AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

カテゴリ:反ライフハック > ファッション

girl-1583406_1920

日焼けしたくないという気持ちはわからないわけではないが

 5月の中ごろ、休みの日に近所を散歩していたら、1人の高齢の女性が通りを向こうから歩いてくるのが目にとまった。この女性もまた、散歩の途中だったのであろう、両手には何も持たずに歩いていた。

 この女性が私の注意を惹いたのは、この女性が挙動不審だったからではない。そうではなくて、この女性が手袋をつけていることに気づいたからである。この女性がつけていた手袋は、指先から手首あたりまでを覆ういわゆる「手袋」ではなく、上腕の途中まで、つまり、半袖のシャツから露出している部分をすべて覆うようなものである。この数年、夏になると、このタイプの「手袋」をつけている女性、特に中高年の女性をよく見かける。

UV手袋 (リボン付き) UV対策 【日焼け止め UV対策 UVケア 紫外線カット 紫外線対策】【UVカット】 :サンテラボ- Yahoo!ショッピング - Tポイントが貯まる!使える!ネット通販

 この「手袋」は、紫外線の侵襲と日焼けを防ぐためのものである。だから、「手袋」をつけている女性は、サンバイザーか帽子を必ずかぶっている。

 たしかに、日焼けしたくないという気持ちは、わからないわけではない。日焼けしたり、皮膚にシミができることは――日本人の場合、これが原因で皮膚がんになる危険は比較的小さいとは言え――健康面でも美容面でも、決して好ましいことではないと言えないことはない。

芸能人と「一般人」では、紫外線対策の意味が違う

 しかし、私は、あの「手袋」には強い違和感を覚える。というのも、「手袋」をつけた女性たちは、夏の紫外線対策を、日常生活においてきわめて優先順位の高い課題と見なし、紫外線対策に高い優先順位を与えるような生活を自分が送っていることを外部に向かって誇示しているように見えるからである。

 「誇示などしていない、必要だから手袋を身につけているだけ」という反論があるかも知れないが、そうであるなら、手袋をつけるのではなく、長袖の衣類を上から羽織ればよい。わざわざ半袖のシャツを着て、その上で長い手袋をつけるというどこかチグハグな身なりは――もちろん、「夏の装い」をめぐる従来の常識に対する挑戦であり――この手袋を見せるためであると考えないかぎり、説明のつけようがないのである。

 なぜ女性たちがこの不思議な「手袋」をつけるようになったのか、私は知らないけれども、きっかけは女性の芸能人だったのではないかと想像している。たしかに、女性の芸能人、特に、映画やテレビドラマに出演することを主な仕事とする女優であるなら、職業上、顔面、腕、足など、衣類から露出している皮膚の日焼けやシミは、絶対に避けなければならないものであり、紫外線対策は、優先順位がつねにもっとも高い課題の1つであると言うことができる。だから、必要に迫られないかぎり皮膚を直射日光にさらさないよう、長い手袋で腕を紫外線から保護することがあるとしても、これは、女優にとっては、職業上のやむをえざる措置であり、決して外部に対して自分のステータスを誇示するためではないのである。

芸能人の夏の美容法。綾瀬はるかや壇蜜の美の秘訣とは | 福山雅治に学ぶメンズ美容

 しかし、たとえばママチャリに乗って激安スーパーに買い物に出かけるような女性にとって、肌を日焼けさせないことは――どうでもよいとは言わないが――決して優先順位の高い課題ではないはずである。このようなことは、美人で有名な女優が必要に迫られてするからサマになるのであり、普通の女性が同じことをしても、大抵の場合、ただ違和感を与えるだけである。普通の日本人の女性にとって、芸能人のライフスタイルや美容法を模範とするなど、高級な料亭やフランス料理店のメニューに倣って毎日の献立を決めるようなものであり、浮世離れした暇つぶしにすぎない。

