Waste separation wall in Cologne/Germany

ゴミの分別は大雑把な方がラクである

 私は、東京都杉並区に住んでいる。杉並区では、ゴミの収集は、「可燃」「不燃」「古紙・ペットボトル」「びん・缶・プラスチック製容器包装」の4種類に分けて収集される。可燃ゴミが週に2回、不燃ゴミが月に2回、あとはそれぞれ週に1回である。ただし、杉並区の場合、これらとは別に、資源としてリサイクルされるような金属等を含む製品については、区内の指定された回収場所に自分で持って行かなければならない。

 以前に何年か住んでいたことのある西日本の某政令指定都市では、分別の指定がもっと細かく、非常に苦労した。東京は、全国の中では、分別が大雑把な方であるのかも知れない。次の本によれば、ゴミを34種類に分別することを住民に求めている自治体もあるようである。(無精な私は、この本を読んだとき、このような自治体の住民ではないことの幸運を実感した。)

ゴミ分別の異常な世界 リサイクル社会の幻想

 狭いアパートに独り暮らしの場合、ゴミの分別の指定が細かいというのは、あまりありがたくない。ゴミとして出す予定のものを分別し、部屋の中に置いておかなければならず、これがかなりの場所を占領するからである。ゴミ袋に入れて集積所に出すのではなく、ヨーロッパの一部の国のように、ゴミの種類ごとに分かれた大きなダストボックスが集積所に常時設置されていれば、ゴミを家の中で管理する必要がない分、分別がもっと楽になるのに、といつも思っていた。(安全面や衛生面で予想される問題があるのであろう。)

分別の徹底と「開封調査」がまず惹き起こすのは「コスト」の問題

 実際、誰が考えてもわかるように、ゴミの分別の指定が細かくなれば、それだけ、ゴミの分別のために住民一人ひとりが負担しなければならないコストは増大する。

 この場合の「コスト」が意味するのは、カネばかりではない。むしろ、ゴミの分別には、体力、手間、時間、そして、収集日を待つゴミが住居の内部で占有するスペースが必要であり、これらがゴミの分別にとって避けることのできないコストとなる。

 もちろん、暇とエネルギーを持て余した「意識が高い」分別マニアにとっては、ゴミの分別は、いかなる意味でも「コスト」ではないかも知れないが、他にもなすべきことがたくさんあり、しかも、ゴミの分別の生活における優先順位が決して高くはない人間、つまり普通の人間にとっては、ゴミの細かい分別はコスト以外の何ものでもないように思われる。

 多くの自治体は、住民に対し、ゴミの分別を徹底するよう平然と要求するし、さらに、いくつかの自治体では、ゴミの分別が正しく行われているかどうか、「開封調査」なるものが行われているようである。(ゴミの分別は、それ自体としては法的な義務ではないから、自治体は、開封調査を実施し、分別に協力しない者を「晒し者」にすることで、分別を徹底させようとしているわけである。)

 また、「開封調査」を行うと公表してはいなくても、ゴミを回収したあと、最終的に処分する前に、全部のビニール袋を開けて中身を目視で点検し、分別し直す自治体は少なくないようである。私が住んでいたことのある西日本の某政令指定都市が発行するパンフレットには、回収したゴミ袋をすべて開封し、内容物をベルトコンベアーで移動させながら、防護服のようなものを身につけた職員が手作業でゴミを分別し直している写真が掲載されており、私は、この写真を見て、背筋が凍る思いがした。

 たしかに、他人事として考えるなら、ゴミの分別が好ましくないはずはない。ただ、分別の意義は、無条件の絶対のものであるはずはなく、あくまでも「分別のコスト」との関係で決まるはずである。ゴミの分別を徹底するよう住民に要求することは、分別のコストを負担するよう住民に要求するのと同じことである。

 自治体は、分別の徹底を求めるのなら、分別のメリットを住民に明示すべきであろう。それは、当然、「環境にやさしい」とか「資源のリサイクルになる」などといった抽象的なものであってはならない。資源のリサイクルへの貢献を名目として家庭から排出するゴミを自主的に分別することは、住民にとっては何のメリットもない単なる「勤労奉仕」だからである。

 ゴミの分別を徹底させよることを望むのなら、目に見える形の費用対効果(住民税が安くなるとか、開封調査に自発的に応じるたびに100円分の金券がもらえるとか、首長が表彰するとか)――つまり「餌」――を提示することは、自治体の義務である。そして、この義務を前提として、ゴミの厳密な分別のコストを住民に対し公然と要求する権利が初めて発生すると考えるべきである。

 ゴミの分別の徹底と「開封調査」について、憲法違反や違法の疑いを投げかける人がいる。私は、このような人々の声が間違いであるとは思わない。(というよりも、この点に関し、今は判断を控える。)

 たしかに、上に述べたように、「開封調査」は、違反者を「晒し者」にすることで住民を威嚇し、自治体の意向に従わせようとするものであるから、このような措置に何らかの問題を指摘することはいくらでも可能であるには違いない。ただ、ある自治体に住み、その地域の暮らしの当事者であるかぎり、憲法で認められた権利の一部を自発的に放棄したり制限したりすることはつねにありうる。だから、ゴミの分別と「開封調査」に関するかぎり、法律上の問題があるとしても、それは、ゴミの分別を要求したり、「開封調査」を実施したりすることの意義をただちに損なうわけではない。むしろ、根本的なのは、ゴミの分別が住民に強いるコストの問題である。ゴミの分別のコストばかりを要求され、それに対する見返りが何もないから、ゴミの分別が徹底されないのである。分別のコストを自発的に負いたくなるような「餌」が提示されないかぎり、ゴミの分別が徹底されることはないに違いない。