2012 09 30デモ 161


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 「真理にもとづかない政治」とは、post-truth politicsの訳語である。日本では、イギリスで行われたEU離脱の国民投票の際、「事実にもとづかない民主主義」(post-factual democracy) という言葉が何回かマスメディアで使われた。これは、EU離脱派が、国民が問題を多面的に検討するのを妨げるばかりではなく、国民を煽り立て、その結果、国民の判断を誤らせたからであり、イギリスのマスメディアにより、post-factual democracyという言葉を用いてこの事態が繰り返し指摘されたからである。(なお、post-truth politicsという言葉が最初に使われたのは2010年である。)

Post-truth politics

 また、英語圏のメディアでは、EU離脱ばかりではなく、アメリカの大統領選挙におけるドナルド・トランプに対する異常な支持も、「真理にもとづかない政治」「事実にもとづかない民主主義」の徴候と見なされている。また、こうした現象は一過的なものではなく、世界の政治が「真理にもとづかない時代」「事実にもとづかない時代」に入ったことの証拠であるという悲観的な論調が支配的であるように見える。

 しかし、それ以前も、また、それ以後も、日本では、少なくとも今までのところは、私が知っている範囲では、これが話題になってはいない。とはいえ、日本がこれと無縁であるわけではない。

 「真理にもとづかない政治」「事実にもとづかない民主主義」というのは、簡単に表現すれば、反知性主義的なポピュリズムのことである。日本の場合、このタイプの政治を目指すのは、主に左翼政党であるから、「真理にもとづかない政治」「事実にもとづかない民主主義」は、共産党にその典型を見出すことができる。つまり、日本における「真理にもとづかない政治」「事実にもとづかない民主主義」とは、反知性的な左派ポピュリズムなのである。「シルバー民主主義」は、その1つの現われである。

 日本人は、ながらく自民党が与党の政治に慣れてきた。自民党がすばらしい政党とは思わないけれども、それでも、重要な政策に関し、自民党が一枚岩になって国民に嘘をつくことはない。政治的な意思決定が重要なものになるほど、党内からの異論が烈しくなり、マスメディアがこれを報道することにより、論点が国民に見えるようになる。だから、事実上の一党支配であっても、そこには、ある程度までは民主主義的な合意のプロセスが成り立っていたのである。

 ところが、共産党は、一応は政党であっても、自民党とはまったく性格を異にする「プロパガンダ政党」である。(また、民進党も、プロパガンダ政党になろうとしている。)このような政党は、自分の利益になることだけを、事実にも真理にもよることなく主張する。つまり、共産党の場合、「一枚岩になって国民を騙す」危険はつねにあるし、実際、共産党は、ほとんどつねに、みずからの利益のために国民を組織的に騙そうとしてきた。

 しかし、国民は、政治家個人によって欺かれることには慣れていても、政党によって組織的に騙されることには慣れていない。つまり、日本人は、プロパガンダ政党に対する免疫がないのであり、これは、わが国にとり、非常に危険な状態である。(実際、政治家が虚偽を流布した場合には、これを罰するいろいろな法律があるが、政党が虚偽を流布しても、これを法律によって罰することはできない。政党が組織的にウソをつくことは想定されていないということなのであろう。)

 すべての政策には、メリットとデメリットの両面が必ず見出される。よいだけの政策とか、悪いだけの政策など、この世にはない。民主主義社会における政治は、近代以降の多くの政治哲学者が一致して語るように、メリットとデメリットを正しく見極めた上で、社会全体の利益という観点からの政策の是非をオープンな討議によって決めるものである。そして、マスメディアの本来の役割は、合意形成の前提となる情報を批判的に明らかにすることにある。

 ところが、この数年のあいだに政治的な争点となってきた問題、たとえば、原発、安全保障、大阪都構想など、いずれも、共産党を始めとする左翼政党は、有権者にメリットとデメリットを見極めさせ、ゆっくりとした合意形成を促すのではなく、有権者の目を現実から逸らせ、虚偽を流布することにより、自分たちに有利な行動へと国民を駆り立てようとした。

 国民がテクノクラートの言うことに耳を傾けるのをやめ――それはそれでかまわない――しかし、だからと言って、「本当のところはどうなっているか」をみずから調べて考えるわけでもなく、根拠のない思い込みと期待のみにもどついて行動するというのは、私の見るところ、もはや政治でも何でもない。これは、情動を刺戟されているだけの動物的行動にすぎない。荒唐無稽な主張を掲げて飽くことなく繰り返される左派のデモ活動は、反知性主義的ポピュリズムの動物性を見事に表現している。