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「研究のジャーナリズム化」とは、学界の流行を追いかけること

 最近、「哲学のジャーナリズム化」について考えることが多い。「哲学のジャーナリズム化」というのは、マスメディアに哲学の(自称を含む)専門家が登場する機会が増えることではなく、学界の流行を追いかける研究者が増えることを意味する。

 以前、次のような記事を投稿した。


「哲学の最前線」とは : AD HOC MORALIST

いわゆる「哲学の最前線」とは「哲学の流行の最前線」にすぎない 哲学では、自分が研究対象としている対象の「最前線」を必死で追いかけている研究者をときどき見かける。(若手に特に多い。)学会に行くと、この何年かのあいだに欧米で公刊された最新の研究文献、あるいは

 研究者の多くが追いかけるようになった哲学の最前線というのは、単なる学界における流行の最前線にすぎず、本当の意味における最前線は、思索が遂行される具体的な場面に求められるべきであるという意味のことを上の記事で書いた。

 そして、いわゆる「哲学の最前線」が学界における流行の最前線にすぎないとするなら、この意味における最前線を追いかけることは、本質的にジャーナリスティックなふるまいであると言うことができる。

ジャーナリズム化と植民地化

 哲学における研究者の態度がジャーナリスティックになることにより、何が起こるのか。

 表面的には、これは、ヨーロッパやアメリカの学界を構成する多くの研究者が取り上げる話題を日本の学界に持ち込むことを意味する。すなわち、研究のジャーナリズム化により、彼我の学界の状況が似たようなものになる。これは、好ましい状況のように見える。

 けれども、ヨーロッパやアメリカの学界で流行していることが日本でもそのまま流行すれば、研究者は、何を発言するとしても、ヨーロッパやアメリカの視線を考慮しなければならないことになる。これは、ヨーロッパやアメリカを「研究の中心」と認め、日本を「研究の周縁」と見なす(というヨーロッパやアメリカの研究者のまなざしを引き受ける)ことであり、ヨーロッパやアメリカの研究者に評価されることに研究の最終的な目標を設定することを意味する。

 実際、(おそらく研究者の「数」だけで比較するなら、フランスやドイツよりも日本の方が哲学が盛んなはずなのに、)ヨーロッパやアメリカの研究者は、みずからを永遠の「上流」「中心」と見なしている。彼らは、日本について決して対等の地位を認めないであろう。(実際、日本人の研究者がヨーロッパやアメリカに留学することはあっても、ヨーロッパやアメリカの研究者が日本に留学することはない。)

 このかぎりにおいて、哲学における「研究のジャーナリズム化」とは、日本の学界の自発的植民地化であり、一種のオリエンタリズムであると言うことができる。

哲学は「輸入学問」へと転落するか

 西洋文学や西洋史の研究では、ヨーロッパやアメリカが本場である。日本は、永遠の周縁であり、これらの学問は、日本では「輸入学問」以外ではありえない。

 しかし、哲学の場合、事情は決して同じではない。たしかに、ギリシアから現代まで、西洋には2500年以上の哲学の伝統があるが、この伝統を引き受ける権利は、西洋世界にのみ与えられているわけではない。哲学が普遍妥当的な真理の探究であるかぎり、哲学の研究には、「中心」も「周縁」もないはずなのである。

 ヨーロッパやアメリカを「上流」「中心」と見なし、ヨーロッパやアメリカで話題になっていることを日本に持ち込むこと、あるいは、ヨーロッパやアメリカの研究者に「伍して」(いるつもりで)何かを発言することは、哲学の本質によって要請されることではなく、ヨーロッパとアメリカを中心と見なす研究の秩序を引き受けることにすぎない。研究の「ジャーナリズム化」により、日本における哲学は「輸入学問」へと転落し、日本文化の伝統や日本人の生活感情から乖離したよそよそしいものとなるはずである。

 日本の研究者には、ヨーロッパやアメリカの学界の動向を追いかけ、これを引き受けなければならない義務などない。極端な言い方をするなら、日本の「野球」とアメリカの”baseball”が異なるのと同じ意味において、日本の「哲学」は、西洋の”philosophy”から区別されるべきものであり、西洋の哲学史の伝統を独自の仕方で引き受ける権利がわが国にはある。いや、それどころか、西洋の”philosophy”を強奪し消化して日本の「哲学」を産み出すことは、わが国の近代文化を作った先人たちに対する義務ですらあると私はひそかに考えている。

 ギリシアからローマへ、ローマからアルプス以北のヨーロッパへ、そして、アルプス以北のヨーロッパからアメリカへ……、哲学史には、伝統の強奪の歴史としての側面がある。そして、伝統は、強奪されることにより、さらに豊かな思索への刺戟となってきた。この観点から哲学史を眺めるなら、哲学をわが国に固有の伝統へと強引に取り込むこと、ギリシア以来の哲学の伝統の直系としてみずからを位置づけることは、可能であるばかりではなく好ましいことでもあるように思われるのである。