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 江戸っ子には「京都好き」が多い。私も京都は大好きである。

 京都のものなら何でも好き、というわけではないが、それでも、好きなものはいろいろある。

 ただ、東京生まれ東京育ちの人間から見た京都は、他の背景を持つ人々の目に映る京都とはいくらか異なる。

 日本人の多くにとって、京都は、自分が住む街よりも大きな都会であろう。これに対し、江戸っ子から見た京都は、少なくとも規模の点では、自分の住む街の10分の1しかない地方都市である。江戸っ子の注意を惹く京都には、おのずからある意味における「偏り」が生まれることになるはずである。

 そこで、私自身が「京都」と聞いてすぐに思い浮かべるものをいくつか挙げてみることにする。

京都の文化的ディープ・ノース

 栂尾〈とがのお〉は、京都の北の方、清滝川が作る渓谷沿いにあるいわゆる「三尾」(高雄〈たかお〉、槇尾〈まきのお〉、栂尾)のうち、もっとも北のエリアである。

 だから、京都駅から出発する場合、各駅停車の路線バスで約1時間かかる。京都市内の観光に要する移動時間としては、1時間は長い方だと思う。

 同じ「北」とは言っても、鞍馬には電車が通っており、鞍馬寺の門前にはそれなりの規模の集落があるから、あまり奥まった感じがしないのに反し、栂尾のバス停は、清滝川の谷の上を走る道沿いにあり、バス停を降りて見渡しても、鬱蒼とした林が目に入るばかりで、集落と呼ぶことができるほどのものはない。これは、栂尾に向かう途中で通過する高雄や槇尾とも異なる点である。

 もちろん、東京に住んでいても、多摩地域の西の方に行けば、同じようなロケーションに身を置くことができないわけではない。ただ、東京の場合、このような場所は、ほぼ例外なく、ハイキングコースであって、行った先に重要文化財があるわけではない。

 これに対し、栂尾に行くには、登山靴もリュックサックも要らない。また、ものすごく貧弱であるけれども、バス停前に飲食店があるから、弁当を用意する必要もない。栂尾は、まぎれもなく京都の都市文化の北の涯であり、文化的な観光スポットなのである。

明恵と鳥獣戯画と茶園の寺だが、高齢者には向かない

 栂尾までわざわざ行く目的は、誰にとってもただ1つ、それは、高山寺である。(一般に「こうざんじ」と言われているが、「こうさんじ」が正しい発音のようである。)と言うよりも、栂尾のバス停を降りて目に入るのは、高山寺の山門へと上がる階段だけであり、栂尾に到着したら、高山寺に行く以外にすることがないのである。

世界遺産 栂尾山 高山寺 公式ホームページ

 よく知られているように、高山寺は、明恵(1173~1232年)がみずからの修行のために開いた寺である、山の斜面にへばりついたような境内には、日本最古の茶園があり、有名な国宝「鳥獣人物戯画」(の普段はレプリカ)を見ることができる。

 特に真冬の天気のよい午前中に訪れ、境内を歩くと、外界から隔絶された静けさを味わうことができる。これほど隔絶した感じを東京で味わうことは難しいであろう。


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 高山寺は、それ自体としては小ぢんまりとしており、境内は大して広くはない。また、京都にある山寺としては、手入れが行き届いて清潔、安全でもある。
 ただ、境内は、大半が斜面と階段である。特に、雪が残る時期には、地面がところどころぬかるんでおり、危険でもある。この意味で、高齢者には向かない観光スポットであると言うことができる。