Stop The Bus

 

 私の自宅から最寄り駅までは、1キロ強の距離がある。

 私は、電車通学を始めた中学生のときから、今の家に住んでいるあいだはずっと、最寄り駅に行くのにバスを使うのを習慣としていた。

 しかし、最近は、バスにはできるかぎり乗らず、駅まで歩くようにしている。

 健康のためではない。

 この数年、バスの乗客が老人だらけになり、居心地が悪くなったせいである。

 実際、通勤のピークの時間帯を除くと、どこに行くのか知らないけれども、乗客の半分以上は老人になっている。無料パスがあるせいなのかも知れない。

 

Andante

 老人が多い空間は、老人以外の人間には居心地の悪いものとなることを避けられない。

 老人は、動きが緩慢だったり、周囲に対する目配りが不十分だったり、変化への対応が柔軟ではなかったりするからであり、さらに、老人たちを迎え入れるハード(設備)やソフト(人間)が主な「客層」である老人の行動に最適化されてしまうからである。

 

 「若い女性をターゲットとする文房具屋」「サラリーマンをターゲットとするラーメン屋」などがあることは誰でも知っている。

 また、これらの店では、主な客層の気にいるよう、さまざまな工夫が施され、主な客層以外への配慮に乏しいのが普通である。

 ただ、このような店は、基本的には、特定の趣味や嗜好を持つ客に最適化されているにすぎない。

 所得や生活環境に多少の共通点は認められるとしても、客の集団は、決して均質的ではない。

 何かを買うつもりがあるのなら、私が若い女性向けの雑貨屋に入っても、小さな違和感を覚えるだけである。

 

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 これに対し、老人をターゲットとする乗り物や商店は、趣味や嗜好というよりも、心身の衰弱を原因とする老人固有の行動パターンに最適化される。

 そして、おそらくそのせいなのであろう、その空間は、不気味な均質性を特徴とすることが多いように思われる。

 これが、老人以外の人間には居心地が悪い空間になる原因である。

 老人とは言えない年齢の人間はすべて、精神衛生上、老人が集まる場所からは黙って立ち去るのが望ましいのであろう。

 

 老人の行動に最適化された公共の空間が「老人にやさしい」場所となることは確かである。

 しかし、老人にとって快適な場所は、「老人専用」の場所となってしまう可能性が高いのもまた事実である。

 昨日、次の記事を見つけた。

 

【高齢者交通事故】高齢ドライバーに「免許返納せよ」大論争 ネットで展開される極論

 

 最近、老人が自動車を運転して起こす事故が非常に多い。

 10年くらい前から数が増え始め、今では、少なくとも週に1度くらいは新聞で見かけるようになった。

 実際、上の記事にあるように、自動車事故全体の数が減少しつつあるときに、自動車事故の加害者全体に占める老人の割合は増えている。

 現状を放置するかぎり、この割合は、さらに増えるに違いない。

 将来、「完全自動運転」の技術が実用化されるなら、そのときには、事情が変化するであろうが、少なくとも今は、「免許を取り上げることは老人の行動を制限する」という理由により、公道上での老人の運転に制約を課さないと、反対に、老人の危険な運転に合わせて人間の行動の方が最適化され、不快な歪みを公共の空間のマナーに産み出し、本来なら不要なはずのコストを私たちに強いるようになる。

 


高齢運転者標識を活用しましょう!|警察庁

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 運転免許に関連する制度を一切変更しない場合、老人の危険な運転から身を護るため、周囲に目配りしたり、ガードレールの内側を歩いたりすることに注意を払わなければならなくなる。

 何といっても、自動車を運転する老人というのは、枯葉マーク(=高齢運転者標識)を自動車に貼りつけ、自分の行動パターンが周囲を攪乱する可能性を認めることすら嫌がる存在である。

 外部からの強制力によって老人の行動を変えさせないかぎり、わが国の公道は、リスクの高い空間になることを避けられないはずである。