実に不思議な光景であった。なぜ何も持たずに出勤することができるのか、すぐにはわからなかったからである。

 私の家には、普通の時間に出勤するいわゆる「会社員」がおらず、仕事で外出するときには、全員が書類鞄か、あるいはそれ以上の大きさの荷物を持っていた。

 会社員が手ぶらで出勤するのは、自宅で仕事せず、かつ、仕事に必要なものがすべて職場に置きっぱなしになっており、身体だけ運べばよいからであるには違いない。このことは、中学1年生の私にも見当がついた。それでも、財布、メガネケース、折りたたみ傘、各種の鍵などは携行しないと不都合が生じるはずであり、私は、今でも、手ぶらで出勤するサラリーマンを見かけると、強い違和感を覚える。

放っておくと荷物は増える

 ところで、私自身はは、手ぶらで仕事に行くことへの違和感からいつまでも解放されなかった。私の主な仕事場が自宅であるから、荷物なしに職場とのあいだを往復することはない。少なくともA4サイズの書類が収まる書類鞄はつねに必要である。

 当然、職場での用事が多岐にわたると、荷物もそれだけ重くなる。平均すると2キロから3キロではないかと思う。私のような大学関係者は、荷物が重くなりがちであり、大きなバックパックや小型のキャリーバッグとともに通勤している姿を見かけることが少なくない。荷物がどうしても増えてしまうのである。これは、部屋がモノで一杯になるのと同じことである。

減らせるものがないか、つねに点検する

 今から5年以上前、次の本を読んだ。

佐藤可士和の超整理術 (日経ビジネス人文庫)

 この本によれば、著者の佐藤氏は、打ち合わせのために出かけるとき以外、原則として荷物は持たないようである。

 私のような仕事の人間がこれをそのまま真似するのは困難であるけれども、この本を読んでから、運ぶモノをできるかぎり減らすよう、工夫をするようになった。

 以前、一度だけ、電車に乗るためのICカード、自宅と研究室の鍵だけをポケットに放り込み、完全に手ぶらで職場に行ったことがある。その結果、手ぶらが決して不可能ではないこと、ただ、それは、天気がよく、かつ、不測の事態が起こらないという条件が満たされている場合にかぎられることがわかった。(授業に必要な資料は、自宅からクラウド上にアップロードしておき、教室に設置されたパソコンを使ってダウンロードした。)

 何も持たずに外出することができるのは、散歩のときだけで、仕事で外出するときには、やはり、最低限の荷物が必要となるようである(が、手ぶらで電車にのり、手ぶらで職場に行くというのは、理想ではある。)

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