Postkarte Kleider machen Leute

身体に合わない服を着ると行動や姿勢に悪影響を与える

 昨日は、スーツを着て出勤した。私は、夏の暑い時期を除けば、講義や会議があるときにはスーツを着ることにしている。だから、スーツを着ること自体は、普通である。しかし、昨日のスーツには、小さな問題があった。サイズが少し大きいのである。

 私が昨日着たスーツは、10年近く前に購入したもので、当時の体型からすると、少し小さく、最初は、ジャケットの前のボタンがかろうじてかかるような状態であった。

 しかし、その後、体重がかなり減ったため、今度は、私の体型が、このスーツにちょうどよいサイズよりも細くなり、スーツが大きく感じられるようになったのである。昨日、しばらくぶりに身につけて、このことに気づいたが、着替える時間の余裕がなく、そのまま出かけることにした。

 現在の紳士服の流行では、ジャケットの袖からシャツの袖が少し見えるのがよいと言われている。ところが、身体が細くなったせいで、ジャケットの袖が実質的にその分長くなってしまった。同じ理由により、裾の位置も少し下がった。

 身体に合わない服を身につけていると、気になって仕方がない。もちろん、自分の体型よりも1サイズ大きな(ゆったりとした)スーツを身につけている男性は多いから、スーツが少しゆるいからと言って、気にするほどのことはないのかも知れないが、やはり、道を歩いているとき、ガラスに自分の姿が映ると、思わず振り向いて姿を確認してしまう。

 このようなことを繰り返すうち、次第に気が滅入ってきた。夕方、自宅に戻るために街を歩いていて、ガラスに映った自分の姿を見たら、やや前かがみになり、うつむき気味になり、足を引きずっていることに気づき、服装が姿勢やふるまいに与える影響を実感した。

 私がこれほど身体に合わない服装の影響を実感したのは、この数年、身体にちょうどよいサイズ、しかも、やや細身に見えるスーツをイージーオーダーで作り、これを身につけるようにしているからである。

 もちろん、値段は、量販店の既製のスーツの5倍くらいするけれども、それでも、毎回同じ店に出向き、前回から体型に変更がないかどうか確認するために採寸してもらい、生地、全体のデザイン、ポケットの位置や形状、ボタンの色や材質などの細部を決めて自宅に届けてもらったものを身につけると、それは、常識の範囲で、そのときの私の外見をもっとも適切に飾ることが可能となるはずであり、このような「自信」(?)らしきもののおかげで、姿勢やふるまいが改善されるような気がする。

 実際、今日は、身体に合うサイズのスーツを着て出かけた。そのせいで、昨日とくらべ、万事がうまく進んだ。もちろん、これは、錯覚かも知れない。けれども、服装を工夫するだけで気分が改善されるのなら、(改善されるのが気分だけであるとしても、)これほど安上がりなものはないと私は考えている。やはり、「馬子にも衣装」(Kleider machen Leute) なのである。

Kleider machen Leute

衣装は自分で選ぶのがよい

 そして、服装にこのような効用があるとするなら、やはり、その日に着るものは、自分で決めるべきであるように思われる。

 街を歩いていると、仕立てのよいスーツを身につけ、シャツやネクタイとのバランスも見事なのに、「着こなし」がひどい中高年のサラリーマンを見かけることが少なくない。

 たとえば、スーツにまったく合わない重いショルダーバッグを肩からかけているせいでジャケットがよじれていたり、歩き方が野蛮な感じだったり、姿勢が非常に悪かったりするのをよく見かける。2ボタンのジャケットのボタンを両方ともとめている男性を見かけることもある。

 このような男性は、身につけるものを自分で選んでいるのではなく、着るもの一式を配偶者に決めてもらっているのであろう。だから、服装とふるまいが調和せず、悪い意味で目を惹くことになっているに違いない。

 だから、自分が身につけるものに最低限の気を遣い、自分が着る服は自分で選ぶことが重要である。自分が決めたものを身につけることにより初めて、自分の身につけたものにふさわしい動作や姿勢を心がけるようになり、それにより、服装に対しさらなる注意が向けられ、自分のふるまいもこれによって改善する……、このような循環が生まれるからである。少なくとも私自身は、このような効用を期待しながら、何を着るかを考えている。