 芸能人には芸能人の生活なりの課題の優先順位があり、そして、この優先順位は、私たち一人ひとりの生活における多種多様な課題の優先順位と同じであるはずがない。私たちの生活はそれぞれ、かぎりなく個性的であり、したがって、生活の目標もまた、同じように個性的であるはずである。紫外線対策のために手袋をつけている女性にとり、自分の生活の中で、日焼けしないこと、しみを作らないことがどの程度の優先順位にある課題であるのか、一度冷静に吟味することは、決して無駄ではないように思われるのである。

suit-407086_1920

2ボタンのスーツでは、第1ボタンのみを留めるのが普通

 平日の街を歩いていると、スーツ姿の男性のサラリーマンを大量に見かける。これらのサラリーマンの半分以上は、いわゆる「シングル」のスーツを着ており、さらに、その大半は、「2ボタン」のスーツを着ている。そして、「2ボタン」のスーツを着ているサラリーマンのうち95%以上は、第1ボタンのみを留めているか、あるいは、ボタンを留めていないかのいずれかである。

 シングルの2ボタンのスーツでは、第1ボタンのみを留めるのが一般的であり、場面によってはボタンを留めないことも許容される。(あらたまった場面、たとえば賞状を受け取るようなときには、ボタンは留める方がよい。)これは、私などが言うまでもなく、スーツを着るときの基本的なルールとしてよく知られていることである。スーツを初めて買ったり作ったりするとき、店で教えてくれることが多いはずであるし、店で教えてもらう機会がなくても、スーツの着こなしに少しでも興味があるなら、これがもっとも基本的なルールであることはすぐにわかるに違いない。

 実際、2ボタンのスーツの第2ボタンは、事実上の飾りであり、大抵の場合、留められないことを前提に仕立てられている。2つのボタンを無理に留めると、生地が前方に集まり、裾のベントが開いてしまうはずである。

2ボタンのスーツの両方のボタンを留めるサラリーマン

 ところが、ごくまれに、2ボタンのスーツの両方のボタンを留めているサラリーマンを街で見かけることがある。調べたわけではないけれども、サラリーマンの100人に1人くらいは、ジャケットのボタンを上下とも留めて街を歩いているように思われる。

 もちろん、下で述べるように、ジャケットのボタンを2つとも留めることがそれ自体として禁じられているわけではないが、第1ボタンのみを留めることが事実上のルールになっている状況のもとでは、ボタンを2つ留めたサラリーマンは非常に目立つ。このようなサラリーマンは、2ボタンのスーツでは留めるのは第1ボタンだけであることをどこでも教えられなかったのであろう。このサラリーマンがボタンを2つ留めていることから、彼の父親もまた、ボタンを2つとも留めていたこと、あるいは、父親がスーツを身につける職業に就いていなかったことを想像することができる。

 私自身、あまり偉そうなことは言えないけれども、スーツをどのように着るか、とか、スーツと靴をどのように合わせるか、とか、このようなごく基本的なことは、家族から教わって習得するものであるように思われる。男性の場合、何をどのように着ているかにより、その人がどのような環境で生活してきたのか、何となくわかる場合が少なくない。

「パドック・スーツ」なら、2ボタンのジャケットでも、両方のボタンを留めてよい

 もっとも、2ボタンのジャケットのボタンを2つとも留める場合がまったくないわけではないようである。下のリンクの写真は、ウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジであるが、写真では、この人物は、2ボタンのジャケットのボタンを両方とも留めている。


Julian Assange tweete une photo de lui heureux alors que la Suède classe sans suite l'enquête pour viol

Julian Assange est (presque) libre. VOIR AUSSI : "MacronLeaks" : Comment WikiLeaks et Julian Assange ont outrepassé leur rôle de lanceurs d'alerte Et il a l'air évidemment ravi par cette nouvelle : Le parquet suédois annoncé vendredi 19 mai qu'il abandonnait l'enquête pour viol, en cours depuis sept ans contre le fondateur de WikiLeaks.


