Hitomi Launches

 昨日の夜、22時30分ころ、「こうのとり6号」がH-IIBによって打ち上げられた。これは、去年の夏に打ち上げられた「こうのとり5号」と同じように、宇宙ステーションに物資を届けるため無人のロケットに搭載された宇宙補給機である。

 22時10分ころ、打ち上げのカウントダウンが始まったことをスマートフォンに入れてあるNHKのアプリがアラートで教えてくれたため、私は、パソコンの前に坐り、打ち上げの様子をNHKのサイトで見た。(動画は、YouTubeに開設されたJAXAのチャンネルでも見ることができる。)


 私は、仕事中で手が離せない場合を除き、ロケットの打ち上げをできるかぎりリアルタイムで見守るよう心がけている。日本人にとり、ロケットの打ち上げは、それなりに特別な出来事だからである。(私自身は、打ち上げを見るたびに感動し、涙が出そうになる。)

 日本のロケット技術は高い。すでに30回以上連続して打ち上げに成功し、21世紀に入ってからの成功率は98%である。これは、アメリカやEUよりも高いと言われている。また、正確な数字は公表されてはいないはずであるが、ロシアや中国のロケット打ち上げなど、成功率の点では、日本とは比較にならないほど低い水準にあることは確かである。

【中継録画】「こうのとり」6号機打ち上げ成功 H-IIBに搭載され宇宙へ | THE PAGE(ザ・ページ)

 とはいえ、2001年以前、日本の打ち上げ成功率は、外国とくらべ、決して高くはなかった。また、打ち上げのコストにも問題があり、20世紀末の時点では、「衛星ビジネス」に関し市場のシェアはかぎりなくゼロに近かった。国産のロケットが種子島から打ち上げられるのを見るたびに私が感動を覚える理由の1つであり、日本人ならロケットの打ち上げに立ち会うべきであると私が考える理由の1つでもある。

 わが国の航空技術および宇宙技術の開発は、1930年代に始まり、しかし、敗戦後、GHQによりこれを禁じられたという不幸な歴史を持つ。そのせいで、日本は、航空と宇宙の分野で外国に引き離されていた。日本は、「技術大国」と呼ばれ、世界の技術開発の先頭に立つことが多いにもかかわらず、これらの分野では、戦後、つねに外国を追いかけてきた。航空宇宙開発は、わが国が開拓すべき最大の民生分野であった。だから、複雑な技術の結晶であるロケットが打ち上げられるのを見て、「愛国的」(?)な感慨に襲われるのは当然であると言うことができる。スポーツの日本代表選手が国際試合で勝利するのを見て感動するなら、「日の丸」が胴体に印刷された大型ロケットが大気圏の外に飛び出して行くのを見て感動を覚えないはずはないように思われるのである。

 しかし、日本人なら――そして、「右翼」を自称するならなおのこと――ロケットの打ち上げを真面目に見守るべきであると私が考えるのには、他にも理由がある。

 宇宙開発には膨大な予算が投じられており、また、そこでは、多種多様な最先端の技術の可能性が試されている。たしかに、これらの技術の大半は、毎日の生活へ直接に影響を与えるような性質のものではなく、したがって、宇宙開発に税金を使うことは、共産党に代表される左翼的ポピュリズムの攻撃の標的となっている。しかし、これらの技術は、ながい目で見るなら、必ずわが国の利益になる――ロケットを正確に飛ばす技術は、当然、弾道ミサイルに転用可能である――ものである。「反日」的な政治家のあら探しをするのが悪いわけではないが、そのようなことに使う時間と体力があるなら、テレビの前に坐り、ロケットの打ち上げの成功を――日の丸の小旗でも振りながら――寿ぐ方がよほど生産的であり、精神衛生面でも好ましいに違いない。