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 しばらく前、下のような記事を見つけた。

「外出する人」過去最低 高齢化やネット普及が影響か | NHKニュース

 私自身は、どちらかと言うと、必要に迫られないかぎり外出しない方である。だから、仕事以外で外出するのは、誰かと約束がある場合、必要な買いものがある場合、デッドラインが決まっている雑用がある場合などに限られる。このような用事がなければ、外出することはない。まして、旅行など、まずないことである。

 どこかへ出かけるには、時間もカネも体力も必要となる。楽しいことが期待できるのなら、あるいは、用事がきれいに片づくのなら、もちろん、外出をためらうことはないが、用事が足りなかったり、ひどく失望したり、不快な思いをしたりする可能性が十分にあるのなら、わざわざ出かけようとは思わない。これは、当然のことであろう。

 とはいえ、出かけるのが誰かと一緒であるなら、事情は少し違うかも知れない。というのも、出かける理由の多くは、家族、友人、知り合いなどと関係があるはずだからである。積極的に外出する人の多くは、外出がそれ自体として好きなのではなく、誰かに「連れ出される」ことによって結果的に自宅の外に出ているにすぎないように思われる。

 したがって、「外出する人」が減ったというのは、日本人が高齢化したとか、無精になったとか、ネットの使用が拡大したとか――これらの影響がまったくないわけではないが――そのような事情よりも、むしろ、連れ出される機会が減り、人間関係が希薄になったからであると考えるのが自然である。実際の統計があるかどうかはわからないが、おそらく、(ネットだけの知り合いではなく、)現実に投錨された知り合いが多いほど、自宅から連れ出される機会が多く、外出する頻度や時間が多いに違いない。

 長時間外出することが健全であるとは必ずしも言えないかも知れないけれども、それでも、自宅にいつまでもとどまっていることは、精神衛生上必ずしも好ましいことではない。視野が狭くなり、思考が堂々巡りを始めるのである。やはり、自宅の外に出て時間を使うこと、見飽きた眺めとは違うものに出会うことは、自分自身を生気づけるのに必要なことである。

 私自身、何年か前の年末年始、5日間、誰ともしゃべらず、玄関から一歩も出ずに自宅で過ごしたことがあるけれども、さすがに、気分はあまりよくなかった。本格的な「ひきこもり」が決して楽しくないのは、当然であるように思われる。

 私の外出の頻度や時間が私を連れ出してくれる知り合いの数に比例するのであるなら、そして、外出が精神衛生に何らかの影響を及ぼすのであるなら、年齢や社会的な位置に関係なく、私にとって重要なのは、ネット上の知り合いではなく、学校や職場の知り合いでもなく、「自宅から」「連れ出してくれるような知り合い」であり、この「自宅から連れ出してくれる」かどうかが、私にとって好ましい知り合いの最低限の条件となるはずである。(もっとも、私を自宅から連れ出してくれるからと言って、それだけで好ましい知り合いと見なすことはできないであろう。)

 山や海でもよい、繁華街でもよい、知り合いと一緒にどこかへ出かける経験は、必要に迫られて同じ場所にひとりで出かけることとは比較にならない厚みを持つ。それは、共有された経験だからであり、共有された記憶だからであり、想起と更新の場が用意された経験であり記憶だからである。