 ジュリアン・アサンジという人物にどの程度のファッションのセンスがあるのか、私には判断がつかない。それでも、オーストラリア出身の白人としては平均以上のセンスは具えているはずであり、ジャケットのボタンに関する基本的な知識を欠いているとは考えられない。そこに何かの理由を想定することが自然であるように思われる。

 1960年代のごく短い期間――であると思うが――2ボタンのジャケットのボタンを両方とも留めることがお洒落として普及していた時期がある。ジョン・F.ケネディが公の場に姿を現すとき、2つのボタンを両方とも留めていることが多かったからである。(下のリンクの写真を参照。)現在のアメリカの大統領のドナルド・トランプが、そのファッションに関し現地の評論家やブロガーから烈しくダメ出しされているのとは対照的に、ケネディは、ファッションについても強い影響を周囲に与え、肯定的な評価を獲得していたことがわかる。

John F. Kennedy's Ivy League Style

 ただ、ケネディのスーツは、当然のことながら、完全なオーダーメイドであり、上の記事にあるように、ベントのないスーツであるとともに、また、下の記事にあるように、第2ボタンが高い位置に来るいわゆる「ハイ・ツー」の「パドック・スーツ」(paddock suit) (「パドック・カット」あるいは「パドック・スタイル」とも)に似た形に仕立てられていた。パドック・スーツは、2ボタンの両方を留めることを前提とする型のスーツである。

Paddock Suit - by Robert Goodman - Apparel Arts 1939

 とはいえ、街で見かけるサラリーマンは、ケネディの真似をしているわけではなく、もちろん、1930年代のファッションを模倣しているわけでもない。(ただ、2ボタンのスーツに関して言えば、「ハイ・ツー」はやや増加傾向にはある。)実際、大抵の場合、2つのボタンを両方とも留めたサラリーマンのジャケットは、おそらく既製品なのであろう、ボタンを留めたせいでもとの姿を完全に失っていることが多い。これは、基本的なルールに関する無知に由来するスーツの誤った着方として訂正されるべきものであるに違いない。

clothes-1257059_1920

 アメリカやイギリスで作られているファッション関係の動画をYouTubeで見る機会が多い。

 私は、もともと、「おしゃれ」にはほとんど関心がなく、かつては、ボロボロのものを平気で身につけていた。しかし、ようやく、最近になって、見た目の大切さに気づき、身につけるものに少し気を遣うようになった。

 YouTubeで動画を見るようになったのも、おしゃれなスタイルに目をさらすことで、勘のようなものが少しでも身につくのではないかという期待を抱いているからである。(センスが実際に身につくかどうかは、よくわからない。)

 ところで、しばらく前、YouTubeで次の動画を見つけた。


 衣装箪笥の中のすぐに捨てるべきアイテムとしてこの動画で挙げられているのは、次の10種類である。すなわち、

    1. 「古い日焼け止め」
    2. 「汚れた下着」
    3. 「汚れて伸びたアンダーシャツ」
    4. 「古い歯ブラシ」
    5. 「古いランニングシューズ」
    6. 「保存方法を間違えたフレグランス」
    7. 「穴があいたソックス」
    8. 「色あせた水着」
    9. 「擦り切れたジーンズ」
    10. 「攻撃的なグラフィックが印刷されたTシャツ」

 最後のものを除くと、捨てるべきものとは、古くなり使えなくなったものであることがわかる。

 衣類というのは――靴やカバンを含め――定期的に点検して捨てることが必要なものである。というのも、衣類には明確な賞味期限がなく、擦り切れたり傷んだりすることがあるとしても、その変化は緩慢であり、持ち主の目にはわからないことが多いからである。半年ごと、あるいは1年ごとに定期的にアイテムを処分しないと、周囲の目に「ボロボロ」と映るものを、それと気づかぬまま使い続けることになってしまう危険があるのである。

 私自身、上の動画を見て、自分の衣類を早速点検した。自分では気づかなかったけれども、人目に触れるところでの着用にはもはや耐えないようなものをたくさん見つけ、これを処分し、代わりに、新しいものを補充した。

