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人間の舌は保守的

 人間は、年齢を重ねるとともに、味の許容範囲が広がり、おいしいと思える食べもののバラエティが増えて行くものだと私は信じていた。実際、子どものときにはとても食べられなかったような紫蘇やタラの芽を、大人になってからはそれなりにおいしく食べられるようになったし、酸味のあるものも口にできるようになった。ワサビやサンショウなどの香辛料の役割もわかってきた。

 しかし、それとともに、残念ながら、年齢を重ねるとともに、人間の舌は保守的にもなって行くようである。外出先で少しばかり洒落たカフェやレストランに入ると、そのことを強く実感する。素材はよく知っているものなのに、また、調理法も特に変わったものではないのに、味つけに使われている調味料になじみがないせいで、料理があまりおいしく感じられないことがあるからである。

 最近、ある飲食店で、ハンバーグを注文した。運ばれてきたハンバーグを1口食べたところ、ソースに相当な量のチリパウダーが使われていることに気づいた。チリパウダー味のハンバーグは、私がこれまで知らなかったものであり、いくらか驚き、かつ、がっかりした。ハンバーグを口にしてチリパウダーの味がするなど、私にとっては、ありうべからざることなのである。

 新しい味に出会い、これをおいしいと感じる経験がどのくらい普通のことなのか、私にはわからないが、少なくとも私の舌は、かなり度量が狭い。外食しても、3回のうち2回は「失敗した」という感じとともに飲食店を出ることになる。私の舌が保守的だからなのかも知れない。

食事の「お子様ランチ」化

 しばらく前、「料理本は男性の著者のものに限る」という意味のことを書いた。


料理本は男性の著者のものに限る  : アド・ホックな倫理学

料理本で料理を覚える 私は、料理本を20冊くらい所蔵している。処分してしまったものも含めると、あわせて50冊近く購入しているはずである。これが多いのが少ないのか、私にはよくわからないが、男性としては多い方なのではないかと勝手に考えている。私が料理を自分で作る



 私が男性の著者による料理本を好むのは、ことによると、味の冒険が少ないからであるのかも知れない。たしかに、男性の料理人のレシピとくらべると、女性の料理研究家のレシピは、全体として、味について冒険主義的である。奇想天外な味であり、おいしいのかまずいのか評価に苦しむ味であるがゆえに、結論としてはまずいと評価せざるをえないような味に出会うことが少なくないように思われるのである。

 年齢をさらに重ねると、私の舌はさらに保守的になり、私は、外食をまったくしなくなるか、あるいは、すでに知っている味の料理しか食べなくなり、最終的は、「お子様ランチ」のような料理しか舌が受けつけなくなるかも知れない。たとえばマクドナルドのハンバーガーやケンタッキー・フライド・チキンのように、おいしいかどうかはともかく、少なくとも繰り返し食べることによって慣れ親しんだ味なら、まずいものを口にする危険はかぎりなくゼロに近いはずだからである。

 自分の舌が成長するのか、それとも、先祖返りしてしまうのか、これは予想することができないけれども、30年後の自分の食生活を想像すると、決してにぎやかとは言えない食卓の光景が心に浮かぶことは確かである。