Tsutaya Books, Dankanyama, Tokyo

 今日、次のような記事を見つけた。

ツタヤ図書館、ダミー本3万5千冊に巨額税金...CCC経営のカフェ&新刊書店入居 - ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの本音に迫る

 山口県周南市は、新たに開設される図書館の運営をCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に委託したところ、CCCは、本の表紙に似せた段ボール製の「ダミー本」3万5千冊分を配架しようとしたというのが上の記事の内容である。

いわゆる「ツタヤ図書館」の図書館にふさわしくない運営の問題点については、すでにいくつかの情報がネット上で流通している。これらの情報の大半がネットニュースのビジネスジャーナルの記事に依拠するものであり、このかぎりにおいて、信憑性に関し若干の疑念がつきまとうけれども、今はこれを度外視するなら、たしかに、ツタヤ図書館の現実は、図書館の理想なるものから遠く離れたところにあると言ってよい。

 日本図書館協会が綱領として定める「図書館の自由に関する宣言」第1条には、次のように記されている。

日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すなわち表現の自由の保障が不可欠である
知る自由は、表現の送り手に対して保障されるべき自由と表裏一体をなすものであり、知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する。
知る自由は、また、思想・良心の自由をはじめとして、いっさいの基本的人権と密接にかかわり、それらの保障を実現するための基礎的な要件である。それは、憲法が示すように、国民の不断の努力によって保持されなければならない。

 すなわち、図書館、特に公共図書館は、国民が、民主主義社会にふさわしい仕方で「知る権利」と「表現の自由」を行使しうるよう国民を育成する施設であり、社会に対し教化的な役割を担うものなのである。好ましくない仕方で報道されている「ツタヤ図書館」の現状を公共図書館のこのような使命の実現への努力の成果として受け止めることは困難であろう。実際、ネット上、特にSNS上には、「ツタヤ図書館」を非難する大量の書き込みが散見する。

 たしかに、納税者として見るなら、たとえば、利用価値のない古本を大量に購入したり、図書を十進法とは異なる順序で排列したり、上の記事にあるように、ダミー本で書架を埋めたりすることは、税金の無駄遣い以外の何ものでもない。

 ただ、少し冷静に考えるなら、「ツタヤ図書館」を偉そうに非難する資格を持つ者は、決して多くはないように思われる。というのも、「ツタヤ図書館」が「成功」していることは、疑いの余地のない事実だからである。

 地方公共団体による公共図書館への予算の配分は、入館者数と貸出冊数の増減のみによって決まるのが普通である。つまり、現在では、たとえば、図書館がある分野の資料に関し貴重なコレクションを所蔵しているとしても、このような事実が、図書館の資料をさらに充実させるため予算が増額されるようなことはない。つまり、入館者数が増え、貸出冊数が増えさえすれば、それは、図書館の運営の「成功」を意味するのである。そして、これらの数値のみを指標とするかぎり、「ツタヤ図書館」の試みは、大成功として評価することができるものである。

 2000年、書誌学者の林望氏は、「図書館は無料貸本屋か」(「文藝春秋」2000年12月号)を発表し、新刊のベストセラーを大量に購入して入館者数や貸出冊数を底上げする公共図書館を批判した。けれども、その後、事態が改善されることがなかったばかりではなく、むしろ、公共図書館の理想と現実のあいだの距離は大きくなったように見える。「ツタヤ図書館」は、入館者数至上主義、貸出冊数至上主義の帰結以外の何ものでもないのである。

 「ツタヤ図書館」が入館者数と貸出冊数を増加させたとするなら、それは、その戦略が平均的な日本人の要求に応えるものだったからであると考えるのが自然である。国民は、図書館に対し教化的な役割など求めてはいない。国民は、民主主義社会の担い手にふさわしくみずからを形成する努力など望んではいない。国民は、自治体の単なる「お客」になり下がり、図書館に求めるものは、政治的主体としての自己形成の支援などではなく、罪のない娯楽、気晴らし、暇つぶしにすぎないのである。CCCは、この現実を正しく理解し、誰も信じていない図書館の崇高な使命を切り捨てたのであり、これまで中途半端な仕方で追求されてきた入館者数と貸出冊数の増加を効率のよい仕方で実現したにすぎないのである。

 以前、次のような記事を書いた。


何も印刷されていない本が売られる時代が来るのか : AD HOC MORALIST

昨日、次のような記事を見つけた。【本なんて、もはやインテリア】複合書店は、出版界の救世主になれるか。(五百田達成) - Yahoo!ニュース昨年から、本とそれ以外の商品を並べる「複合書店」の動きが加速しています。  上記の記事は、新刊書店が雑貨屋、カフェ、家電量

 「ツタヤ図書館」は、現在の平均的な日本人が図書館に期待するもの――それは、図書館の理念や使命からは完全に乖離している――の反映である。たとえ全国の公共図書館がすべて「ツタヤ図書館」になるとしても、国民の90%には何の不都合もないであろう。それとともに、このことは、わが国の民主主義を支えているのが、「ツタヤ図書館」に不都合を覚えるわずか10%の国民であることを意味しているに違いない。