 なお、私は、衣類を処分するときには、原則としてすべてゴミとして捨てる。ゴミに出す前に雑巾等として再利用するものはあるけれども、最終的には、古着屋やリサイクルショップに持ち込むことはなく、すべて可燃ゴミとして捨てる。勿体ないと感じる人がいるかもしれないが、古着屋やリサイクルショップに持ち込むために必要な手間や時間や体力を考えるなら、捨ててしまう方が、全体としてはよほど節約になるように思われる。

igor-ovsyannykov-254187

衣類の通販はどこまで使えるのか

 15年くらい前に初めて通販で服を買ってから、去年あたりまで、服は主に通販で手に入れていた。失敗は少なくなかったけれども、通販を使うようになる前、特に学生時代には、つねに服の不足に悩まされ、ボロボロになって穴が開くまで同じ服を着ていた。通販は、私の生活をずいぶん改善してくれたと言うことができる。

 アメリカには、普通の衣類ばかりではなく、オーダーメイドのスーツの通販まである。何年か前には、これを何回か使ってみたこともある。オーダーメイドのスーツの通販については、次に挙げる2つが代表的なサイトである。

Custom Men's Suits | Indochino

Black Lapel

 送料を除けば、いずれのサイトでも、スーツ一着の値段は日本の量販店とほぼ同じである。ただ、自分で――しかも、インチで!――採寸しなければならないことを考慮するなら、それなりのリスクがある。おそらく、自分の身体にフィットしたスーツを手に入れるには、何度か注文しながらサイズを微調整するプロセスが不可欠であり、この意味では、オーダーメイドのスーツの通販は割高であるかも知れない。

年齢を重ねるとサイズが合わないことに悩まされるようになる

 しかし、最近は、通販を使うことはあまり多くない。サイズが身体に合わなくなってきたのである。

 SMLなどに区分された衣類のサイズは、当然のことながら、つねに同じであるわけではない。私が通販で購入する服は、昔はLサイズのものが普通であったが、数年前からMサイズが中心になった。体重が減ったからである。しかし、最近は、Mでも大きくなり、次第にSを選ぶことが多くなるとともに、購入した服が体に合わないことが多くなった。私の体型が変わったせいなのか、それとも、日本人の標準的な体型が変化し、これとともにSMLの各サイズに対応する服の大きさが変わったからなのか、私にはよくわからない。

 私の親族の1人が、それなりに高齢になってから、「店に行っても、新しい服で身体に合うものがない」と愚痴をこぼしていたことを思い出した。ある程度以上年齢を重ねると、その時点での日本人の標準的な体型と自分の身体とのへだたりが大きくなり、既製の服が身体に合わなくなってくるのかもしれない。

服と靴はできるかぎり店で買うようにしている

 この親族の場合、下着の類まで身体に合わなくなっていたようであるが、私は、まだそこまで追い詰められてはいない。それでも、仕事用のスーツについては、量販店と通販を使うのをやめ、百貨店でのイージーオーダーに変えた。注文のたびに採寸してもらい、その時点での体型に合わせて微調整してもらっているから、身体に合わないものを買う危険はない。これは、以前、次の記事に書いたとおりである。


服装に気を遣うと、行動や姿勢が改善される 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST

身体に合わない服を着ると行動や姿勢に悪影響を与える 昨日は、スーツを着て出勤した。私は、夏の暑い時期を除けば、講義や会議があるときにはスーツを着ることにしている。だから、スーツを着ること自体は、普通である。しかし、昨日のスーツには、小さな問題があった。サ

 スーツ以外の衣類についても、できるかぎり店に足を運び、試着してサイズや色を自分で確認し、かつ、店員に確認してもらうことにしている。量販店ではない、普通の店で衣類を購入するためにわざわざ街に出かけて行くのは面倒であるし、いくらか割高になる可能性はある。ただ、身体に決定的に合わない服を買ってしまう危険は回避することができる。

 私の予想に間違いがなければ、今後、年齢とともに、通販で買う服に「ハズレ」が多くなり、店に足を運んで試着を繰り返すことに時間や体力を費やさなければならなくなるはずである。そのためにも、今のうちに、できるかぎりたくさんの店を回り、店で服を買う経験――私には不足している――を重ねることが絶対に必要であると考えている。

↑このページのトップヘ