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ライブは出演者のためのものか、それとも、客のためのものか

 以前、次のような記事を投稿した。


寄席で笑えなかったらどうしよう 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST

トークイベントでスピーカーが冗談を言ったら、面白くなくても笑うべきか しばらく前、あるトークイベントを見物に行った。そして、行かなければよかったと深く後悔した。理由は簡単である。あまり面白くなかったのである。 いや、正確に言うなら、「あまり面白くなかった


 トークイベントに行ったら、スピーカーの冗談に笑えなくても、冗談に付き合って無理に笑顔を作るべきなのか、また、寄席に行って笑えないときにもまた、無理に笑い声を立てるべきであるのか、それとも、面白くなければ仏頂面していてもかまわないのか。上の記事では、この問題を取り上げた。これらはいずれも、答えのない問いであり、唯一の現実的な解決策は――非常に窮屈な話ではあるが――「スピーカーが意図したように反応する自信がないのなら、ライブには行かない」ことに尽きるように思われる。

ライブが「信者」の集会になる危険

 しかし、出演者が望むように反応することに自信がある者だけがライブに行くことになると、ライブの会場に集まるのは、出演者の機嫌をとる信者ばかりになってしまう。これでは、ライブというのは、客のためのものではなく、出演者のためのものとなってしまうのである。そして、客が払う代金は、一種のお布施になる。実際、信者がスピーカーを満足させる集会と化したイベントに、私は、一度ならず行ったことがある。もちろん、このようなイベントがいくら積み重ねられても、それは、信者のあいだで消費されるばかりであり、出演者自身の「芸」の上達を促すことはないように思われる。

ビデオが「芸」の自由な吟味を可能にする

 しかし、出演者の機嫌はとりたくないが、出演者の芸は見てみたいという欲求を満足させることができないわけではない。録音されたものや録画されたものを再生し、これを鑑賞すればよいのである。

 舞台で演じられる芝居や歌舞伎なら、ビデオ(具体的にはDVDやブルーレイ)を観て、気に入らないところがあれば、画面に向かってケチをつけることができる。また、冗談が面白くなければ、無理をして笑う必要などない。「つまらねえ」とか「ひっこめ」とか叫ぶことが許されている。

 もともと、すべての客には、出演者に対し「つまらない」と意思表示する権利があるはずであるけれども、なぜか、最近のライブは、このような健全な批評を許さない信者の集会へと堕落していることが多い。(場合によっては、映画もまた同様である。)だから、自分の好きなように落語や芝居やイベントを自由に享受することを望むのなら、ライブからは距離をとり、録音や録画を利用すべきなのであろう。そして、出演者の芸が録音や録画による鑑賞に耐えなかったら、それは不十分なものであると考えるのが適当であるように思われる。