小布施駅から緩い上り坂の道を歩いて10分弱で街の中心に辿りつく。小布施町が「街並み修景事業」と名づける街づくりが進められたエリアである。
たしかに、葛飾北斎の作品の展示施設である北斎館と和菓子屋の小布施堂本店を中心とする半径300メートルくらいの範囲では、統一した外観の家並みを見ることができる。(とはいえ、この街並みを構成する建物の大半は、観光関連の施設である。)
また、小布施の「観光スポット」の大半は、この狭い範囲に集中しており、半日もあれば、すべて回ることができる。私自身、小布施に滞在したのは正味5時間くらいであったけれども、ひとりの旅なら、これで十分である。
私が小布施に行ったのは、街並みを観察するためであり、これは、広い意味で自分自身の仕事の一部であった。
たしかに、街の中心のごく限られた範囲では、建物の外観が和風に統一され、ある意味では美しい街並みが形作られていた。けれども、その外側は、基本的にはごく普通の田舎町であり、そこに広がっていたものは、観光地というよりも、むしろ、住宅地であり農地であり山林である。街の中心の一帯は、独特の人工的な雰囲気により、周囲から浮かび上がっていた。
そして、北斎館を中心とするエリアとその周辺を歩き、そこにいた観光客を眺めながら、私は、ある疑問に逢着した。それは、必要に迫られているわけでもないのに、なぜ自分の住む街を離れて田舎町に出かけるのか、という疑問である。というのも――地元ので暮らす人々には非常に失礼な言い方になるけれども――小布施には、東京に住んでいる者に特に魅力を感じさせるようなものは、北斎の肉筆と北信五岳の眺めを除けば、特に何もないように思われたからである。
私自身が東京生まれ、東京育ちであり、田舎というものを持たないせいなのかも知れないけれども、観光を目的に東京以外の場所、特に小布施のような小さな町に出かける理由がよくわからない。小布施は、この規模の田舎町としては、街づくりに非常に熱心であり、田舎町に特有のおざなりなところが目につくことはなかった。それでも、仕事に少しでも関連する具体的な課題がなければ、片道4時間かけて出かけて行くことはなかったに違いない。
東京を離れ、観光のためにわざわざ出かけるに値する街が日本のどこかにあるとするなら、それは京都だけであるに違いない。というのも、日本の都市はすべて、東京を模範と見なし、小型の東京、あるいは、東京もどきとなることを街づくりの目標としているが、京都だけは、東京を追いかけることなく、本質的に別の道を歩もうとしているからである。しかし、ことによると、私の問いの立て方が間違っているのかも知れない。すなわち、東京で暮らす者が小さな田舎町を観光を目的に訪れるのは、東京にはない魅力が田舎町において認められるからであるというよりも、むしろ、東京において出会われる何か不快なものが田舎町にはないと感じられるからであると考えるべきなのかも知れない。