Tsukiji

市場の移転には必然性がある

 今年の夏、都知事選が終わったころから、新聞で「豊洲」の二文字を毎日のように見かけるようになった。もちろん、東京卸売市場を築地から豊洲へ移転させる計画は、ずいぶん前から進められており、しかも、移転の候補地に豊洲が挙げられるのと同時に、豊洲の土壌には深刻な汚染があることもまた、すでに広く知られていた。それでも、豊洲への移転が莫大な費用を投じて土壌を改良するという犠牲を払うに値するという合意が当事者のあいだで最終的に生まれたのには、やはり、築地市場の設備の老朽化が無視することができない程度まで進行しているという事実があったと考えるのが自然である。

 インフラは、ダムであれ、水道であれ、鉄道であれ、作るための初期費用以上に、維持するためのコストが必要になる。また、そのコストは、時間の経過とともに増えて行くことを避けられない。実際、わが国でも、橋が崩落したり、道路が陥没したり、水道管が破断したりする事故が過去にあったし、現在でもあるけれども、それは、インフラを維持するための資金が不足しているからに他ならない。

 それでも、東京――いや、日本と言うべきかも知れない――の状況は、他の先進国、特にアメリカと比較するなら、それほど悪いわけではない。アメリカでは、何十年にもわたってインフラを維持するための予算が削られ続け、しかも、コスト削減の結果としてどれほど大きな事故が起こっても、予算が十分に増える気配はない。政府による富の再配分の機能が麻痺しているからである。

 遠くない将来、アメリカは、金持ちが住むエリア、つまり、社会生活のインフラが完全に整備されたごく狭いエリアと、このエリアを囲むように形成された、貧乏人が住む広大なエリアへと完全に二極分解し、アメリカ人の多くが、電気もなく、水道もなく、ガスもなく、鉄道もなく、電話もなく、さらに、満足な道路すらない広大な――難民キャンプのような――街で暮らすことになるかも知れない。すでに、アメリカの各地に作られている「ゲーテッド・コミュニティ」(gated community) は、金持ちだけを住人とする、周囲から隔離された住宅地である点において、未来を部分的に先取りした都市であると言うことができる。

インフラを維持するコストを節約するもっとも簡単な方法は、そこから逃げ出して新しい都市を作ることである

 とはいえ、インフラの維持のためのコストは、地域や時代に関関係なく、国家につねに重くのしかかる。特に、作り上げられたインフラが大規模なものであるなら、維持のコストもまた、それだけ高くつく。

 だから、歴史的に見るなら、高度な技術を必要とするインフラを整備した国家の前にあった道は2つ、1つは、維持のコストで圧しつぶされる――旧ソ連――までがんばる道、もう1つは、破綻を避けるため、老朽化したインフラの更新を諦め、新しい都市を別の場所にまったく新たに建設する――古代ローマ――道であった。たしかに、インフラだけを残して都市の機能を別の場所に移転させるなら、その時点での人間の生活様式に最適化されたインフラを、何のレガシーも考慮せずにゼロから構築することが可能となるから、古いものをメインテナンスするよりも、はるかに安上がりになることは確かである。実際、古代ローマ帝国は、紀元後4世紀、ローマを放棄して首都をコンスタンティノポリスに移転した。帝国の財政がインフラの維持に耐えられなくなったというのが最大の理由である。

 すでにアメリカは、都市におけるインフラの更新を諦め、後者の道を歩き始めているように見えないこともない。わが国がどちらの道を歩むのか、これはわからない。しかし、インフラの老朽化がとどまることなく進行し、国や自治体に対し改修のための予算をつねに要求している以上、インフラ整備の問題から逃れるための手段に、街の全部または一部を丸ごと捨て、まったく新しい街を作ることが真面目に検討されてしかるべきであるように思われる。(インフラの改修が資金的に困難になった地域について、希望する住人をすべて移転させた上で、地上部分を更地に戻したり植林したりすることにより、ゴーストタウンやスラムが発生する危険はいくらか抑えられるはずである。)