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沖縄の保守系政治団体にはそれなりの存在意義がある。


 「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」という政治団体がある。これは、その長い名前からわかるように、沖縄で活動している団体である。また、少しでも沖縄のことを知っている人なら、これが「右寄り」の団体であることを推測するのも、難しくはないであろう。

琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会│ホーム

 沖縄には小規模な保守系の政治団体がいくつかあるようであるが、「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」は、私でも知っているくらいであるから、その中ではもっとも活発な団体であると言ってよい。また、この他に、「沖縄対策本部」という団体もある。(なお、これらの団体は、「まぐまぐ」を利用して無料のメールマガジンを発行し、安全保障に関連する沖縄ローカルの情報を発信しているが……。)

沖縄対策本部 - 沖縄対策本部

 沖縄の保守系の政治活動は、たとえば、

  • 沖縄の二つの地方紙の偏向報道を批判したり
  • 普天間飛行場の辺野古への移設に賛成したり
  • 本土から沖縄に渡ってくる「プロ市民」を牽制したり
  • 尖閣諸島近海への中国船の侵入に関する啓発活動に従事したり
  • 「琉球独立」論を中国の陰謀として非難したり
するものであった。
 日本とアメリカの安全保障面における協力関係は、今のところ、日本と東アジアの安定にとって不可欠であり、この協力関係を実のあるものにするためには、沖縄にはどうしても基地が必要であり、日本政府と協調することのできる政治勢力の形成が必須であると彼らが考えているからである。

 ただ、誰かにわざわざ教えてもらうまでもなく、国際政治についての最低限のリテラシーがあれば、これとは異なる結論に辿りつくはずはないような気がする。これは一種の常識であり、また、この常識を前提として大衆運動に従事するかぎり、その内容が上に挙げたようなものとなるのも、当然のことであろう。このかぎりにおいて、沖縄の保守の活動には、疑問の余地のない大義があると私は考えている。

彼らは真面目だが「沖縄のことにしか興味のない人たち」と見なされている。


 それにもかかわらず、沖縄の保守系の政治団体について、残念に思う点がある。(可能なかぎり好意的な表現を使うなら、)彼らが誰に対して自分たちの主張を伝えようとしているのか、どのような成果を期待しているのか、明らかではないのである。言い換えるなら、彼らの活動には、次のような根本的な問題が認められるのである。

 沖縄県内の言論空間において彼らが少数派であることは、私にもわかる。また、県内の主なマスメディアが彼らの動向を伝えない以上、県民に声を届けるためには、主張を簡潔にまとめ、デモや講演会でこれを連呼しなければならないという事情があることも理解できないわけではない。彼らのターゲットが沖縄のサイレント・マジョリティ(と彼らが信じるもの)だけであるなら、そして、彼らが県外の反応を考慮しないのであるなら、戦略に大きな誤りはないのかも知れない(が、この点は、私には判断する資格がない)。

 しかし、このような活動は、沖縄に地縁も血縁もない私のような者には訴求しないはずである。むしろ、多くの日本人に退屈で粗雑という印象を与えるばかりであろう。
 そして、その理由は、誰の目にも明らかであるように思われる。すなわち、彼らには、日本のあるべき姿に関する固有の見識ないし見解が欠けているのである。

 たしかに、彼らは、沖縄の問題、沖縄に関係のある問題については積極的に発言する。しかし、わが国にとって重要であるけれども沖縄とは直接に関係のない諸問題について、彼らが何らかの意見を公にすることはない。少なくとも私は聞いたことがない。たとえば消費税、たとえば待機児童問題、たとえば原発再稼働……。

 このような重要問題について沈黙しているかぎり、国民の多くが彼らに声に耳を傾けることはないであろうし、彼らに信頼を寄せることもないであろう。なぜなら、国民は彼らを「沖縄のことにしか興味がない人たち」と見なすはずだからであり、「沖縄のことにしか興味のない人たち」の主張が国政に影響を与えることには、当然、誰もが慎重になる似違いないからである。(もっとも、立場の左右に関係なく、沖縄から発せられるすべての言論は、同じ性格を共有している。)

 国民の多くが関心を示すテーマについて固有の視点から発言しつつ、独自の文脈の内部において沖縄を語ることができなければ、世論に影響を与えることなど到底不可能であるように思われるのである。

彼らのすることは雑な印象を与える。


 残念なことに、刺戟を欠いた主張を聴いていると、アラばかりが目につくようになる。私は、去年の春、下の書物を手に入れた。これは、上記の「沖縄対策本部」の関係者が中心となって製作、公刊されたもののようである。




 これは、非常に残念な書物である。残念なのは内容ではない。本の作り方があまりにも粗雑なのである。モノとしての体裁がこれほどなおざりにされた書物に21世紀の日本で出会うとは、私は予想していなかった。

 全国の読者に届けることを望むのなら、造本やレイアウトについて気を遣うことは必須だったであろうが、少し慎重な読者にとっては、表紙に視線を落とすだけで、書物の内容に対する信頼が損なわれるには十分であったに違いない。というのも、表紙には次のように大きく印刷されているからである。

琉球処分、沖縄戦、祖国復帰、辺野古移設、尖閣諸島、琉球独立、ペリー、沖縄県知事選挙、沖縄戦、全ての問題を新たな視点で解説。
 

 誰が見てもすぐにわかるように、ここには「沖縄戦」の3文字が2回使われている。これは、表紙が一度でも校閲されていれば、確実に避けることのできたはずの単純きわまるミスである。このミスは、内容への信頼を損ねるばかりではなく、全般的な「やる気のなさ」の証拠として受け取られかねない。というのも、読者というのは、未知の書物の内容の信頼性を、著者の知名度、あるいは、書物の外観を整えるためにかけられた手間にもとづいて判断するものだからである。上記のミスに気づいていながらこの書物への信頼を失わないのは、著者を直接に知る読者か、あるいは、知的水準がよほど低い読者のいずれかだけではないかと思う。

 このレベルのミスは、沖縄県内の出版界では許容されているのかも知れないが、日本全国に流通する可能性のある書物にとっては致命的であろう。「琉球新報」や「沖縄タイムス」を批判するのなら、せめて両紙と同じくらいには丹念な校閲を心がけるべきであるように思われるのである。

 いや、それ以前に、そもそも表題が表紙に正しく印刷されていないような気がするのだが……。