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教育の本質は自己教育

 「すぐれた教育とは?」という問いに答えることは、難しくもあり、簡単でもある。これが「教育の本質」を問う問いであるなら、その答えは、少なくとも形式的には誰の目にも明らかである。教育の本質は、「現状を乗り越えることを目指す自己教育」以外ではありえないからである。換言すれば、教育というのは、内容が行政学でも、中世日本文学でも、バドミントンでも、自分の現状を克服し成長することを欲する者の存在から始まる。教育とは、みずからを教育することであり、他人の手で施される教育には、成長を欲する者たちの支援以上の意味はない。だから、成長への意欲を欠いた者を教育すること、つまり、勉強する気のない人間に無理やり勉強させることは、権利上不可能なのである。

 それでは、成長を欲する者たちに対する教育は、どのように行われるべきか?もちろん、教育の手段は無数にあるであろうが、この問いに対し、最初に心に浮かぶ答えは、大抵の場合、「学校」であるに違いない。学校というのは、教育の装置を代表するものであるから、「教育はいかにあるべきであるか」という問いは、事実上、「学校がいかなる役割を担うべきか」という問いに置き換え可能となる。

学校と試験の関係における「欧米型」と「非欧米型」

 もちろん、社会における学校の役割は、時代により地域によりまちまちであり、「学校制度のあるべき姿」など、どこにもないように見える。ただ、試験の位置という観点から光を当てることにより、学校制度は、大きく2つの種類の区分することができるように思われる。すなわち、(1)学校における教育活動の整備がまず試みられ、このプロセスにおいて、カリキュラムに区切りを与えるために試験が導入される場合と、反対に、(2)何らかの能力や資格を認証するために複数の試験が最初に制度化され、その後、試験と試験のあいだを埋めるために学校が作られる場合である。ここでは、前者を仮に「欧米型」、後者を「非欧米型」と呼ぶことにする。

 宮崎市定の古典的名著『科挙 中国の試験地獄』、

科挙 中国の試験地獄

あるいは、天野郁夫『試験の社会史 近代日本の試験・教育・社会』

試験の社会史 近代日本の試験・教育・社会 増補

を見ればすぐにわかるように、日本や中国の学校教育の制度は、試験と試験のあいだを埋める形で作られたものである。まず試験があり、この試験の受験資格を与えるため、あるいは、試験の準備の機会を与えるために学校があとから設置されてきたのである。

 寺子屋や私塾は、江戸時代の教育水準に大きな影響を与えた教育の装置である。そして、これらはいずれも、学ぶことをそれ自体として目的とする者たちのための学校である。しかし、試験があるかどうかに関係なく、「学ぶ」ことを目的に作られた学校というのは、日本の歴史全体として見ると、むしろ例外に属する。学校で学ぶことの本体は、そこで学ぶ者たちの大半にとっては、基本的に障害物競争のハードルのようなものであり、勉強することには、さしあたり、「試験に出る」ことを覚える以上の意義はなかったことになる。(もちろん、例外はいくらでもある。)日本の場合、教育に関する制度の実質は、学校ではなく試験だったのである。

教育の型だけを欧米化すればよいというものではない

 これに対し、よく知られているように、ヨーロッパやアメリカでは、授業を中心とする学校教育――18世紀まで、授業の基本は個別指導であった――が教育の中心にある。だから、欧米の試験制度は日本のように体系的ではなく、また、評価が公平というわけでもない。しかし、試験による能力や資格の認証ではなく、学校における成長の支援を重視するのであるなら、厳格な試験というのは必須ではないことになる。(もちろん、ヨーロッパやアメリカの一部の大学には、学期末に個性的で難しい試験を課す教師がいるけれども、全体から見れば、これは少数派である。)

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 そして、欧米の教育がすぐれたものであるかどうかはよくわからないが、日本では、小学校から大学まで、最近20年くらいのあいだ、教育制度の改革は、学校教育を「充実させる」方向へと進められてきた。つまり、「非欧米型」の教育の「欧米型」への転換が試みられてきたのである。

 しかし、一部に成功例があるかも知れないとしても、この試みが上手く行く可能性はきわめて低いと私は考えている。というのも、このようなスタイルの大転換が可能となるためには、次の2つの条件のうち、少なくともいずれか一方が満たされていなければならないからである。すなわち、(1)学校教育によって獲得された知識や能力が社会において活かされるか、あるいは、(2)少なくとも、このような知識や能力が社会において尊重され、知識や能力を保持していることがステータスになるか、いずれかが絶対に必要となるはずである。しかし、誰でも知っているように、現在の日本社会は――というよりも、明治以来ずっと――これら2つの条件のいずれとも無縁であり続けてきた。

 それでも、外面的には「欧米型に見えるような」教育を実現することを必要とする人々がいたのであろう、また、社会の方を変えるよりも、学校を変える方が簡単だったからであろう、学校の教育内容を尊重するよう社会に求めるのではなく、反対に、「欧米型に見えるような:教育を実現するという目標に合わせ、学校での教育内容を(1)(2)のうち少なくともいずれか一方を満たすようなものに変えてしまうことが試みられた。つまり、時代と社会に迎合し、現実に社会で必要されているような実際的な知識を学校で教えれば、学校で学んだ者は、有用な人材として社会から歓迎されるはずであると考えらたのである。

 しかし、これは、教育というものの自殺行為であるように私には思われる。というのも、教育というのは、人間を有用なロボットに変えることではなく、人間を人間らしいものにすることであるはずだからであり、大切なのは、現に目の前にある社会での「遊泳術」ではなく、社会をよりよいものにして行くための「批判的なまなざし」であるはずだからである。この意味において、最近――いつからかは正確にはわからない――の日本における教育改革はすべて、学校と、学校の外部に広がる社会の「野蛮化」を指し示しているように思われてならないのである。